デンマルク国の話 信仰と樹木とをもって国を救いし話 内村鑑三

曠野と湿潤なき地とは楽しみ、
沙漠は歓びて番紅のごとくに咲かん、
盛に咲きて歓ばん、
喜びかつ歌わん、
レバノンの栄えはこれに与えられん、
カルメルとシャロンの美しきとはこれに授けられん、
彼らはエホバの栄を見ん、
我らの神の美わしきを視ん。
       (イザヤ書三五章一―二節)

 今日は少しこの世のことについてお話しいたそうと欲います。
 デンマークは欧州北部の一小邦であります。その面積は朝鮮と台湾とを除いた日本帝国の十分の一でありまして、わが北海道の半分に当り、九州の一 島に当らない国であります。その人口は二百五十万でありまして、日本の二十分の一であります。実に取るに足りないような小国でありますが、しかしこの国に ついて多くの面白い話があります。

 今、単に経済上より観察を下しまして、この小国のけっして侮るべからざる国であることがわかります。この国の 面積と人口とはとてもわが日本国に及びませんが、しかし富の程度にいたりましてははるかに日本以上であります。その一例を挙げますれば日本国の二十分の一 の人口を有するデンマーク国は日本の二分の一の外国貿易をもつのであります。すなわちデンマーク人一人の外国貿易の高は日本人一人の十倍に当るのでありま す。もってその富の程度がわかります。ある人のいいまするに、デンマーク人はたぶん世界のなかでもっとも富んだる民であるだろうとのことであります。すな わちデンマーク人一人の有する富はドイツ人または英国人または米国人一人の有する富よりも多いのであります。実に驚くべきことではありませんか。

  しからばデンマーク人はどうしてこの富を得たかと問いまするに、それは彼らが国外に多くの領地をもっているからではありません、彼らはもちろん広きグリー ンランドをもちます。しかし北氷洋の氷のなかにあるこの領土の経済上ほとんど何の価値もないことは何人も知っております。彼らはまたその面積においてはデ ンマーク本土に二倍するアイスランドをもちます。しかしその名を聞いてその国の富饒の土地でないことはすぐにわかります。ほかにわずかに鳥毛を産するファ ロー島があります。またやや富饒なる西インド中のサンクロア、サントーマス、サンユーアンの三島があります。これ確かに富の源でありますが、しかし経済上 収支相償うこと尠きがゆえに、かつてはこれを米国に売却せんとの計画もあったくらいであります。ゆえにデンマークの富源といいまして、別に本国以外にある のでありません。人口一人に対し世界第一の富を彼らに供せしその富源はわが九州大のデンマーク本国においてあるのであります。

 しかるにこのデン マーク本国がけっして富饒の地と称すべきではないのであります。国に一鉱山あるでなく、大港湾の万国の船舶を惹くものがあるのではありません。デンマーク の富は主としてその土地にあるのであります、その牧場とその家畜と、その樅と白樺との森林と、その沿海の漁業とにおいてあるのであります。ことにその誇り とするところはその乳産であります、そのバターとチーズとであります。デンマークは実に牛乳をもって立つ国であるということができます。トーヴァルセンを 出して世界の彫刻術に一新紀元を劃し、アンデルセンを出して近世お伽話の元祖たらしめ、キェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界に唱えしめし デンマークは、実に柔和なる牝牛の産をもって立つ小にして静かなる国であります。

 しかるに今を去る四十年前のデンマークはもっとも憐れなる国で ありました。一八六四年にドイツ、オーストリアの二強国の圧迫するところとなり、その要求を拒みし結果、ついに開戦の不幸を見、デンマーク人は善く戦いま したが、しかし弱はもって強に勝つ能はず[#「能はず」はママ]、デッペルの一戦に北軍敗れてふたたび起つ能わざるにいたりました。デンマークは和を乞い ました、しかして敗北の賠償としてドイツ、オーストリアの二国に南部最良の二州シュレスウィヒとホルスタインを割譲しました。戦争はここに終りを告げまし た。しかしデンマークはこれがために窮困の極に達しました。もとより多くもない領土、しかもその最良の部分を持ち去られたのであります。いかにして国運を 恢復せんか、いかにして敗戦の大損害を償わんか、これこの時にあたりデンマークの愛国者がその脳漿を絞って考えし問題でありました。

 国は小さく、民は尠 く、しかして残りし土地に荒漠多しという状態でありました。国民の精力はかかるときに試めさるるのであります。戦いは敗れ、国は削られ、国民の意気鎖沈し なにごとにも手のつかざるときに、かかるときに国民の真の価値は判明するのであります。戦勝国の戦後の経営はどんなつまらない政治家にもできます、国威宣 揚にともなう事業の発展はどんなつまらない実業家にもできます、難いのは戦敗国の戦後の経営であります、国運衰退のときにおける事業の発展であります。戦 いに敗れて精神に敗れない民が真に偉大なる民であります、宗教といい信仰といい、国運隆盛のときにはなんの必要もないものであります。しかしながら国に幽 暗の臨みしときに精神の光が必要になるのであります。国の興ると亡ぶるとはこのときに定まるのであります。どんな国にもときには暗黒が臨みます。そのと き、これに打ち勝つことのできる民が、その民が永久に栄ゆるのであります。あたかも疾病の襲うところとなりて人の健康がわかると同然であります。

 平常のと きには弱い人も強い人と違いません。疾病に罹って弱い人は斃れて強い人は存るのであります。そのごとく真に強い国は国難に遭遇して亡びないのであります。 その兵は敗れ、その財は尽きてそのときなお起るの精力を蓄うるものであります。これはまことに国民の試練の時であります。このときに亡びないで、彼らは運 命のいかんにかかわらず、永久に亡びないのであります。

 越王勾践呉を破りて帰るではありません、デンマーク人は戦いに敗れて家に還ってきまし た。還りきたれば国は荒れ、財は尽き、見るものとして悲憤失望の種ならざるはなしでありました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼らは相互に対し ていいました。この挨拶に対して「否」と答えうる者は彼らのなかに一人もありませんでした。しかるにここに彼らのなかに一人の工兵士官がありました。

 彼の 名をダルガス(Enrico Mylius Dalgas)といいまして、フランス種のデンマーク人でありました。彼の祖先は有名なるユグノー党の一人でありまして、彼らは一六八五年信仰自由のゆえ をもって故国フランスを逐われ、あるいは英国に、あるいはオランダに、あるいはプロイセンに、またあるいはデンマークに逃れ来りし者でありました。ユグ ノー党の人はいたるところに自由と熱信と勤勉とを運びました。英国においてはエリザベス女王のもとにその今や世界に冠たる製造業を起しました。その他、オ ランダにおいて、ドイツにおいて、多くの有利的事業は彼らによって起されました。

 旧き宗教を維持せんとするの結果、フランス国が失いし多くのもののなか に、かの国にとり最大の損失と称すべきものはユグノー党の外国脱出でありました。しかして十九世紀の末に当って彼らはいまだなおその祖先の精神を失わな かったのであります。

 ダルガス、齢は今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、溝を掘るの際、彼は細かに彼の故国の地質を研究しまし た。しかして戦争いまだ終らざるに彼はすでに彼の胸中に故国恢復の策を蓄えました。すなわちデンマーク国の欧州大陸に連なる部分にして、その領土の大部分 を占むるユトランド(Jutland)の荒漠を化してこれを沃饒の地となさんとの大計画を、彼はすでに彼の胸中に蓄えました。ゆえに戦い敗れて彼の同僚が 絶望に圧せられてその故国に帰り来りしときに、ダルガス一人はその面に微笑を湛えその首に希望の春を戴きました。

「今やデンマークにとり悪しき日なり」と 彼の同僚はいいました。「まことにしかり」とダルガスは答えました。「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを得べし、君らと 余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇の花咲くところとなすを得べし」と彼は続いて答えました。この工兵士官に預言者イザヤの精神がありま した。彼の血管に流るるユグノー党の血はこの時にあたって彼をして平和の天使たらしめました。他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人 が剣をもって失ったものを鋤をもって取り返さんとしました。今や敵国に対して復讐戦を計画するにあらず、鋤と鍬とをもって残る領土の曠漠と闘い、これを田 園と化して敵に奪われしものを補わんとしました。まことにクリスチャンらしき計画ではありませんか。真正の平和主義者はかかる計画に出でなければなりませ ん。

 しかしダルガスはただに預言者ではありませんでした。彼は単に夢想家ではありませんでした。工兵士官なる彼は、土木学者でありしと同時に、 また地質学者であり植物学者でありました。彼はかのごとくにして詩人でありしと同時にまた実際家でありました。彼は理想を実現するの術を知っておりまし た。かかる軍人をわれわれはときどき欧米の軍人のなかに見るのであります。軍人といえば人を殺すの術にのみ長じている者であるとの思想は外国においては一 般に行われておらないのであります。

 ユトランドはデンマークの半分以上であります。しかしてその三分の一以上が不毛の地であったのであります。 面積一万五千平方マイルのデンマークにとりましては三千平方マイルの曠野は過大の廃物であります。これを化して良田沃野となして、外に失いしところのもの を内にありて償わんとするのがそれがダルガスの夢であったのであります。しかしてこの夢を実現するにあたってダルガスの執るべき武器はただ二つでありまし た。その第一は水でありました。その第二は樹でありました。荒地に水を漑ぐを得、これに樹を植えて植林の実を挙ぐるを得ば、それで事は成るのであります。 事はいたって簡単でありました。しかし簡単ではあるが容易ではありませんでした。世に御し難いものとて人間の作った沙漠のごときはありません。

 もしユトラ ンドの荒地がサハラの沙漠のごときものでありましたならば問題ははるかに容易であったのであります。天然の沙漠は水をさえこれに灑ぐを得ばそれでじきに沃 土となるのであります。しかし人間の無謀と怠慢とになりし沙漠はこれを恢復するにもっとも難いものであります。しかしてユトランドの荒地はこの種の荒地で あったのであります。今より八百年前の昔にはそこに繁茂せる良き林がありました。しかして降って今より二百年前まではところどころに樫の林を見ることがで きました。しかるに文明の進むと同時に人の欲心はますます増進し、彼らは土地より取るに急にしてこれに酬ゆるに緩でありましたゆえに、地は時を追うてます ます瘠せ衰え、ついに四十年前の憐むべき状態に立ちいたったのであります。しかし人間の強欲をもってするも地は永久に殺すことのできるものではありませ ん。神と天然とが示すある適当の方法をもってしますれば、この最悪の状態においてある土地をも元始の沃饒に返すことができます。まことに詩人シラーのいい しがごとく、天然には永久の希望あり、壊敗はこれをただ人のあいだにおいてのみ見るのであります。

 まず溝を穿ちて水を注ぎ、ヒースと称する荒野 の植物を駆逐し、これに代うるに馬鈴薯ならびに牧草をもってするのであります。このことはさほどの困難ではありませんでした。しかし難中の難事は荒地に樹 を植ゆることでありました、このことについてダルガスは非常の苦心をもって研究しました。植物界広しといえどもユトランドの荒地に適しそこに成育してレバ ノンの栄えを呈わす樹はあるやなしやと彼は研究に研究を重ねました。しかして彼の心に思い当りましたのはノルウェー産の樅でありました、これはユトランド の荒地に成育すべき樹であることはわかりました。しかしながら実際これを試験してみますると、思うとおりには行きません。樅は生えは生えまするが数年なら ずして枯れてしまいます。ユトランドの荒地は今やこの強梗なる樹木をさえ養うに足るの養分を存しませんでした。

 しかしダルガスの熱心はこれがた めに挫けませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。しかして彼の頭脳にフト 浮び出ましたことはアルプス産の小樅でありました。もしこれを移植したらばいかんと彼は思いました。しかしてこれを取り来りてノルウェー産の樅のあいだに 植えましたときに、奇なるかな、両種の樅は相いならんで生長し、年を経るも枯れなかったのであります。ここにおいて大問題は釈けました。ユトランドの荒野 に始めて緑の野を見ることができました。緑は希望の色であります。ダルガスの希望、デンマークの希望、その民二百五十万の希望は実際に現われました。

  しかし問題はいまだ全く釈けませんでした。緑の野はできましたが、緑の林はできませんでした。ユトランドの荒地より建築用の木材をも伐り得んとのダルガス の野心的欲望は事実となりて現われませんでした。樅はある程度まで成長して、それで成長を止めました、その枯死はアルプス産の小樅の併植をもって防ぎ得ま したけれども、その永久の成長はこれによって成就られませんでした。「ダルガスよ、汝の預言せし材木を与えよ」といいてデンマークの農夫らは彼に迫りまし た。あたかもエジプトより遁れ出でしイスラエルの民が一部の失敗のゆえをもってモーセを責めたと同然でありました。しかし神はモーセの祈願を聴きたまいし がごとくにダルガスの心の叫びをも聴きたまいました。

 黙示は今度は彼に臨まずして彼の子に臨みました、彼の長男をフレデリック・ダルガスといいました。彼 は父の質を受けて善き植物学者でありました。彼は樅の成長について大なる発見をなしました。

 若きダルガスはいいました、大樅がある程度以上に成 長しないのは小樅をいつまでも大樅のそばに生しておくからである。もしある時期に達して小樅を斫り払ってしまうならば大樅は独り土地を占領してその成長を 続けるであろうと。しかして若きダルガスのこの言を実際に試してみましたところが実にそのとおりでありました。小樅はある程度まで大樅の成長を促すの能力 を持っております。しかしその程度に達すればかえってこれを妨ぐるものである、との奇態なる植物学上の事実が、ダルガス父子によって発見せられたのであり ます。しかもこの発見はデンマーク国の開発にとりては実に絶大なる発見でありました、

 これによってユトランドの荒地挽回の難問題は解釈されたのでありま す。これよりして各地に鬱蒼たる樅の林を見るにいたりました。一八六〇年においてはユトランドの山林はわずかに十五万七千エーカーに過ぎませんでしたが、 四十七年後の一九〇七年にいたりましては四十七万六千エーカーの多きに達しました。しかしこれなお全州面積の七分二厘に過ぎません。さらにダルガスの方法 に循い植林を継続いたしますならば数十年の後にはかの地に数百万エーカーの緑林を見るにいたるのでありましょう。実に多望と謂つべしであります。

  しかし植林の効果は単に木材の収穫に止まりません。第一にその善き感化を蒙りたるものはユトランドの気候でありました。樹木のなき土地は熱しやすくして冷 めやすくあります。ゆえにダルガスの植林以前においてはユトランドの夏は昼は非常に暑くして、夜はときに霜を見ました。四六時中に熱帯の暑気と初冬の霜を 見ることでありますれば、植生は堪ったものでありません。その時にあたってユトランドの農夫が収穫成功の希望をもって種ゆるを得し植物は馬鈴薯、黒麦、そ の他少数のものに過ぎませんでした。しかし植林成功後のかの地の農業は一変しました。夏期の降霜はまったく止みました。今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧 産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは大樅の林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与えられし上に善 き気候を与えられました、植ゆべきはまことに樹であります。

 しかし植林の善き感化はこれに止まりませんでした。樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる砂塵の荒廃を止めました。北海沿岸特有の砂丘は海岸近くに喰い止められました、樅は根を地に張りて襲いくる砂塵に対していいました、

ここまでは来るを得べし
しかしここを越ゆべからず

と(ヨブ記三八章一一節)。北海に浜する国にとりては敵国の艦隊よりも恐るべき砂丘は、戦闘艦ならずして緑の樅の林をもって、ここにみごとに撃退されたのであります。

  霜は消え砂は去り、その上に第三に洪水の害は除かれたのであります。これいずこの国においても植林の結果としてじきに現わるるものであります。もちろん海 抜六百尺をもって最高点となすユトランドにおいてはわが邦のごとき山国におけるごとく洪水の害を見ることはありません。しかしその比較的に少きこの害すら ダルガスの事業によって除かれたのであります。

 かくのごとくにしてユトランドの全州は一変しました。廃りし市邑はふたたび起りました。新たに町 村は設けられました。地価は非常に騰貴しました、あるところにおいては四十年前の百五十倍に達しました。道路と鉄道とは縦横に築かれました。わが四国全島 にさらに一千方マイルを加えたるユトランドは復活しました、戦争によって失いしシュレスウィヒとホルスタインとは今日すでに償われてなお余りあるとのこと であります。

 しかし木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、畜類よりも、さらに貴きものは国民の精神であります。デンマーク人の精神はダルガス植 林成功の結果としてここに一変したのであります。失望せる彼らはここに希望を恢復しました、彼らは国を削られてさらに新たに良き国を得たのであります。し かも他人の国を奪ったのではありません。己れの国を改造したのであります。自由宗教より来る熱誠と忍耐と、これに加うるに大樅、小樅の不思議なる能力とに よりて、彼らの荒れたる国を挽回したのであります。

 ダルガスの他の事業について私は今ここに語るの時をもちません。彼はいかにして砂地を田園に 化せしか、いかにして沼地の水を排いしか、いかにして磽地を拓いて果園を作りしか、これ植林に劣らぬ面白き物語であります。これらの問題に興味を有せらる る諸君はじかに私についてお尋ねを願います。
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 今、ここにお話しいたしましたデンマークの話は、私どもに何を教えますか。
  第一に戦敗かならずしも不幸にあらざることを教えます。国は戦争に負けても亡びません。実に戦争に勝って亡びた国は歴史上けっして尠くないのであります。 国の興亡は戦争の勝敗によりません、その民の平素の修養によります。善き宗教、善き道徳、善き精神ありて国は戦争に負けても衰えません。否、その正反対が 事実であります。牢固たる精神ありて戦敗はかえって善き刺激となりて不幸の民を興します。デンマークは実にその善き実例であります。
 第二は天然 の無限的生産力を示します。富は大陸にもあります、島嶼にもあります。沃野にもあります、沙漠にもあります。大陸の主かならずしも富者ではありません。小 島の所有者かならずしも貧者ではありません。善くこれを開発すれば小島も能く大陸に勝さるの産を産するのであります。ゆえに国の小なるはけっして歎くに足 りません。これに対して国の大なるはけっして誇るに足りません。富は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にもあり ます。海の波濤にもあります。吹く風にもあります。噴火する火山にもあります。もしこれを利用するを得ますればこれらはみなことごとく富源であります。か ならずしも英国のごとく世界の陸面六分の一の持ち主となるの必要はありません。デンマークで足ります。然り、それよりも小なる国で足ります。外に拡がらん とするよりは内を開発すべきであります。
 第三に信仰の実力を示します。国の実力は軍隊ではありません、軍艦ではありません。はたまた金ではあり ません、銀ではありません、信仰であります。このことにかんしましてはマハン大佐もいまだ真理を語りません、アダム・スミス、J・S・ミルもいまだ真理を 語りません。このことにかんして真理を語ったものはやはり旧い『聖書』であります。
もし芥種のごとき信仰あらば、この山に移りてここよりかしこに移れと命うとも、かならず移らん、また汝らに能わざることなかるべし
とイエスはいいたまいました(マタイ伝一七章二〇節)。また
おおよそ神によりて生まるる者は世に勝つ、われらをして世に勝たしむるものはわれらの信なり
と 聖ヨハネはいいました(ヨハネ第一書五章四節)。世に勝つの力、地を征服する力はやはり信仰であります。ユグノー党の信仰はその一人をもって鋤と樅樹とを もってデンマーク国を救いました。よしまたダルガス一人に信仰がありましてもデンマーク人全体に信仰がありませんでしたならば、彼の事業も無効に終ったの であります。この人あり、この民あり、フランスより輸入されたる自由信仰あり、デンマーク自生の自由信仰ありて、この偉業が成ったのであります。宗教、信 仰、経済に関係なしと唱うる者は誰でありますか。宗教は詩人と愚人とに佳くして実際家と智者に要なしなどと唱うる人は、歴史も哲学も経済も何にも知らない 人であります。国にもしかかる「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「智き愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の非運に遭いまするな らば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。国家の大危険にして信仰を嘲り、これを無用視するがごときことはありません。私が今日こ こにお話しいたしましたデンマークとダルガスとにかんする事柄は大いに軽佻浮薄の経世家を警むべきであります。