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吉野川のアユを助けるためにバケツ汲みした高松市民

1998年03月18日(水)
経済ジャーナリスト 伴武澄

 都村長生氏の著書「なんしょんな香川」を読んでいて1994年の暑かった夏を思い出している。農水省の記者クラブで毎夜、遅くまで仕事をしていると事務次官がよくやってきて農業談義をした。ある夜のこと、話題が香川県の水不足に及んだ。

 「俺は讃岐の丸亀の出身で、親戚が多く水不足で悩んでいる。さっきもペットボトルの水をたくさん宅急便で送ったところだ」

 1日の給水が5時間で夜間は完全ストップ。官公庁は冷房をストップし、家庭ではバケツでトイレに水を運んだ。ペットボトルで間に合うはずもなかったが、事務次官でなくとも香川にペットボトルの水を送った人は多かったはずだ。香川はもともと降雨量が少ないところに、水源の四国山脈でも雨が足りなかった。天災である。だれもがそう思って同情した。

 ●香川砂漠は人災だった
 だが、都村氏は「香川砂漠は人災だった」と主張した。香川県が命の綱とする香川用水は徳島県の阿波池田市付近で吉野川から引いている。香川県の市民は水不足に約半年苦しんだ。この間、徳島県側ではただの一度の給水制限もなく何事もなかったかのように過ごした。ともに吉野川を水源にしている。調べていくうちに真相が分かってきた。

 実は1976年、吉野川上流に早明浦ダムを建設したとき、香川県と徳島県のとの間で給水の配分が決まった。吉野川の既存の年間水流7.72億トンは徳島県のもので、早明浦ダムの完成によって増えた6.57億トンについて徳島4.1億トン、香川2.47億トンとなった。結果、徳島は計11.82億トン、香川は2.47億トンとなった。

 5対1である。配分の理由は分からない。とにかく県が違うだけで分け前が違っていた。この不平等に配分された水はさらに生活用水(厚生省所管)、工業用水(通産省所管)、農業用水(農水省所管)の三つに細分化されていた。

 都村氏によると、香川は年間6億トンの水を使い、徳島は5億トンが必要とされる。そもそも配分としてはあまりに不公平だった。だから香川県知事は徳島県に余っている水を分けて欲しいと懇願した。徳島県は水利権を盾に「ノー」と言った。自治体のお役所にとって水の配分は神聖不可侵らしい。

 徳島県側の水が涸れていたのではない。そういえば早明浦ダムの水位が日々下がっていった様は、テレビニュースで全国に放映されたが、吉野川が干上がった映像はなかったと記憶している。都村氏は「極論すれば、吉野川のアユを助けるために高松市民30万人は毎晩バケツで水汲みしたことになる」と結んでいる。

 ●香川県にない地元の話題
 都村氏は「なんしょんな香川」で、水の問題から行政の在り方を問いただした。「余っているのに飲めぬ水、車の走らぬ高速道路、人の渡らぬ大橋、誰にも買えぬ土地、人の泳げぬ海。いったい行政は何をしてきたのでしょうか」と。マッキンゼー・ジャパンと経て、1991年からコーポレート・メタモルフォシス・アソシエイツを主宰。中堅企業のリストラを事業化してきた目から地方行政にイエローカードをたたきつけた。憤懣は行政から一切、レスポンスがないことだ。

 最近は故郷の香川県に戻り、四国新聞の客員論説委員として精力的に県の意識改革のために筆を執っている。「なんしょんな香川」はパートU(教育編)、パートV(福祉・医療編)と続いている。きっと「香川」をほかの県名に直せば、どこの自治体にでも共通した問題だ。都村氏のような人がほかの自治体でもどんどん出現することを期待するしかない。

 ちなみに出版元は高松市本町9-29、ホットカプセル。田尾和俊社長があとがきを書いているが、これもおもしろいので最後に紹介する。

 「最近私が巷の雑談でよく聞いた社会派の話題をいくつか挙げてみます。
 住専、オウム、震災、トンネル事故、エイズ訴訟、TBS、沖縄、野茂・・・・・
 フランス核実験、台湾選挙、竹島、大和銀行
 1行目は全国的な話題。2行目は世界的な話題。3行目に地元香川県の話題がくるはずなのに、ないのである。何人かが集まって雑談している時、香川県の話がほとんど出ないのである」

 この嘆きもわたしたちのどこの都道府県の住民にも当てはまる。筆者は「なんしょんな香川」を読み終えて、ひょっとしたら何もしなかったのは農水省だったのではないかと考えた。農業用水を香川の生活用水に回すことができたのではないかと。  

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