10年も前の話であるが、津支局に勤務していた時、北畠神社を訪ね、近くにあった美杉ふるさと資料室で金色の日の丸を発見した。後醍醐天皇の南朝は三色の日の丸をつくったと説明があった。金と銀と赤だったようだ。

北畠神社は北畠顕能が伊勢国司となって統治した霧山城の麓にある。西の山を越えると吉野、その吉野に後醍醐天皇が朝廷を置いた賀名生(あのう)の里があ り、そこには赤の日の丸が残っている。もう一つ、銀色が見付かれば、日の丸のなぞも解けるかもしれない。たぶん、軍旗として使われ、大将の位によって色分 けされたのだろうと想像している。

北畠家は戦国大名として200年にわたり伊勢に君臨したが、元は源氏や平家と同じく、天皇の血統を引き継ぐ家柄であるから、金色の日の丸が残っているのだろう。賀名生の赤の日の丸は堀家に残るものだが、格が低かったのかもしれない。

北畠顕能は南朝に尽くした親房の三男である。面白いことに、霧山城、吉野、そして楠木正成の千早城は東西ほぼ一線にあり、山を越えて連携していたはずで、親房が常陸に逃れた時は伊勢から船に乗ったのである。