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転勤時「なんで家族を連れていくの」と聞かれた驚き

1998年05月28日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄

八木博さんの「目一杯働き、目一杯休息するアメリカ」というレポートがあった。関連して日本人社会で当たり前となっている単身赴任について考えたい。

 ●中国南部に出現した French Colony
11年前の中国広東省の南部、海南島への回廊の町ザンジャンでの光景を思い出している。南シナ海の海洋石油掘削基地となって20年が過ぎる。当時、町の郊外のヘリポートは、数百キロの海上の掘削現場へ向かう大型ヘリのローターの唸りが四六時中鳴り止まない。

世界の石油市場を牛耳るメジャーの一角、フランスの国営石油会社「トタール」も早くからザンジャンにTotal Colonyを設置、1987年に商業生産を開始した。基地内は数十軒のレンガ建て住宅が緑の芝生のなかに建ち並び、小規模ながら小学校からクリニック、ホテル、スーパーマーケットまで完備していた。スーパーの棚には欧米から空輸で持ち込んだ肉、野菜からワインに到るまで日常の必需品が所狭しと並んでいた。

トタールは既に掘削事業から撤退しているからこんな風景はないだろうが、ホテルに併設されたプールでは非番の技術者たちが南国の太陽を浴びながら家族連れで戯れている。夜になれば、クラブバーでは夫婦同士の語らいがあった。フランスの植民地が南部中国に復活したような風景だった。

目を対岸のホテルに転じると、出光石油の技術者が男同士のわびしい生活に甘んじていた。「赴任して一年にもなるが、ザンジャンを離れたことは一度もない」「トタールはいいよなー。3週間働くと1週間の休暇があり、みんな香港で羽を伸ばしている。しかも会社のヘリで深センまで運んでくれるんだぜ」。持ち寄ったウィスキーで夜な夜な繰り返される愚痴ばかりの飲み会に一夜、参加した。

当時の取材にノートに書いてある。「どこにいっても自国の生活を持ち込まなければ気がすまない西洋人のやり方に反発がないわけではない。しかし、同じ1バレル=23ドル(当時)という国際価格で商売する石油会社の現場での生活レベルがこれほど違っていいものかという印象は拭えない」。

 ●経済協力現場にも持ち込まれる American Way of Life
1960年代にも同じような経験をした。パキスタンのインダス川が5つの支流から一つになるパンジャブ地方で、灌漑用のタルベラダムの建設現場を訪れた。タルベラダムは当時としては世界最大級のダムで、米国資本が建設していた。

ここでも米国資本はアメリカ流の生活を持ち込んでいた。各部屋にクーラーを組み込んだ大型3LDKの宿舎が欧米から派遣された技術者たちに提供されていた。当時、学生だったからプールバーまであったかどうか覚えていないが、あってもおかしくない雰囲気だった。現場は、単なる商業目的のダムではなく、低開発国向けの援助事業だったのである。

ここに三菱重工からタービンの取り付けに参加していた日本人もいた。もちろん快適な3LDKをひとつあてがわれ、夫婦で"援助事業に参加していた"のだ。「日本の援助だったらこうはいかないでしょう。欧米人の技術者はこうでもしなければ低開発国に来なくなっているのです」との説明だったように思い出している。

いま考えるのは欧米人はどんなところでも家族同伴が当たり前なのだという感慨である。

 ●家族中心主義という偽りのリアリティー
小生が昨年、大阪転勤になったとき、同僚や先輩から「なんで家族が一緒なの」と聞かれてがく然とした。とまれ、いつから日本社会は「単身赴任」が普通になったのだろうか。いつから子どもの教育の方が家族と住むことより重要になったのだろうか。

欧米からのアジア社会批判の度にアジアの政治家は「アジアにはアジアのやり方がある」「個人主義が中心の欧米と違って、アジアでは家族が単位だ」と反発してきた。日本の政治家や官僚にも共感をもって受け入れられている論理だが、現代の日本に限っていえば、すべてウソである。

有史以来これほど単身赴任が横行する社会はない。どこの社会だって家族を大事にしてきたし、これからも大事にしていくだろう。日本の場合、中年の転勤族が単身赴任先で羽を伸ばし、奥さん方もせいせいしているケースもないわけでなはい。だが、日本社会だけは常識が狂っているとしかいいようがない。

日本社会を痛烈に批判してきたオランダ人ジャーナリストのファン・ウォルフレン氏に「日本が家族中心主義だ」などといえば、ただちに「それは偽りのリアリティーだ」と反論されるに違いない。

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