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【読者の声】5月4日号「ペットボトルで毎年1兆円を捨ててきた日本人」

1998年05月09日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄

 1998年05月04日号「ペットボトルで毎年1兆円を捨ててきた日本人に寄せられた感想を掲載します。ペッボトルの価格があまりにも高いのに驚きの声が高かったのとアメリカ在住の方からは「コラムに書いてあったような売り方は見たことがない」という指摘もありました。アメリカの一部での経験を強調しすぎていたきらいがあり反省していますが、考える素材として受け止めていただけたらと思います。筆者の了解を取っていないので仮名にしました。あしからず。ありがとうございました。【萬晩報主宰 伴 武澄】


 近所に酒造り屋さんと醤油造り屋さん、味噌屋さんがあります。当然、そここから買います。空き瓶は、返します。一瓶5円貰っています。65-75円には驚愕です。しかし、返していただけでも、満足です。金の問題ではないことを知りました。
 この問題を夕食の話題にしました。95歳の母と、56歳の妻が言いました。「いいじゃないの。国民の金が回転しているのだから」
 田舎でも、県庁でも、失業者急増です。予防注射で、感じます。疑問と質問を抜きにして、攻撃する現代日本人。頑張ってください。祭りの連続です。私の肝、膵、及び脳味噌が憤怒しています。【鳥取県・医者】
 では、どうしたらペットボトルが減るか?やはり徹底的に法律で取り締まるしか方法がないのでは?日本人のモラルに訴えても限界があると思います。タバコのポイ捨てしかりちっとも減っていません。ペットボトルメーカが今後どのような対応をするつもりなのかも聞きたいと思います。久日ぶりにMag2で興味がある話題を読まさせて頂ました。【Shige】
 昔、私の叔母の家は、味噌・醤油・油を量り売りしていました。醤油ダルの下の栓をぬくと、「とくとくとく」となんて言うのか忘れましたが、継ぎ口のある土鍋の小さいもののような器にとって、ビンに入れていました。あと油は、今ならさしずめかき氷の蜜を計るような金属の杓?ですくって、じょうごをビンに付けていれていました。
 そんな私も、今は昔。おとぎばなしのように、そんな光景を感じるようになりました。本当はそんな光景を日常のものととらえる環境があれば、ゴミも環境も資源も変化したと思います。消費生活に慣れてしまったつけは、いろんな所に出ているんですね。ダイオキシンしかり。
 難しい事は解りませんが、外国では化粧品も一度購入した瓶を持参して店頭で詰めてもらえるとの事。化粧品の瓶ってオシャレすぎて無駄なんですよね。でも最近業界も着目してくれていますね。まず洗剤・柔軟剤・シャンプー・リンス・台所洗剤など詰め替え用のものが増えてきました。嬉しい限りです。私は極力詰め替え用を買って、無駄なプラスチック容器をゴミにしない様にとそれだけはがんばっています。
報道の専門家の方に、なんか主婦のなれない戯言の様ですが、こんなお話を正式な形で伝える場に巡り合え、嬉しく思っています。後は 国がこんな主婦の多い事を理解してもらい、流れを作っていただきたいと思います。読んでいただけて、光栄です。ありがとうございました。【大津市・主婦】
 「アメリカで容器持ち込みでジュースが買える」とのことですが、私はアメリカに住んで9年近くになりますが、そのような光景は見たことがありません。小さな田舎町や大きな都市など様々な所に住み、旅行などで西から東までいろいろな州にも行き、行き先では必ずスーパーマーケットに立ち寄りますが、見たことはないです。
 私が見る限りでは、プラスチック容器を何回も使う人はアメリカでは少ないと思います。リサイクル活動も日本ほど浸透しているようには思えません。実際、地方の町ではリサイクルは存在しません。伴様の記事にも書かれていたようにアメリカでは「モノが安いので」使い捨ては当然といった感じです。それから今のアメリカ人の世代では、日本の戦後のように物がない時代を経験した人は少ないということもあるのでしょう。
 私は、日本のリサイクルにかける情熱は素晴らしいと常々感心していたのですが…。ペットボトルのコストが問題であれば、ビール瓶のように全部グラスにして、回収してまたつめ直すということはできないのでしょうか。いずれにしても、日本はリサイクルに関してはアメリカよりもよく頑張っていると思います。【在米9年女性】
 私はISU(Iowa State University)に通っています。MNSで送られてきた伴さんの記事を大変楽しく読ませていただきました。まさか1.5リットルのボトルがそんなにコストが高いとは知りませんでした。ここアイオワでは缶もペットボトルも買い物のときに5セント取られその代わり、リファンドをするとお金が返ってくるしくみになっていますが初めて聞いたときには感動しました。私も貯めに貯めてからリファンドをすると$11位になります。だから皆、ごみ箱に捨てず私のようにしているようです。また、大学を歩いていると低所得者の人がわざわざごみ箱から拾って生活費にしているのでリサイクル率は抜群だと思います。【アイオワ州・学生】
 読んでてとてもうれしく思いました。でも、そう思える人たちが何人いるのでしょうか。ことあれば、すぐに魔女狩りを行うマスコミ。それを見て、喜び勇む視聴者。自己責任を失い、何かが生じれば、すぐに国や自治体、学校等に責任を押し付ける我が国民は一体如何してしまったのか? 金儲け主義に走る弁護士の餌食になってしまうことも解らずに・・・。これからも、頑張ってください。【Ken】
 本文の内容ではなくて恐縮なんですが、書き出しの部分です。「モノは日本の半分の価格だった。」。確かに、半分の価格のものもありますが、そうでないものもあります。逆に高いものもあります。私も日本に居た頃は、物価が安いイメージを持っていましたが、決して、一言で言えるような比較はできないと、今では感じています。
 「プラスチック容器は何回でも使うもの...」「一部かもしれないがアメリカでは、容器持ち込みでジュースが買えるのに、日本ではペットボトルを収集して、コストをかけてワイシャツに仕立て直している」「その彼我の違いが気になった」。どちらも、そのように感じられたと言うことで、私がとやかく言うことではないのですが、全体的にアメリカは、リサイクル先進国で、日本も考えなければならないのでは、というニュアンスに読めるところが、ちょっと引っかかるのです。
 私の住んでいるテキサスダラスは、ビン、カンの分別はおろか、台所のゴミと合わせて電池などもいっしょにして捨てています。全て、埋め立てるそうです。資源保護の思想のかけらもありません。かたや、資源保護の教育として、カンを学校に持っていく日があったり、紙製品にはリサイクルマークがあったりして、自然保護を訴えてます。
 私が、こっちに来て非常に感じることは、日本に居た時に持っていたアメリカのイメージとかなり違っているということです。これは、テレビや新聞、雑誌等の断片的な情報で作られたイメージであったとつくづく考えさせらます。ぜひ、文章を書く方にお願いしたいことなのですが、たとえ本文とは直接関係ない内容ではあっても、アメリカは良い、日本は見習うべきだと言ったニアンスの文章は、注意して欲しいと思います。断片的な「事実」は、それだけで決して「真実」でないでしょうし、私のように、誤解したイメージをアメリカおよび日本に持ってしまうこともあるからです。決してアメリカの実態はひどいのだ、と言っているわけではありません。【在米6年】
 今の日本の問題点が、明確に読みやすく書いてあり読まさせて頂きました。客は「安くしろ」、ディスカウントは「量を売るから、協賛金を出せ」・・・。だからメーカーは利益が出ない。僕はペットフードの業界にいますが、都市に近くなると、安いだけではもう売れません。これからの日本は、知識階級などの人たちが日本の国籍を捨てる日が来るのでは?と恐怖を感じています。長年のつけを、清算しないといけない日が恐いです。いい記事を、もっと多くの人の目に留まるようになる事を望んでいます。【funycats】
 貴重な情報がいっぱいのletterを楽しみに拝読しています。人々の日々の生活の変遷はその国の文化や歴史の重みと深く関わるものと考えます、日本は戦後少し早く走り過ぎたのでしょう、物質的な豊かさの享受が当たり前の時代の育つ者が、精神的なそれを理解する土壌が少し痩せてきているのが気がかりです。 【新座市】
 新聞・雑誌にはあまり出ない興味ある記事が掲載されるので、毎日楽しみにしています。時々、印刷して家のかみさんやこどもたち(高1、中1)と話題を共有しています。これだけの質の記事を毎日、無料で配信できるのは申し訳ないと思います。将来、経営がもたなくなる前に有料制か広告収入か何かよい方法を考案されて、ぜひ継続して下さい。ボランティアの継続は、いろいろしんどいことと推察します。
 価値のあるものに対価を払うことが、日本では当然となっていません。あらゆる所で、無駄使いがなされていることが、だんだんあらわになってきました。「なくならない公共事業」、「ペットボトル2兆円」にも指摘された通り、無駄なダム、非効率な道路工事をはじめ、税金の無駄使い、高コスト体質は、あきれます。
 外見・肩書きではなく、中味そのものの本質で評価する目、心を養っていくことがこれから重要となってくるでしょう。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。私は彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」旧約サムエル記1ー16:7【kf9t】
 記事を読みましてその通りだと思います。役所は、建前主義の中身なしで、国民のことよりも、紙の上での意味のない法律ばかりにとらわれていると思います。国民の為の法律に変える必要が有ると思います。【ym-66-0822】
 ペットボトルについては一消費者としては同じ意見ですが、厚生省に問題有りとするご意見には、やや疑問を感じます。(厚生省関係の人間ではありません)食品というものを購入する場合のシステムを衛生を維持しながらどのように流通させるかという、どちらかというと流通革命を考えなければ本質が見えてこないように思います。
 小生も食品製造販売をしておりますと、包材費にこれだけの費用をかける消費者側のメリットとは何だろうと考えさせられます。これはペットボトルに限らないと思います。
 その包材費は使い捨てなのか、何らかの2次、3次用途に役立っているか流通革命ではなく消費革命の方が必要なのかもしれませんね。  日本の官庁は、民間がやったことを後でなぞって管理することが得意で、明日の展望のために何かをするには、情報が少なく、実績も少ない。従って、こちらに頼るべきではないようです。【yb8s-knk】
 コラムを毎号興味深く読ませていただいています。読んでみて、そうだったのかと目から鱗が落ちることがあります。今後も期待していますので、がんばってください。【水戸市・弁護士】
 ペットボトルの話、興味深く読みました。数年前アメリカ西海岸に、仕事の関係で視察に行きましたが、日本とアメリカの流通コスト(人、物、情報)のあまりの違いに愕然としたことを思い出します。そして、その原因の多くが公共料金に代表される公的な管理システムのコストだということに気が付きました。アメリカは賃金が下がっても物価がそれにスライドしてある程度下がりましたから、労働者の生活水準はそれほど下がりはしなかったでしょうが、日本の場合は公共料金体系が物価を押し上げる方向に作用しています。公共料金とは本来、民間に任せると高い水準で推移しかねない各種サービスを低廉に国民に提供する目的で設けられたもののはずです。少なくとも私は学校でそう習いました。
 とにかく、われわれ国民が自分のことはもっと自分たちでやるんだという気持にならなければだめなのでしょうね。それにしても、ペットボトルがそんなに高かったなんて、すこしも知りませんでした。【Kazuo】
 10年ほど前に、TVでオーストラリアのスーパーマーケットが紹介されたときお客さんたちがペットボトル持参でソフトドリンクを買っていたことを思い出しました。日本人が無駄に対する気持ちを今一度、行政から取り組んでもらいたいですね。【topfield】
 いつも刮目すべきご意見を拝聴しておりますが、とくに今回のテーマには大いに考えさせられ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申しあげます。【fksm】
 ペットボトルの話は、本当に目からウロコという感じでした。「管理したがる官僚(おかみ)と、おかみに管理してもらいたがる国民」という国民性は、外国人から見ると、摩訶不思議に映るでしょうね。
 あちこち外国に行かれているのでしょうか?もしそうなら、どこが一番管理が少ない国でしょうか?つまり、個人の自己責任とかボランティアとかを尊重する国はどこでしょうか?個人的な印象でも結構ですから、一度ご意見伺いたいです。
これからも、このような「現代日本人にとって当たり前になっている事で、外国から見れば決して当たり前ではない」と言った話題をどんどん取り上げて下さい。楽しみにしています。【Yuko】
 「ペットボトルの値段だ。空の1.5リットル瓶はふた付きでなんと65-75円もするのだ。工場への卸売価格である」だそうですが、凄い値段ですね。フランスでは此の値段で1,5リットル入りペットボトルのコーラを買えます。(コカコーラではないですが)製造過程でのコストの問題も大きそうですね。【フランス在住】
 初めて記事を読ませて頂ました。生活に根ざした興味深い記事でした。今はハワイで生活をしていますが、これからも日本の抱える問題に目を向けて行きたいと思っております。購読が楽しみです。【ハワイ・Nae】
 まったく同感です。役所の規制を早く止めさせて、生活者の自己責任で、安上がりで楽しい生活を獲得しましょう。これからもこういう意見をマスコミが国に対してどんどん言ってくれることを望ます。【池田市・学生】
 驚きました。約一兆円もの無駄遣いをしていたなんてこの無駄遣いをなくすだけで、内需拡大につながるのではないでしょうか。ペットボトルに関わらず、考えることの出来るものから、また、思いついた人から、こういったことをしていくべきではないでしょうか。人間楽を覚えると、ほんとにダメになってしまいますね。【ORIENT】
 ペットボトルは本当に無駄ですね。今年、31歳になるものですが、むかし、醤油屋に量り売りで買いに行ったり、豆腐屋にボウルを持って、豆腐を買いに行ったり、ジュースビンを集めて、お小遣い稼ぎをしたりしました。 ジュースが瓶に入って売っていた頃、缶ジュースがすごく、贅沢でもったいなく感じましたが、今ではその感覚をわすれていました。  日本人の経済構造の問題点ですね。無駄なミニペットボトルやほかにも、携帯電話なんかも、販売店への多額のインセンティブが端末が使い捨て状態で端末への過度のコストダウンが余儀なくされ、あげく、インセンティブのため、ドコモ以外は経営は青色吐息といったところでしょう。消費者も一見してお徳と見えるが実は莫大な無駄を生み出していないかもっと、考え直すべきですね。そういった運動にもっと生活共同組合なんかがイニシアティブをとっていただきたいものです。【kotaro】
 毎回、豊富な情報に驚き、感心して拝見しています。特に、ペットボトルは、秀逸なレポートでした。私たちのためになる規制緩和を、身近な例で具体的にかたられました。そうですね。たとえ、食中毒がでても、あそこの店は気を付けようという意識が、選択権を大切にする意識になり、お店も気をつける。そして、なによりそういう地域の情報を得るためにも、身近な人との交流も盛んになり、情報を発信する媒体も多様になる。といいことばかりのように思います。それにしても1兆円とは、驚きました。これは、説得力があります。【ssgb】
 「ペットボトルで毎年1兆円を捨ててきた日本人」を読んで。指摘のとおり、日本ではゴミのリサイクルに世論や政策が集中し、肝心のゴミを減らす、物をそのまま再利用するという、肝心なことが欠落しています。以前、ある大学教授の講演で、ヨーロッパでのペットボトルの利用回数(アメリカとは違いますが、ビール瓶のように、メーカーが回収し、定められた回数まで再利用する。利用回数はボトルの底に傷をつけて管理している)を聞いて、日本のリサイクルのいびつさに気づきました。講演の要旨は次のようでした。
 1 真のリサイクルとは、モノをそのまま、再利用することに他ならない。形を変えるために、新たにエネルギーを消費すれば、新たに環境を破壊することになる。
 2 牛乳パックのリサイクルなどは、愚の骨頂である。牛乳パックには、高級なパルプを使用しており、そこから、再利用が不可能なトイレットペーパーを作る矛盾に気がつかなければならない。
 3 以前は、醤油にしろ、豆腐にしろ、容器は購入者が持参して いた。ところが、今では、メーカーが回収の手間を嫌がってか 再利用できない容器が多すぎる。恐らく、ビールメーカー以外 では何も考えていないのではないか。
 4 ヨーロッパでもペットボトルは使われているが、容器をガラス 瓶と同様に再利用している。その形態は、以前のガラス瓶と 同じく購入時にボトル代を払い、回収時に返してもらうものである。これで資源が再利用されるだけでなく、ポイ捨ても減少し(確か、2リットルで50円程度だったと記憶しています)消費者のリサイクルに対する、認識を日常的な物へ引き上げることができる。
 そして、何よりも、ゴミになるものを生み出さないことが、一番大事なことだと話されていたと思います。作ってしまったものを、焼却するなり、形を変えてリサイクルするためには、新たなエネルギーを必要とするし、完全にこの世から消し去ることはできないのだと。一番、人類が愚かだと感じるのは、自然界に無いダイオキシンを生み出してしまったことだと。多少、シニカルな面も見うけられましたが、個人的には、大変、印象に残った講演でした。
 エコロジストではありませんが、世界中から資源を買いあさっている日本は、世界に先駆けて対策を取らなければならないはずなのにと、現状に暗澹たる気持ちです。日常の生活で、できる限りの努力はしていますが、限度は自ずと見えてしまいます。日本人全員がこの問題を自分のことと受け止めない限り、打開策は生まれないのかも知れません。今後とも、世界から孤立しかねない日本についての記事をお書きください。【redman_jt】
 以前のちょっと感想で、環境問題ならアルミ缶なんかより、ペットボトルを取り上げるべきだと書いたような覚えが有りますが、今回ペットボトルが取り上げられ、ふっふっふっふ、小生なかなかちゃんとした点を突いているじゃないかと1人悦に入っています。
 自己責任をもっと大切にしよう、という最後の意見に関して大いに賛成する部分が有ります。日本がこんなに規制規制の国になったのも、究極的には国民がそれを望んだからというのが、もっとも大きな理由ではないでしょうか。あれだけ国の監督責任を問題にし、ことこまかなことまで国、地方公共団体に頼ってきたのだからここまで役人の権限が大きくなるのは当然という思いがします。
 国民である以上、国の役割といったものを考え続ける必要が有りますが、今までの政府の役割は親権者といっしょで、国民を保護し・指導する存在だったと思うのですが、国とは一種の共済のようなものだとは考えられないのでしょうか。税金とは日本国民共済だと考えれば、国民が何か不利益を被った場合、共済掛け金からその損害を補填するのは当然のことですし、これは監督責任とは関係なくなります。損害が補填されないとすれば掛け金を支払う意味は無くなるでしょう。
 しかしその損害を未然に防ぐ、また防止する役割は誰に帰属するかといえば、それは立法府にあるのでしょう。損害の防止、抑制の方法が法律になるのですから。今の現状は立法府が機能していないため、法律を施行する人間が法律を作成しているところに、規制立国の原因があるんじゃないでしょうか。だから主張する点は、立法府に調査機能を、と調査していない議員を職務怠慢の罪で追求しようです。【ちょっと感想】
 すばらしい。まったくそのとおりだと思います。何についてその通りかといえば、日本人一人一人が、ペットボトルやさまざまな資源問題について自覚しなければ行けない時期になってきているという点です。資源問題を含む環境問題は国が何とかしてくれる。という意識では、問題は解決されないし、いつものように、押し付け行政になってしまうでしょう。一人一人がもっと自覚すべきです。
 実は私も、行政に携わる人間です。県職員として仕事をはじめて6年目になります。毎日の仕事をこなしていて思うことは、これは誰のためにやっているのだろうかということです。県民の方々が問題意識を持ってどんどん文句を言ってくれない限り押し付け行政になります。制度は制定されてからが問題なのですから。
 ところでペットボトルの価格には驚きました。多分、この記事を読んだ方は皆さんそう思ったことでしょう。1.5リットルペットの問題が解決しないうちにミニペットの発売が解禁になりました。問題はそれを選ぶ消費者にあるのかな、なんて思ったりします。【行政マン】
 興味深く読みました。しかし、空の1.5リットル瓶が65-75円というのは、客観的な事実なのでしょうか。この値段は何を根拠にしているのでしょうか。もし、事実だとすれば、飲料水の小売価格のうち、半分近くはボトル代ということになってしまうと思うのですが、なぜこのようなことが、いままで消費者に隠されてきたのでしょうか。いろいろと疑問が残ります。この点についてもう少し詳しい記事をお願いします。【Yoichi】
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