はじめに
隊 員
青年海外協力隊
協力隊参加の意義
海外協力活動

教 室
現場勤務型
本庁、試験所型
ポランティア
実践者
青年
立場と品位
実りと国益
あとがき

Copyright (C) 
1998〜2000 Shoichi Ban
All Rights Reserved.

   ボランティア・スピリット 伴 正一 講談社 1978.3.30

 
 
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 8 本庁、試験所型
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 概して本庁、試験所型の隊員は、生活面で都市型、職場環境で役人型なのだが、そのほかに著しく〃ホワイト・カラー型〃なのが特色である。

 彼らのばあい、周囲の人間がホワイト・カラー型でインテリだし、その生活水準も概して高い。勤務場所も〃オフィス的〃でときには冷房さえきいている。建物の外観などは、日本の官庁や試験所よりずっと立派なのに驚くことさえある。〃民衆と労働と生活をともにする〃のとは、あまりにもうって変わった世界で、隊員が悩むのも無理はない。マレーシアのような役人天国の国柄だと、部下の給料が自分(の海外手当)より高いこともよくある。自動車で通っている同僚もいる。住居はポストによってあてがわれ、たいていは立派すぎる。

 いきなりそんな境遇のなかに入れば、あれもこれも腑に落ちない……。途上国の一局面だと思い、

「ここでも国づくりが行われているのだ」

と自分にいいきかせる……。

 しかしその過程で、気持ちがじゅうぶんに整えられないうちに、いつとなく途上国らしからぬ環境になれて、その国の抱えている真の問題を忘れてしまう危険もある。そういう〃なれ〃に陥らないためには、自分を規制するいくつかの方策を編み出さなくてはならないが、一つだけその例をあげるならば、それは〃生活を質素にする〃ことであろう。〃けちんぼ〃とはじめは言われることがあっても、

「一般民衆の貧困をよそに見栄をはる必要はない」

と信条を立てて、泰然自若に構えていれば、いつしか〃一つのいき方〃だと周囲も見るようになるのではあるまいか。忍耐のいることだけれどもチャレンジに値することだと思う。

 給与で人間が格付けされる世界

 給与の高い低いで技術はおろか人間の価値まで格付けしてしまう傾向が、多くの途上国でみうけられる。そのことで
「仕事がやりにくくなる」
と訴える隊員が、とくに役人天国型の国で多い。自分より〃高級とり〃の部下がいて、彼らが自分の技術を信用しない、というわけだ。機転のきく隊員は、給料をきかれると海外手当にはふれないで、日本でならもらっているはずの月給を、

 X=基本給+諸手当+年間ボーナス/12

と計算して、このXを答にしている。これなら技術も人間の価値も、部下よりははるかに上だ。知恵である。しかし、

「そのおまえが、なぜ無報酬でここに来ているのか」

と切り返されると説明は容易でない。

「それがボランティアというものだ」

と言って

「なるほどそうだったのか」

とわかってくれる人はむしろすくない。そうなると長々とボランティア論を向こうの言葉でブツしかなくなるが、無理をして一挙にわからせる必要もあるまい。

「ひたむきな仕事ぶりのなかから自然にわからせるのだ」

と日本流に行っていっこうさしつがえないと思うのである。

 ちなみに、直接技術上の寄与貢献より、隊員の〃執務態度の与える影響〃のほうが、より大きい意味を持ちうることは、本庁、試験所型でも例外ではないが、このばあい、場所が国の中枢部門であるだけに、その影響は結果的に大きく増幅されるかもしれない。

 余暇利用の知恵

 ホワイト・カラー型であることは、〃余暇活用〃のうえにも濃く影を落とす。

 職場が民衆に遠ざかっているだけに、彼らとの接点を持とうとすれば余暇を利用するしか方法がないのだが、さりとて都市的環境では、地方のようにコミュニティの媒介は期待薄なのである。隣近所との関係も稀薄で、接近のキッカケがつかみにくい。つい、協力隊の集会所に入り浸ったり、日本人仲間とのつき合いが多くなりがちになる。そのほか、仕事は仕事で忙しいということもある。それだけに民衆との接点構築に一工夫欲しいところだ。

 職場のだれかを皮切りに交際を深め、その親類、縁者や友人へと芋づる式に輪を拡げて、当初の予想をはるかに越える〃つながり〃を持った例もある。子ども好きがいいキッカケになったという隊員もいる。まとまった休暇を利用して地方隊員と行動をともにし、村落社会にドップリ潰りえたという実例もある。空手、紙芝居その他の〃余技〃を巧みに便った技能型の浸透法も、あちこちで行われている。「志あれば道おのずから通ず」というべきであろう。

 読み書きの威力

 仕事の話にもどるが、本庁と試験所では、職務内容がかなりちがっている。

 本庁では多量の書類が、決裁の過程や回覧で隊員にまわってくる。全部に目を通すことはむずかしいだろうが、大事なものは読みこなし、一部は自分で起案することを期待される。このことがなんとかこなせるようになるまでがたいへんで、この障壁を越えてはじめて、仕事の改善について進言する〃資格〃が周囲から認められるのだ。協力隊で弱いのは〃読み書き〃だとされてきた。日常会話ができるようになったところで進歩がとまってしまう、ともいわれてきた。本庁勤務の隊員は、奮起してこの〃汚名返上〃の尖端をきってもらいたいものである。

 若い実力者

 本庁での仕事は、企画立案的である。とくに〃意見具申〃の形をとらないでも、目常業務そのものの中に意見具申を織り込む余地が多分にある。巨大な日本の各省庁を頭に描いて想像すると、

「若輩にそんなことができるはずがない」

 と思われようが、中央政府をとっても州政府をとっても、日本のように大きく構築された陣容ではない。そのなかにいる技官たちも、日本のように〃老、壮、青〃の均衡がとれておらず、国が若いだけに若い人がかなり高い地位を占めている。これらのことを勘案すると、実力さえあれば、若輩だといって自ら卑下することはない。途上国の省庁には、そういう格好のところが多いのである。水道工事関係でエチオピア内務省に動務していた隊員は、地方に出張してみて自分の地位が高いのに驚いて、その感じを、

「内務省高級官僚ですなあ」

という言葉で表現していた。中央官庁の考え一つで、水道が引けるか引けないかが決まる、ということだろうから、〃さもありなん〃である。

 開発途上国とか第三世界とは、若い人が活躍している―ときには、のさばっている―国々である。

 純技術の場

 試験所の環境は、本庁勤務とかなりちがっていて、目と口と耳の三方から外国語に苛まれつづけるということがない。〃物〃を観察している時間が長いのである。配置によっては、戸外の圃場に出ることも多い。しかし、〃純技術の勝負〃は若い隊員に厳しい。概して隊員の技術は〃奥行き〃の面より〃間口の広いこと〃が重要だといわれているが、試験所はそうでない。途上国といっても試験所となると、専門分野がかなり細分されていて、一つ一つの分野で〃奥行きの深さ〃を求めているのだ。ここでは知恵とか異文化の理解ではなくて、純技術の冴えが決定的にものをいう。〃江戸時代〃がまったく通用しない純近代の世界なのである。先方の求めていることの内容を、寸分の誤差なく把握し、その専門分野に寸分の狂いなく適合した隊員をあてることがたいせつだ。試験所型は協力隊の鬼門なのだ、ということをよくわきまえて調査や選考に当たらないと、隊員も二年を棒にふることになるし、協力隊も大きい荷物を意味もなく抱え込むことになる。
 

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