Sakigake Touron
Shoichi Ban   
 

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政治とカネ物語


2000年05月27日 (6)−所得税振替え献金論
1999年11月27日 (5)−魅力ある立候補者
1999年11月13日 (4)−企業献金禁止に踏み切った自民党
1999年10月21日 (3)−至難の具体案を目指して
1999年09月16日 (2)−新人の資金−カネで決まった私の参院選出馬
1999年08月08日 (1)−政治家は何でメシを食うのか

(1)−政治家は何でメシを食うのか 1999年08月08日


 政治家は何でメシを食うのか。

 このことはなおざりにしてはいけないはずのことだが、結構おざなりにされている。正面から取り上げて議論しているのを聴いたことがない。

 どうやら世間では、政治家がそれぞれ自分で工面すること、いわば私ごとと考えてきたのではないか。だから、政治資金問題を論ずる公(おおやけ)の場で、政治のシステムとして取り上げることなど、思いもつかぬことだったに違いない。

 それと言うのも,政治はやはり、食うに困らない身分の人のやるものという、牢固として抜き難い政治観があったからだろう。政治家のメシのことなど、国民が心配することではなかったのだ。

 国民が問題にしてきたのは専ら,選挙のときに動く巨額の運動費や、普段からの組織活動に出費を余儀なくされる夥しい人件費、PR経費のことだった。そしてそれはそれで重要なことに違いはなかった。

 だが考えてもみるがいい。今どき食うに困らない人間がそんなにいるだろうか。

 生活費が、打ち出の小槌でも振るように軽く片手間で稼げる、なんて言う「うまい話」が、まともに考えられるだろうか。ほとんどの人が、家族を支えるのが精一杯で、その生活費のために朝から晩まで汗水たらして働いているのではないか。

 傍(はた)から見ていて派手に見える政治家の私生活から、政治家とは「生活費のことが苦にならないでいられる人種」のように錯覚し易いが、そんな現実離れした想定で政治の在り方をツメて行ったら、政治制度の設計図面に重大ミスが発生するのは当たり前である。

 政治とカネの論議が今もって空転気味なのも,「政治家は何でメシを食うのか」という基本部分で設計がブランクになっているからではないのか。

 どんな分野のシステムでも、設計に空白や無理な個所があると、その部分は実際上の必要性から,理屈は二の次にして何とか「やりくり算段」をして行かねばならない。

 そうこうしている中に、自ずから設計図代わりの「裏マニュアル」が仕上がって行く。そしてそれがやがて、ホンネ世界の自然則として当然視されるようになるのだ。

 「政治家は何でメシを食うのか」という問題は、戦後夙(つと)に政治制度の設計課題として登場すべきであった。にもかかわらず、何しろ事が面倒で、手を着けると収拾がつかなくなる心配があり、お茶を濁して先送りされるのが毎度のことであった。そしてマスコミは極楽トンボよろしく「きれい事づくめ」の論評を載せ続けて来たのである。

 それを一概には責められない事情もあるにはある。ここでも極く簡単に触れておこう。

 功成り名遂げた政治家の場合でも、カネの心配は事情に精通した名参謀や腹心秘書がしてくれていて、本人は碌に知りもしないケースが少なくない。

 デモクラシーであろうとなかろうと、政治におけるカネは、あたかも閨房の秘事のように容易には外へは洩れない性質のものなのであって、いくらマスコミが逆立ちしてもその全体像が掴めるはずがない。

 まして選挙の修羅場を潜ったこともなければ,私費で人一人雇ったこともない象牙の塔の政治学者にそんな実情が見えるわけがない。総じて日本のエリート層の頭にあるこの方面の知識水準は,幼児のそれと横並び程度、信じられない程のお寒さなのである。

 政治家の中に常識で考えられない巨額の産を成す事例が生じたりするのも、こんなところから来るのだろう。そこまで行かなくても、政治家の家計や資産形成が、あの手この手の思案を経て、簡単には世間の目には留らないように、うまく処理されているであろうことは想像に難くない。

 そこで次回は、(議席があって生活費も歳費で賄える状況にある政治家とは似ても似つかぬ)雌伏時代の政治家、即ち、中々議席を得られないでいる新人や、議席もろとも議員時代の年収を失っている落選期の議員に焦点を当ててみることにしよう。(続く)



(2)−新人の資金−カネで決まった私の参院選出馬 1999年09月16日

 もう20年近くなるが、国政選挙への私の初出馬は行き当たりバッタリで決まって行った。それができたのは、選挙というものが分っていなかったからで、その結果、まともな神経では考えられないような思い切りが可能だったことも与って力があったように思う。

 早くから、というより少年のころから政治は志していた。

 外務省での仕事に一つひとつ打ち込んでいるうちに、つい28年が過ぎ、決心のつくのが遅くなってしまった憾(うら)みはある。それでも考えることはよく考えた積もりだ。

 そうした熟慮の結果、まだ未練も残る外交官生活に「さらば」をする決意を固め、(北京在勤中に退官の手筈まで整えて)日本に帰ってきたのが1980年(昭和55年)の初頭だった。

 しかし、迂闊と言えばこれほど迂闊なことはないのだが、政治に身を投ずるというのに、準備体制の目安も段取りも全く立っていない。

   ケ小平の中国を自分の体験と感覚で描き上げて退官し「いざ故郷へ」というだけで、「草鞋(わらじ)がけで歩くぞ」という覚悟はしていたが、どんな形でどれほどの時間をかけるとか、その間にどれだけのカネを用意しておけば息切れせずに本番(選挙)に臨めるか、とかに頭がまわる私では全くなかった。

 言ってみれば悠長な話である。

 56年の人生を振り返り、死んだ戦友に顔向けのできるくらいの働きはしたという、務めを終えた安堵感も感傷をそそっていた。これからは自分の人生という、降って湧いたような気楽さを噛みしめていたとも言える。

 こういう心境の変化というものは恐ろしいもので、選挙という不案内な世界への戸惑いもあって、事をなすのに「自分自身への納得」を鉄則としてきた私が、崩れるようにその思考習性を失い始める。

 そんなところへ飛び込んできたのが、6月の参議院選挙に出ないかという、民社党佐々木委員長の勧めだった。「カネは民社持ち、発動は直ぐ」という話である。北京時代のかかわりはあったにせよ、紛れもない晴天のへきれき(霹靂)だ。

   そしてそれに追い討ちを掛ける形になったのが、中学の先輩,町田県議が茶飲み話で言った次の一言である。

 「1カ月にねえ……。どうやったって100万円は要るだろうよ。」

 選挙戦の時のカネではない。国政を目指すのに必要な,常日ごろの経常経費のことなのだ。このときの「どきっ」とした思いは、20年近く経った今も忘れられない。

 武家の禄高みたいに月々払い込まれていた月給も入って来なくなる、という自明のことさえ、まともに意識していたかどうか怪しいくらいの私には、目からウロコが落ちるような思いだった。それまでにない臨場感、前途の厳しさへの実感が、始めて体内に漲るひと時だった。この時の私にとって100万円の響きはそんなものだったのである。

 考えてみたらカネのことだけで、どんな企画も絵に描いた餅になりそうに思えてくる。どうすれば野垂れ死にをしないですむかのか、だけが問題ではないのか。独特のケ小平論を書き上げるとか、しばらくは無所属で行くとかいう悠長な発想は、一瞬にして私の脳裡から消える。

 考える時間や準備期間を置く余裕などあらばこそ、民社の勧めに従って真っ直ぐ選挙に打って出なければ,カネで息切れして政治断念の羽目に陥らないとも限らないのだ。

 絶望に近い危機感に打ちのめされていた私は、佐々木委員長から直々に

 「当選後の民社入りを条件としない」

 という言葉をもらえた段階で、一つのフンギリがつくのである。

 「ボタンの掛け違い」と後々まで言われることになるこの出馬決意は,以上のように、資金のメドさえ立っていれば、そんなに無理をして急がなくてもよかったことなのである。

 しかし新人が政治を志して行動に移ろうとする時、通常人には目の眩むような巨額の資金のメドを、どうすれば立てることができるのだろうか。それを立てるには、何年ほど前から何をしていればいいのだろうか。

 世界的にもデモクラシー政体論は、まだそういう実証的な各論にまで説き及んでいない。政治におけるカネの動きと働きは、まだ閨中の秘め事の域を出てないと言っていいのではなかろうか。 (つづく)


(3)−至難の具体案を目指して 1999年10月21日

 予想通リ,自民党は企業献金禁止の実施を先送りする方針を決定し,自由,公明の両党も同調する気配である。

 当然,攻撃の火蓋を切らなければならないマスコミも、事実の報道だけで静かなものだ。

 このような先送り劇は、これから何回、いつまで繰り返されていくのだろう。  ひねくれた見方かも知れないが,野党サイドだって、企業献金の禁止が日の目を見るとは思っていないのではないか。選挙目当てのキャンペーンは張るが,具体的な政治資金構想をつめている様子ではない。

 そんな現状を直視し,絵空事でない具体案を作り上げて行くのは至難の業だが、これは実際に選挙をやった、修羅場経験の持ち主になら、全く不可能なことではない。

   そう自分に言い聞かせて、前人未踏のカネ論争に火をつけて行きたいと思う。  その第1弾が私のホーム・ページ、昨平成10年7月12日のコラム「所得勢振替方式で政治資金を(その1)」である。更めて再掲載は控えるが一読して頂けたら幸いである。(つづく) 


(4)−企業献金禁止に踏み切った自民党 1999年11月13日

  意外や意外,自民党が(政治家個人への)企業、団体献金禁止に踏み切った。

  片や、日本の風土にはなじまないとされてきた個人献金をこれから盛んにし、21世紀には、国全体に流れる政治資金総量の主軸にまで躍進させるくらいの自信を窺わせる真面目な案は、与党にもなければ野党にもない。

  世の木鐸づら(面)をして政治を叱ってばかりいるマスコミだって、こと政治とカネの話になると、戦前の修身教科書を思わせるような説教論調でお茶を濁しているだけだし、抜け道に関する指摘もまるで他人事(ひとごと)みたいだ。

  政見の面では寄り合い所帯の自民党だ。本当なら総裁選挙までに最終結論を出しておかねばならなかったこのテーマを、今頃になってどんでん返しで決めるとは醜態もいいところだが、現在の自民党にはあり勝ちなことで、叱って治るものなら世話はない。

  民主党にも寄り合い所帯の影は色濃く,個人献金を飛躍的に伸ばす名案を,党として打ち出せる状況にはない。

  こんなとき何故マスコミが、それこそ言論人の面目にかけて政治とカネの根深い急所に突っ込んで行けないのか、と歯がゆくも思う。マスコミの役目は、悪を懲らしめる検察庁と似たり寄ったりの部分もあるが,それが全てではないはずだ。

  今に倍する知的体力を要しようが、政治が万年先送りを決め込んでいるかに見えるこんな分野に分け入り、狼煙(のろし)代りに、国民がハタと膝をたたいてうなずくような実効的構想を打ち上げれないものか。

  しかしそれを一朝一夕に望むのも無理な話だと思うので、次号ではマスコミの奮起を促し、期待しながら、不敏を顧みず一つの試案を呈示して大方の批判を仰ぎたい。

  内容は平成10年7月12日のコラムを書き改めたものになる予定である。(つづく)


(5)−魅力ある立候補者 1999年11月27日

  数はそれほどでなくても「心ある有権者」はいるはずだ。心ある有権者がいる限りデモクラシーに絶望などしてはならぬ。そういう有権者たちが陥っているであろうフラストレーションの一つに「魅力的な立候補者の不在」ということがある。

  魅力的な立候補者を登場させるには、"名馬を見立てる"伯楽的人物と、名馬と合点がいったらその存在を有権者に広く知らせてくれるラウド・スピーカー役がどこかにいてくれないと事がうまく運びにくいものだ。

  ところが情報発信の総本山であるはずのマスコミが「特定候補に肩入れせず」を錦の御旗にして裁判所顔負けの"公正振り"を堅持して動かない。動くかに見えるのは、いわゆる"選挙期間"(告示から投票日まで)。

  しかもその内容と来たら無味乾燥、各候補の提供する誰も読む気のしないよう分量等分の資料を紙面一杯に陳列しているだけのことだ。あとは(政策そっちのけで)競馬の予測記事そっくりの形勢報道、当確打ちを正念場に政治部の特訓をやってでもいるかのようだ。

  小さい村の選挙とは違って、知名度を浸透させなくてはならない有権者が小選挙区でも平均20万人はいるというのに、マスコミ抜きで名前を売れというのだから惨酷な話、現実離れも甚だしい。

  だが立候補するとなればボヤいてみても始まらない。百年前の昔に戻って、人手中心の作戦となる。どの手法も多かれ少なかれ根気の要る人海戦術の様相を帯びる。ボランテイアの出番だと言う人もいるが、こちらに知名度もないのに、手弁当、ガソリン代持ちで来てくれる人など、そうザラにいるものではない。

  タレントでもない新人候補には誠に非情な話、中でも骨身にこたえるのがのが、月々かさんで行くそのコストである。

  支弁してくれる金づるがあるか、何らかの方法でコスト回収のメドでも立っていない限り、志はあっても、最終的には立候補を断念するのが、名馬の資質ある人々のほとんどが強いられる決断なのである。

 個人献金を「金づる」と見立て得るか
 そんなコストを個人献金で賄うことが、今の日本の政治風土の中で可能だろうか。

  先ず私の体験したことから話を始めよう。外務省を退官した直後の参院選で個人献金の集まり具合はいい方だった。だがその総計は企業献金の一割そこそこでしかなかったのも厳粛な事実である。

  それが2回目の衆院選の時になると前回に数倍する時間と手間をかけながら成果は半減という惨たんたる実績に終る。1回目の寄付は半分"華麗なる転身"への餞(はなむけ)だったのか、と思い知らされる。

  こんな話はこれくらいにして一足飛びに結論に移るなら、何といっても人々の財布のひもは堅い。

  宗教に熱が入った人には例外も見受けられるが、「寄付」に対する関心が日本くらい薄い国は先進国では珍しい。家の格式や義理となればきちんと出すし、見返り目当ても少なくはない。しかし一旦自分の財布に入ったカネを純粋に個人ベースで出す額は、概して賽銭や赤い羽の"域とレベル"を大きく上回ものではない。

  パーテイ券にしろ奉賀帳にしろ、1万円とか2万円とかが毎年となると、個人ベースでは、少なくとも心理的にしんどくなる。一向に相手が当選してくれないと、家庭内からも愚痴が出ておかしくない。

  こういうバイオテクノロジカルな心理観察から得られる心証は、いみじくも私の政治資金集めの結果と符節を一にするものであって、個人献金への依存度を飛躍的に高めることは一見、絶望的にさえ見える。

  政治献金に税法上の優遇措置を講ずるにしても、献金額を経費並みに課税所得から外すくらいではインセンテイヴ効果は知れたものだ。献金が1万円なら減税も1万円、本人の腹が全く痛まないところまで踏み切った税制で臨まない限り、個人献金が日本の政治資金の主軸に位置付けられる日は来ないだろう。

  大事なところなので、納税額100万円のサラリーマンが1万円の政治献金をする場合をモデルに,上記2案の税法上の違いを表示してみよう。数字が苦手の方には読みづらかろうし、そうでない方にはくど過ぎようが、どちらも我慢して、私の説明内容を頭おいていて頂きたい。

  (「課税所得」から「税額」を算出する方式は現行所得税法による)

  年収            約900万円
 課税所得           665万円
 税額  665x20%−33=100万円

  上記のサラリーマンが1万円を政治献金し、1万円を経費並みに課税所得から引いてもらった場合の計算は次の通り。

  課税所得      665−1=664万円
 税額   664x20%−33=99.8万円
 優遇額     100−99.8=0.2万円

  優遇措置と言っても1万円の寄付(献金)で2000円しか返ってこない。8000円は財布から出て行ったままなのだ。

  それに較べると「税額控除」の方は1万円寄付(献金)して、そっくり1万円税金をまけてもらえる、すなわち1万円全額が返ってくるのだから、課税所得から差し引くのとは大違いである。

  この「税額控除」を基本原則に据えるというのはかなり破天候荒な考え方(思想)で、すぐに「そうか」と納得してくれる人はいないかも知れない。しかしこの思想が大きいうねりになってシステム化に漕ぎつければ、カネに脆いということで歯切れが悪くなっている今のデモクラシー政治哲学に、革命的な説得力を与えることができるかもしれない。

  有権者の自覚に基づく個人献金運動が、何時かは燎原の火のように燃え広がりそうだというなら、それを促す方向で知恵をしぼるのが、正攻法で清清しいに決っている。

  だが今の日本の有権者にそれを望むことが、正直言って出来そうにないから、次善の策として税法上の仕掛けを提唱しているのである。「税額控除」決断の是非を問うているのである。

  ここは政治哲学の問題として活発な論議を期待してやまない。システム設計に論議の軸足を移した段階にそなえて私が提案しようとしている「納税額1パーセントの寄付(献金)振替指定」論は次回に紹介することにしたい。
 
 

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