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「もうろう記者会見」の根底にあるもの

2009年02月28日(土)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
 ■がんばります

 先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議でなく、まだ「蔵相サミット」とよばれていた頃だから、かなり昔のことだ。ベルリンで開催されたこの蔵相サミットがはじまる前に、日独蔵相会談が目抜き通りにある超高級ホテルの一室でセットされた。私がロビーのなかに入ると、日本から来たマスコミ関係者がたくさんいた。しばらく待っているとホテルの前に大きなクルマが止まり、数人の日本人が降りてくるではないか。私も立ち上がって入り口へいそぐ。

 M蔵相がお伴に左右から守られるようにしてロビーに入ってきた。彼は集まっている私たちに向かって、「わが国は、国際協調を重視いたし、、金融市場改革と不良債権処理とを車の両輪として、、力強く推し進めて、、、安定かつ自由で透明な金融システムを築くべく、、、努力いたします」とつかえながらいってから、立ち去ろうとする。

 私は、この日本の政治家が、私たちから質問もされていないのに、「努力いたします」ということに驚いた。次の瞬間私の横にいた女性が、小柄の大臣を抱きかかえるようにして横に連れて行き、一人だけで何か訊こうとする。そこで他の記者も追いすがった。彼女の質問は聞こえなかったが、大臣の回答のほうは、その前の発言と一字一句同じで、繰り返しに過ぎなかった。私は一瞬、学芸会のために前の晩一生懸命おぼえたセリフをいっている子どもを連想した。

 二カ国会談の相手になるヴァイゲル独蔵相のほうはなかなか現われない。ロビーに坐って私は走り書きしただけのM蔵相の発言をきちんと書き直した。金融市場自由化も、また日本の金融機関の焦付き債権問題も、当時連日のように新聞にでてくる話であったので、大臣の発言は無内容で情報価値がなかった。でも政治家の発言に情報価値を期待するのは、私がドイツの政治家の発言に慣れているからかもしれない。そんなことを考えているうちに、M蔵相の発言がオリンピックへ出発する代表選手団・団長が「がんばります」というのに似ているのに気がついた。

 その瞬間、その数年前にドイツの別の町であったサミットの記者会見が思い出された。それは、最初に質問に立った日本人記者が「首相、遠路はるばるドイツまでいらっしゃって、この度サミットで色々ごくろうさまでした」という意味のねぎらいのコトバをかけたことであった。当時、新聞記者が健闘したオリンピック選手に対するように政治家に接するのが私にはヘンに感じられた。

 この「ごくろうさま」を思い出しながら、私はこの表現が「がんばります」に対応していることに気がつく。(オリンピック代表選手でもない)政治家とマスコミの間にこのような関係あることこそ、日本の政治文化の重要な一部であり、また政治家の発言に情報価値が求められないことと底のほうでつながっているのではないのか。というのは、「がんばります」という発言に、あまり情報価値など求めないからである。

 ベルリン蔵相サミットのほうにもどると、当日ヴァイゲル蔵相はけっきょく20分近く遅れて到着。日独蔵相会談は10分あまりで終了。後でドイツ人記者から聞いたのだが、ヴァイゲル遅刻の理由は、近くのホテルで自国の記者といっしょに朝食をとり、彼らとすっかり話し込んでしまったからである。

 ■もし政治家がしらふだったら

 こんな昔話を長々としたのは、すこし前にローマであった日本の財務大臣・「もうろう記者会見」のためである。周知のように、この政治家は「世界に日本の恥をさらした」と批判されて辞職した。別にこの政治家を弁護する気など毛頭もないが、日本の政治家の記者会見に来る記者はそのほとんどが日本人であるので、本来「世界に」といった話しにならなかったのではないのだろうか。日本のメディアが憤慨して、財務大臣辞職という政治的事件になり、外国のメディアも報道したというのがその順序だった。

「世界注視の会議でまともに仕事をできたのかどうかが疑われる」と心配する人がいたら、これは、(しらべもしないで) 自国の政治家が(記者会見の前に酒さへのまなければ)サミットで「まともに仕事をした」と思うことになる。人々は、けっきょく「ごくろうさま」といえなかったから憤慨していることになり、すでにふれた「がんばります・ごくろうさま」のメガネで政治を見ていることにならないだろうか。

 インターネットで記事を読み、そこに貼られたリンクをクリックして記者会見の場面を眺めた外国読者は、日本人とは別の印象をいだいたと思われる。それは政治家が酔っ払って記者会見をすることは時々あることで、例えば、独週刊誌シュピーゲル・オンライン版は、眠そうにしている日本の大臣だけでなく、笑い上戸になったサルコジ仏大統領の記者会見の場面もみせていた。

 またローマの「もうろう記者会見」に関して「受け答えがまるでかみ合わない」というのも、とってつけたような非難である。もし政治家がしらふだったら、無内容な発言をしようが、また質問にこたえていなかろうが、誰も気にかけないからである。日本の国会のコンニャク問答は今にはじまったことではない。

 次に記者会見で居眠りしかかるほど緊張をとくことができたのは、政治家が、発言内容など気にかけない「がんばります・ごくろうさま」文化によりかかって、自国記者を応援団のように思っているからである。多くの日本の政治家が発言に関して無防備で、よく失言するのも、このことと無関係でない。新聞で読む日本の政治家の発言は、情報価値に乏しい「犬が西向きゃ尾は東」か、それとも「失言」か、という二つのケースしかないように思われることがある。

 日本には政治家に対して絶対的な不信を抱く人が少なくないが、このような政治文化と無関係でない。残念なことに、この文化は、日々吸う空気のように人々に自明で意識されないために、論じられることも少なく、その結果存在し続けて、代わり映えのしない事件がいつまでも繰り返されることになる。

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

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