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公海上に出て見えるボーダーレスの初夢

1998年12月30日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄


あなたは目の読者です。

 ●ホテルシップは陸上か海上か?
 10月に友人の結婚式で長崎に行った。披露宴はホテルシップ・ヴィクトリアだった。会場が海上だったなんてしゃれにもならないが、船のホテルというのに初めて泊まった。廃棄された青函連絡船を改造したなかなかすてきなホテルだったが、寝る前にここは陸上なのか海上なのか考えてなかなか寝付けなかった。翌朝、ホテルの人に聞いた。

 「このホテルに住所がありましたよね。このホテルは陸の建造物になるのですか、それとも最初は船だったのだから今でも船としての法律が適用されるのですか」
 「難しい質問ですね。一応、この船はホテルとして陸の一部になったのですが、横浜の氷川丸のようにコンクリートで固めてあるわけではなく、係留中なので船でもあるのです」

 その後調べたわけではないが、サンフランシスコの友人がヨットで生活しているのを思い出した。水道も電気も完備していたし、郵便も届いていた。嵐の夜の揺れさえ我慢すれば取り立てて不便もない生活を送っていた。

 アメリカでは老後をキャンピングカーで過ごす人たちが多くいるし、好きこのんでヨットを住居とする人たちも少なくない。東京でも1960年代まで水上生活者がたくさんいたし、つい最近まで香港のアバディーンにはジャンク船を住み家にする民が密集していた。

 だが、日本や香港の水上生活者にはどうしても貧しいというイメージがぬぐい去れなかった。実際、貧しかった。香港では公営住宅を建設して彼らを陸上に住まわすよう努力したため、現在のアバディーンのジャンク船は単なる観光資源としての風景でしかない。

 1990年代、ベトナムのホーチミンの河口に登場したのはまさに船のホテルだった。当時のベトナムには外国人用ホテルなどなく、オーストラリアの投資家が殺到する日欧米のビジネスマン向けに「配船」した。ドイモイが失敗したらすぐに撤退できるのも「投資」のメリットだった。

 16世紀に栄えた琉球王朝は陸ではなく、東シナ海を生活の場とし、中国、日本、朝鮮、ルソン、安南をまたにかけて富を築いた。われわれは陸上で住み、経済を営むことを固定観念にしすぎているのではないか。長崎でそんなことを考え出していた。

 ●公海上の仮想オフショア株式取引所
 長崎のホテルシップでどうしても気になったのは、日本という規制だらけの社会はひょっとしたら陸上だけの束縛かもしれない。海上に出れば、規制から逃れられるかもしれないという思いつきである。

 【日刊「SOHO’S REPORT」】というメールマガジンの最新号にすごい思いつきが掲載されていたので内容を紹介したい。筆者はカナダ・バンクーバーに住む杉浦雄一郎さん。「ヨットのクリスマスデコレーション」というタイトルだ。

近所にヨットハーバーがある。クリスマスシーズンになると、そこに停泊しているヨットに色とりどりの電球で飾られ、林立するマストがクリスマスツリーの森のようになる。

 

--------------(中略)---------------

 実はバンクーバーにはヨットで生活している人は少なくない。友人におんぼろの小型ヨットで生活している学生もいるし、日本から大型ヨットのクルーとして太平洋を超えてカナダにやってきて、そのまましばらくそこに住み着いていた日本人女性も知っている。前に勤めていた会社の社長も家族さえ許せばヨットで生活をしたいと口癖のように言っていた。

 バンクーバーのヨットハーバーの停泊料は東京都内の駐車場代以下。ヨット自体も小さいものであれば自動車と同じくらいの価格だ。セーリングするのに船舶免許もいらないのでヨット人口はとても多い。ヨット好きが高じて、ヨットに住み着きたいという人が出てくるのも不思議ではない。

 8年程前、知り合いがきちんと製本された分厚いビジネスプランを見せてくれた。パラボラアンテナを積んだ大型ヨットで国家の規制を受けない公海上にでかけ、衛星通信によるオフショアの仮想株式取引所を開きたいという彼の夢がそこにつまっていた。その後それが実現したという話は聞かないが、なんともわくわくするような話だ。

 サイバースペースは今が大航海時代。新しい可能性、理想のライフスタイルを求める冒険者が仮想世界の海へ次々と出航していく。読者の皆さんの中にも99年は出航の時と考えている方も多いのではないのだろうか。

 ●究極のボーダーレス経済
 この公海上の仮想株式取引所という発想はなんともすごい。「沈黙の艦隊」というマンガで核保有の潜水艦が仮想国家として登場し、先進国に対して宣戦布告をする物語を展開して話題を呼んだ。この潜水艦は単に軍事組織として存在をアピールしたが、同じころ経済を主体とした仮想国家の発想がカナダにあったのである。

 8年前、香港企業がアジアで第一号の衛星テレビ放送を立ち上げたころ、アメリカの実業家が南太平洋のトンガ王国の王女様に対して台湾向けサービスを主体とした衛星を打ち上げる構想を持ちかけていた。通信衛星は赤道の上に国連が決めた軌道があり、加盟国それぞれが軌道の「枠」を持っていた。国連から「除名」された台湾はその「枠」がなく、技術があっても衛星を打ち上げる権利がなかったのだ。

 当時、ロシアが国際価格の半分以下で衛星打ち上げ事業を立ち上げていた。構想ではこの衛星はトンガ国籍、運営会社はアメリカ人、衛星はロシア製、使うのは台湾人だった。このマルチ国籍の衛星事業を「究極のボーダーレス事業」と題して記事にしたことがある。

 衛星は国連の取り決めで国籍があるが、実は公海上を航行する船舶にも国籍があり、「無法」は許されないことになっている。しかし、株式取引所のない小さな国と提携すれば、公海上の自由国家の誕生も夢ではない。

 今日は1年を回顧するつもりでいたが、過去を振り返っても仕方がない。新聞、テレビがうんざりするほど回顧してくれているので、萬晩報は1999年の初夢を今年最後のコラムとしたい。

 杉浦さんのホームページはhttp://www.sohovillage.com/。 メールはmailto:yuichiro@activewave.com

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