「隣人の顔を美しくする運動を道徳と呼ぶ」。賀川豊彦は時々、ハッとするフレーズを書いて残してくれている。人生を美しく生きることが最大の芸術だ ということには大いに共感するが、隣人の顔を美しくすることまでは考えなかった。賀川にとって道徳もまた芸術のひとつの形態なのだ。そして芸術を突き詰め たところに神があるという考えもまた分かるような気がする。

  一〇四 芸術至上主義

 芸術至上主義に私は必ずしも不賛成ではない。美の為に凡てを犠牲にすると云ふ、その大きな努力に私の帽子を取りたい。只、今日までの芸術至上主義は、感 覚の美のみを主張して魂の美に就て考へてくれることが非常に少い。個人の美を考へて、団体の美を考へて呉れない。感覚の美は快楽主義に傾き、個人の美は我 儘に陥る。
 従つて凡てを犠牲にして美のみを追求すると称する所謂芸術至上主義者の中には、我儘な快楽主義を芸術至上主義と取り間違へて居る者がある。永遠の美は全 人生活の精神に依つて始めて、持ち来たらされるものである。私は感覚の美を否定しない。併し感覚の美だけが美の全部ではない。魂の内側に永遠の美を宿すこ とも、美の大事な要素である。美は進化する。自分の顔だけが美しく、隣人の顔が汚れてゐる間は、美は半分しか地上に来て居らない。隣人の顔を美しくする運 動を道徳と呼ぶ。全人生活に於ては道徳もまた芸術の一要素を形造る事を忘れてはならない。