魁け討論 春夏秋冬



協力隊の原点--「ボランテイア・スピリット」 (7)
  「自分がこの国の為政者だったら」という視点

1999年12月11日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
 しばし閑話休題。

 伴氏が前号でもらされた隊員への高望みについて、少し詳しく伺ってみました。

 「日本と任国、彼我の差に感覚を研ぎ澄ませて仕事に打ち込む。隊員としてはそれで十分だと思うのですが、それを超えて任国の行く末までを考え抜く思考力となると、さあ、どうでしょうかね。本職の外交官でも容易にできることではないので、無理な注文、高望みに違いありません」
 それでもやってみたいという隊員がいると想定して、具体的なアドバイスをいただけますか。
 「一つの国をトータルに捉えるのは、難しいようでそれほどでもない、というのが私の体験からくる実感なんですよ。現に私のやってきたことが、ヒントになるかも知れませんね」

 「私が在勤していた頃のパキスタンはアジアの優等生といわれ、アユブ・カーン大統領全盛の時代でした。それが2年3カ月して私が去る頃にはパキスタン版平家物語、哀れな没落ぶりで姿を消していたのです。その節目、節目を捉えて私は『おれがアユブ大統領だったらどうする』という問いかけを自分にし、同僚とも賭けました。だんだん面白くなる」

 「7年半後に中国在勤になったときも『おれがケ小平 だったら』という自問を続けたものです。新聞を読むだけの場合とは格段の違いでその国の動きが見えてくるから不思議なんですなあ。情勢の読みが深くなること請け合いですよ」

 「隊員は一人ポツンと異民族の中に入っているんだから、新聞なんかに書いてないことがいっぱい耳に入るわけでしょう。それを普通の人のように右から左に聞き流すんじゃなくて、全部が全部とは言わないが、事柄次第では自分の力で読み切る。そしてそのわざの上達具合を楽しむぐらいになれないものですかね」

 「これから50年先、60年先、開発途上国に関する日本人の認識や見解が、増え続ける帰国隊員の読みの力を介して今とは見違えるばかり確かなものになる。それぐらいの役割を隊員が果たせるようになると、日本人全体が世界に開眼する上で、協力隊の存在は大変な意味を持つことになりますよ」

 現地の人たちのやる気に不信を感じたら…

 本論に戻って、49ページを読んでみることにします。ここは村落型の活動について触れていますが、「適度の意識変革を求めて」の項はどの隊員にとってもおろそかにできない点ではないでしょうか。

 協力隊活動に当たって直線的な技術移転を狙うことが賢明でないこと、住民の意欲、住民の資力、住民の技術をよく見てかからなくてはならないことの概略は本書の冒頭で触れておいたが、これらの点はいずれも協力活動の核心部分に当たるので、ここにもう一度別の角度からとりあげておきたいと思う。

右三点のうち、もっとも推し測ることのむずかしいのが住民の意欲である。これは、労働意欲、生き方、価値観などが人間心理の深層部でからみあいながらかもし出す、一種の均衡感覚とみることができ、現象的に表現すれば仕事への取り組み姿勢ともいえる。それは長い歳月のなかでしだいに形成され定着してきた歴史の所産であって、銃剣による威嚇にでもよらない限り、5年や10年では変えることのできない強靱さ、いったんは変わったようにみえてもやがて元に戻る復原力を持っている。

そしてその根強さのよってきたるところをたぐっていくと、土地の気候や風土にかない、長年月の試練に耐えてきた、予想以上に合理的なものであることにしばしば思いいたるのである。

それを日本からやって来た隊員がかんたんに、
「彼らにはやる気がない」と決めつけたり、
「誠意をもってやっていけばついてくるだろう」

と思いこんで張り切ったりしたら大まちがいを起こす。日本式の率先垂範を無意味だといいきる自信はないが、いつもいつもそれで事がすむなら、協力活動は頭のいらない単純作業だということになるし、南北問題の解決に必要なのは体力と意志だけだという理窟になってしまう。

そうはいかないから苦労しているのではないか。南北問題の真のむずかしさは、適度の意識変革をいわば漢方医的にやっていくところにありはしないのか。

 「ここの人たちにはやる気というものがない」。このことで悩む隊員は現在も後をたちません。それだけにはっとさせられた隊員も多いのではないでしょうか。あるいは「そうは言っても…」と反発を覚えるでしょうか。

 ここでも閑話休題で出てきた考え抜く力と読む力を発揮せよと伴氏は言っておられるのです。

 大きな不満もなく昔からの生き方にどっぷり浸かって生きている人々に、生き方や意識を変えろというのはむしろ不可能に近い。

 村落型隊員などは地域の人々に密着した活動が主体なので、仕事がそのままオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)になっているようなものですが、そんな中で伴氏がサジェストされるのが、

 「木下藤吉郎を見つけ出せ」ということです。

 木下藤吉郎は言うまでもなく後の豊臣秀吉ですが、最初は織田信長の草履取り。彼の力量を見抜く眼力が信長になかったら、木下藤吉郎は一生ウダツが上がらずに終わったでしょう。

 こう考えると、人物はどんなところにいるか分からない。

 隊員の任国でも千人が千人やる気がないとは言えないでしょう。木下藤吉郎だっているかもしれないのです。

 そういう掘り出し物的人物が目にとまって、それに2年を賭けることができたらこんな幸運はないのですが、こちらに眼力がなければ、いても気がつきません。

 見つけた藤吉郎をどう生かすかも問題、というより課題です。

 本人を取り立てていくことを考えるのも一つの選択ですが、そう簡単にいかないとなれば彼の意見を汲み上げ、隊員の意見としてその採用実現をはかるという手もあります。現に『私のやった仕事は、そういう吸い上げポンプ役でした』と述懐していた専門家を私は知っています。

 次回は、これまた現在の多くの隊員が直面している「予算がない…」の問題について触れることにします。
 月刊「クロスロード」連載「伴 正一著『ボランティア・スピリット』を著者と共に読み解く」(本誌・斎藤儀子)から転載
1999年12月11日 (7)−「自分がこの国の為政者だったら」という視点
1999年11月06日 (6)−旗印の「民衆指向」が意味するところ
1999年09月03日 (5)−10年後に本当に分かる隊員だったことの意味
1999年08月13日 (4)−人のために役立ちたい
1999年07月26日 (3)−隊員は一匹狼であるべきか否か
1999年06月30日 (2)−現地の人々が隊員の活躍ぶりをせせら笑うとき
1999年06月18日 (1)−協力隊の原点--「ボランティア・スピリット」

 感想、ご意見をお待ちしています

お名前 

感 想 



© 1999 I House. All rights reserved.