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日本売りで再び日本にフォーカスされるアジアの眼

1998年07月23日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄


 7中旬の8日間、アジアを駆け足で回った。どこでも日本のことを聞かれた。マスコミは連日、日本の参院選での自民党の惨敗とポスト橋本に焦点を当てた記事を満載していたから当然だ。アジアの関心が再び日本にフォーカスされているとの印象を得た。

 その人にわれわれアジアの将来がかかっているのだ

 ここ数年、日本から遠ざかっていたマスコミの視線が日本に戻ったのは日本円が急落した6月からである。1ドル=150円に近づく日本円の下落が中国元に波及すればアジア通貨は再び波乱に直面するという危機感がいやおうなく日本の存在を再認識させることとなったのである。

 自民党の参院選での歴史的敗北は香港紙の一面を飾り、テレビでもトップに据えられた。経済の崩壊が日本政治への関心を呼び覚ましたといってもいい。皮肉である。

 クアラルンプール郊外で、退役軍人のジャーマン氏とはこういう会話を交わした。

 「誰が次期総理になると思うか」
 「そんなことは誰にも分からない」
 「その人にわれわれアジアの将来がかかっているのだ」

 香港でもバンコクでも同じように聞かれた。多くのアジアの人々が小渕、梶山、小泉の名前を口にしていた。そして異口同音に小渕では日本は変わらないということも知っていた。きっと1週間前にはだれも知らない日本人の政治家の名前だったはずだ。そんな3人がアジア経済の未来を握っているという議論をあちこちで聞いた。彼らの切なる思いを果たしてこの3人の総理候補者がどれほど認識しているか。そう考えるとまた気が遠くなりそうになった。

 6年間でクアラルンプールを改造したマレーシア

 この10年間、アジア諸国は奇跡的な成長を遂げた。クアラルンプール訪問は6年ぶりだった。巨大なセパン新空港は開港直後だった。世界一ののっぽビルやKLタワーはもちろん6年前にはない。町を横断する何本もの高架鉄道や郊外に伸びるコミューター鉄道も存在しなかった。

 筆者にとっては、新空港のコンピューターシステムの混乱はどうでもよかった。「2000万人の国民がよくもまあクアラルンプールをここまで改造したものだ」というのが感慨であった。このままマレーシア経済が停滞すれば、国家が背負う巨額の負債に押しつぶされて、こうした構築物は無用の長物となるかもしれない。そんな不安も片隅をよぎった。

 マハティール首相が掲げる「2020年に先進国の仲間入りする」という国家目標は「われわれにも経済発展のチャンスが与えられるべきだ」という途上国の希望であり、途上国で共感をもって受け止められているスローガンである。ここ数年バブル経済的要素があったとしても先進国の何倍ものスピードで経済発展を遂げなければ先進国に追いつけるはずはない。

 この1週間、先進国は、途上国が無理を承知で経済成長を加速させていることをもっと理解してもいいのではないかとの考え始めている。通貨の下落がなくともアジア経済はいずれ破綻していたはずだという議論もあるが、そうとも限らない。日本の不良債権問題とアジアの通貨危機を同列に議論する評論家もいるが、そもそも資本主義経済にはバブル的要素がないわけではない。

 アジアの経済発展のきっかけは1985年のプラザ合意である。円高で競争力を失った日本企業が大挙してアジアに進出した。数年でアジアは日本企業に欧米への輸出拠点と化した。日本企業がアジアで雇用を生み出し、その中で資本を蓄積して世界に雄飛するアジア企業も育まれた。1990年代になると、そうしたベンチャー的要素の強いアジアに欧米の金融機関が殺到し、日本企業のアジア投資にも拍車がかかった。

 そして欧米勢は1997年7月1日の香港返還を境に一斉に撤退した。一斉に通貨が売られたのだ。通貨価値が下がれば経済が資本逃避が起こるのは当然である。それでなくとも外資依存が経済成長の原動力だった地域である。現地企業もまた資本を逃避させた。通貨下落と資本逃避の悪循環は必然である。それでも国際金融資本はアジア・ファンドで巨額の富を手にした。

 国際金融資本は危険だからアジアから資本を引き上げたのか、それとも十分に稼いだから撤退したのだろうか。再び日本にフォーカスされたアジアの眼を意識しながら、筆者はますます後者に与する方に傾きつつある。

 明日は自民党の総裁選である。あさってのアジア紙面は日本の新首相誕生をどのように伝えるのだろうか。

 追記:2週間「萬晩報」を黙って休刊した非礼をお許し下さい。引き続き愛読を願います。

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