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京都で月1回週休3日を実践する堀場製作所

1998年03月25日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄



 筆者は京都に住んで大阪に通っている。通勤時間は1時間は優に超える。近くに住めないからではなく、贅沢を味わうためわざわざ京都に居を構えた。時間に余裕ができると京都企業を訪問するようにしている。一口に関西と言っても神戸と大阪と京都はまったく違う。02月17日に 「バブル時に一人ファイナンスを我慢した名門企業」と題して村田製作所という京都の企業を紹介した。こんどは堀場製作所だ。

 京都企業の特徴は、京セラや任天堂、ロームを見るまでもなく他に追随を許さない独自製品やユニークな経営方針を持つことだ。規模を追求せず、シェアを取る。結果として高い収益力が身に着いた。日本企業が得意とする横並び的発想はない。

 ●アメリカで認知された環境関連技術はいま追い風
 堀場製作所の主力製品のひとつは自動車の排ガス測定器。昨年12月、京都で世界環境会議が開催され、マスコミの取材攻勢を受けた。40年前から培ってきた測定器の技術がいま世界的な環境問題への関心の高まりを追い風にしている。

 堀場が世界に認められるきっかけとなったのはまたまたアメリカだった。カリフォルニア州の大気汚染が社会問題化し、たまたま堀場が得意としていた「比較法」という大気の測定方法が、1970年代に環境保護庁(EPA)に認められた。アメリカでの評価が「日本に逆輸入された」というケースはなにも堀場に限ったことではない。

 堀場は戦後まもなく、京都市内で「堀場無線研究所」として産声を上げた。多くのベンチャー企業と同様、たった4人でのスタートだった。創業者の堀場雅夫現会長は終戦後、京都大学で原子核融合を研究していた。やがてやってきた進駐軍が「日本にこんな研究はいらない」と設備をそっくり取り上げた。食い扶持を失ったのが起業のきっかけとなった。悔しさをバネにした。

 堀場もまた、京都的経営を貫く。国産初のガラス電極phメーター、赤外線分析計などを次々と開発する。日本が貧困にあえいでいた時期である。赤外線分析計は、人間が呼吸するときに排出する二酸化炭素の量を測る機械である。赤外線を応用した「比較法」は世界で堀場のほか、米国のもう1社しか手掛けていなかった。主流だったガスクロマト法に迎合しなかったところに、現在の発展の原点がある。

 1964年、自動車排ガス測定装置を開発し、翌年、販売を開始した。自動車車検場への納入はまだ先のことである。相次いで排ガス測定器の新製品を生み出すが、日本でまだ「公害」という言葉がマスコミに認知されていなかったころである。1970年に米国で合弁会社を立ち上げ、矢継ぎ早にドイツにも販売拠点を確保した。

 「気体」の測定から始まり「液体」「固体」へとその測定分野を広げた。時代が堀場を追いかけたといっても過言でない。現在の課題は昨年、買収したフランスの医療関連のインストルメント社を軌道に乗せることと、アジアでの事業拡大である。アジアは自動車向けだけでなく、昨年夏から秋にかけて浮上した「煙害」への対応もある。豊かさを増したアジア諸国にとって、国民の健康問題は避けて通れない課題となっている。

 ●地域で育つアカウンタビリティー
 世界に根ざした地方企業に共通していることは、オーナー経営が続いていることである。オーナー経営に関しては、ダイエーや松下電器産業など「経営の世襲」が問題視される傾向が強い中で、オムロンや村田、堀場が注目されるのは一方で求められている「アカウンタビリティー」をしっかり保っているからであろう。

 サラリ−マン社長になくてオーナー経営にあるメリットは、トップダウンによる迅速な意思決定とこのアカウンタビリティーである。社員だけでなく、常に株主への配慮も欠かさず、経営に目を光らす。これは地域に根ざしていることにも起因している。

 独自の製品を持ち、独自の経営方針を貫けば、横並び的世界である東京に本拠を持つ必要はない。逆に地方に拠点を持つ最大の利点は「トップが業界団体の会合や官僚とのつき合いに煩わされることなく経営に専念できる」ことである。従業員にも長時間の通勤などよけいな負担をもたらすことがないし、生活にゆとりを取り戻すことができる。

 堀場は「おもしろおかしく」を社是としている。「人生の半分を過ごす会社での時間が"おいしく"、有意義でなければ、人生が楽しくない」と説明する。言うは易しであるが、実践は難しい。そういえば、堀場は月1回だが週休3日制をいち早く導入した企業でもあった。

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