アブラハム、イサク、ヤコブの三代を以て、イスラエル民族は立派に基礎が出来たが、之れは決して肉の歴史ではない。心の歴史である。アブラハムは全く神に依つた生涯を送り、其子イサクの代に至つては、肉に依らず全く霊に依り、柔和なる者が国を嗣ぐとの模範を示し、ヤコブに至つて遂に国民の型が出来た。

 ヤコブの貪慾と校滑  ヤコブは欠点多き人であつた。創世記二十七章から始まるヤコブの記録の半以上は悲しみと苦しみに依つて綯(なはなは)れた波爛重畳の歴史である。彼は先づ兄を押のけて父の業を嗣ごうとした。彼は貪慾であり、又絞滑であった。彼が羊の皮を被り、エサウの真似をしてまんまと父を欺しおほせたことから考へても、彼は人の声色を使ふのが上手であつたと想像される。ラバンの叔父の家にあつた時も、彼は自己の財を殖す工夫を知つてゐた。

 今日ユダヤ人は、世界の天才の半分を出してゐる。アインスタイン、ベルグソン、ワグネル、スピノザの如きは何れもユダヤ人である。又ユダヤ人は眉目麗しく、心が柔和である。斯うした善い半面があると共に、その半面に於ては貪慾な、資本主義的な心が秘められて居た。此の善悪両方面か既にヤコブにあつた。

 併し此の善悪両方面の外にもう一つの血がユダヤ人の血管に流れてゐる。それは、天才的な善の半面が、信仰に依つて悪の半面を打消して行かうと努める苦心である。

 野宿の夢  ヤコブの狡猾は遂に兄エサウを立腹せしめ、弟を殺害せんと企てしむるに至つた。慈しみ深きその母が夫れを憂慮して、ヤコブをスリヤに追ひやつた。ヤコブは数日の旅の後、ルツ(今日のサマリヤのベテル)に着いた。彼は旅の疲れに野宿してゐると夢の中に天に届く梯を天使が昇降するのを見、そして彼が新生に入るならば彼の貪慾、虚偽に満ちた生活を、神は尚且赦し給ふて新しさ出発点を与へ給ふとの啓示を聞いた。夢醒めて彼は大に感謝した。旅路了へて衣食が与へらるならば神の宮を建てる事を誓つた。ヤユブの宗教、換言すればイスラエルの宗教の出発点は、此処から発足する。

 エサウ文化とヤコブ文化

 ユダヤ人がアジヤ人種だからとして之を劣等視するのは大なる誤りである。人種学的にも、ユダヤ人は地中海人種と呼ばるゝ白人種で天才の出づる民族である。それはヤコブの子孫である。

 之と共に今日アラビヤに住むマホメット教徒はヤコブの兄エサウの子孫である。彼等は骨格逞しく争奪に秀で、数理学に秀でてゐる。宗教の堕落した時に刺戟を与へたのに此の民族であつた。

 欧洲の歴史は此のヤコブの民族と、エサウの民族の争闘の歴史である。アブラハムの子孫は今日も尚相争ふてゐる。

 兄エサウの文化は基督教文明の堕落した時、コンスタンチノープルを占領し仏蘭西に乗込むほどの文化と信仰とを持つてゐたが、争ひの為めにそのサラセン文明も久しからずして潰れて了つた。

 エサウの子孫の文明は始め埃及の北部、地中海沿岸に発達し、スペインにまで及んだ。実際エサウの文明は燦爛たるものがあつた。織物、美術、建築を始め代数学、アリストートルの哲学を保存したのはエサウ文化である。

 併しエサウの文化は、換言すればマホメットの文化は、強い一点張りである。美しいあのアラビアンナイトの物語は夫れを説明して余りある。夫等は勇壮といふよりも寧ろ血腥(ちなまぐさ)い物語である。基督教の持つ旧約にはあゝした血腥い物語はない。其処にエサウ文化とヤコブ文化、マホメット教とキリスト教の差異を見出す。

 マホメットの歴史は血みどろの歴史である。エサウの文化は強い文明である。

 之に反しヤコブはどうであつたか。彼は欠点の多い人物であつた。彼は神に謝さればならぬほど誤つた生活をしてゐた。併し彼はそれを温順しく神に詫びた。

 同じ一神教であり、偶像否定ではあるが、基督教とマホメット教との異る点は、マホメット教は強い事のみを主張するに反し、基督教は自分が悪かつた事を認識する宗教である。換言すればマホメットは一直線の宗教であるが、基督教は一度折れて、再び立直る処の屈折ある宗教である。私達は今までの曲つた生活を曲れりとしてそのまゝ突出すのは余りに残酷だとする者である。(神による信仰)