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困難になった平和主義

2007年12月07日(金)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
 もうかなり前になってしまったが、10月28日付けの南ドイツ新聞をひろげると「桜の花を無理やりに死なせた」という見出しが目にとびこんできた。「散華」というコトバがしめすように、私たちは戦死を桜の花が散ることにたとえる。ここでいわれる「桜の花」は第二次大戦中の日本の特攻隊員のことである。 

 周知のように、第二次大戦中日本軍は米軍艦艇に対して航空機で体当たりする「特別攻撃」をした。記事を書いたドイツ人は、祖国のために命を犠牲にした特攻隊員が戦時下だけでなく、「過去の究明」の精神が欠ける日本国民から現在でも英雄視され続けていると主張する。

 この記事によるとこのような特攻のイメージが今や修正されなければいけない。その理由は、ニューヨーク在住・リサ・モリモト監督の映画「TOKKO−特攻」のなかで今まで沈黙してきた四人の元特攻隊員が「洗脳されただけでなく、殴られたり、虐待されたり、拷問されたりするなどの残酷な圧力を受けて特攻するように仕込まれた」ことを告白したからである。こうして「特攻隊員は、、、愛国的自殺行為を強いられた」ことになり「英雄でなく犠牲者であった」と記者は結論する。

 ■「カミカーツェ」青年

 記事を読みながら、昔はじめてドイツに来たときに体験したことが思い出された。酒場でビールを飲んでいると私は見知らぬ青年から話しかけられた。私が日本人だとわかると、彼は熱心に話しだし「カミカーツェ」という単語が何度もくりかえす。私は「カミカーツェ」が「神風特別攻撃隊」のこととは知らず、はじめのうち彼のいうことが理解できないで困った。

 そのうちに青年の話すことがわかるようになると、私はもっと困ってしまう。というのは、彼が特攻のことを勇敢だといってほめちぎるからである。ところが、当時の私にとって特攻は勇敢だったといってすませるような問題でなかった。この点を理解してほしいと思って彼に説明しだすが、語学力不足でうまくいかなかった。

 このときがはじめてである、特攻を無邪気に英雄扱いする人に出会ったのは。それも日本でなくドイツでである。日本にもこの外国人の「カミカーツェ」青年のように特攻を英雄視する人もいるかもしれない。でも多くの人は戦後複雑な気持を抱いていたし、また今でもそうではないのだろうか。

 南ドイツ新聞の記事にもどると、この記者は、特攻に関して「自由意志」でなければ「強制」だったとか、「英雄」でなければ「犠牲者」であったととか考えているようであるが、本当にそうなのだろうか。

 まず「自由意志」と「強制」であるが、私たちの日常生活では往々にして対立概念である。誰かが買うことを強いられたのか、本当に買いたいと思って買ったのかは重要な相違で、とくに法律の世界では大きな意味がある。ところが、戦争に負けかかった国民にとってこの二つのカテゴリーが限りなく接近するところがあったのではなかったのか。

 記事の中で主張されるように暴力によって無理強いされたかどうかは別にして、大多数の人間は死にたいと思わないので、当時の状況そのものが強制的であった。それでも特攻する兵士は操縦桿を最後の瞬間までしっかりと握って突入方向を保たなければいけないが、これは自由な意志の力がないとできない。

 次に、当時を体験した人々が書き残したものを読めばわかるように、多くの兵士は、選択肢といっても今日死ぬかそれとも一週間後に死ぬかの違いしか見ることができなかった。こう考えると、自由意志だったか、それとも強制だったかという問いそのものが時代にふさわしくない。私たちは、特攻が実行された当時の状況を現在の私たちの状況に置き換えていて、そのことに気がついていないのではないのか。

 また「英雄」も「犠牲者」もこのドイツ人記者にとって相反することかもしれないが、戦後の日本人にはかならずしもそうでなかった。当時「きけわだつみのこえ」や「あゝ同期の桜」を読む人は少なくなかった。特攻隊員について、例えば大岡昇平は次のようにしるしたが、私たちの複雑な気持をしめす。

《想像を絶する精神的苦痛と動揺を乗り越えて目標に達した人間が、われわれの中にいたのである。これは当時の指導者の愚劣と腐敗とはなんの関係もないことである。今日では全く消滅してしまった強い意志が、あの荒廃の中から生れる余地があったことが、われわれの希望でなければならない》(「レイテ戦記」上巻285頁)

 南ドイツ新聞の記事には、特攻隊員のイメージが訂正されなければならないとある。でもここでいわれるイメージは日本人が抱いているイメージではない。「カミカーツェ」青年の無邪気な特攻観を出発点にして、日本人ならもっと英雄扱いしていると勝手に思い込んでいるだけではないのか。とすると、この記事は(、これもよくあることだが、)現実の日本人でなくドイツ人の頭の中にある「日本人」についての報道ということになる。

 ■新しいファイルを上書きしますか

 ここで話がとぶが、Windows95を習いはじめた頃「新しいファイルを上書きしますか」という表示に私は好感をおぼえた。周知のように「はい」をクリックすると「前のファイル」が消えて、「上書き」された新しいファイルしか残らない。「いいえ」を選び、新しいファイルを別名で保存すると、今度はどちらのファイルも残る。こうして「前のファイル」を残して置くと、どのように変わったかも跡付けることができる。ところが「はい」ばかりをクリックしているとそれができないで、新しいファイルを絶対視してしまう。

 過去の出来事について、例えば特攻について理解しようとするとき、当時の状況や人々の考え方をさぐるために残されている「前のファイル」というべきものを参考にしないと「上書き」されたファイルだけになってしまう。その結果現在の視点を絶対化してしまい、人々が当時置かれていた本当の状況を理解しないことにならないだろうか。また半世紀以上もたってからの体験者の回想も「上書き」に近い。

 ここまで過去の記述についてのべたが、外国について報道する場合も事情が似ている。人々は私たちとは異なった思考様式や価値観をもっている。同じ現実も違った視点から眺めているので、異なって見える。この事情をさぐるために「前のファイル」というべきものがあって、これを無視することは、「上書き」されたファイルだけで済ませ、自国文化の視点を絶対化することにつながらないか。

 今年の2月ドイツで米映画「硫黄島からの手紙」が封切られた。当時ドイツのメディアに対するインタビューの中でクリント・イーストウッド監督は「父親たちの星条旗」の撮影準備をしながら相手側の考え方に、特に司令官の栗林中将に関心をおぼえたと説明した。また彼は、1940年代に米国でつくられた戦争映画が「勧善懲悪」の戦争宣伝だったことを指摘し「、、、相手側の視点から事件を語ることによって戦争宣伝の影響からまぬがれることができると思った」という(2007年2月21日付け南ドイツ新聞)。

 「相手側の視点から語る」ことは、Windows用語で表現すると、今まで日米で繰り返された無数の「上書き」の下に埋まっている「前のファイル」を掘り出す作業である。映画は、60年後の2005年に洞窟の土の中に埋まっていた「硫黄島からの手紙」が発見される場面からはじまり、手紙が掘り出されて読まれる場面で終わるが、これはイーストウッド監督の意図の象徴的表現である。

 「相手側の視点から語ろう」とすることは、「前のファイル」は残っていないことも多く、困難でまた不可能である。とはいってもこれは「相手側の視点」の存在を認めることであり、相手を理解するための第一歩である。このように考えると、イーストウッド監督は、読者が抱く日本のイメージをコンファームするだけの多くのドイツの新聞記者とは正反対のことしようとしたことになる。

 ■米介入戦争の正当化

 イーストウッド監督の「相手側の視点から語る」ことによって戦争宣伝の影響からまぬがれる」を逆にすると、「相手側の視点から語ろうとしないこと」は「戦争宣伝の影響からまぬがれない」になる。南ドイツ新聞の「カミカーツェ」記事は一見「特攻」に代表される軍国主義を批判し、反戦的な立場をとっているようにみえないでもない。でも本当にそうなのだろうか。このことを考えることによって、反戦も平和主義もいかに困難なことになったかがわかるのではないのだろうか。

 この記事によると戦時下二つのタイプの日本人がいたことになる。第一のタイプは「特攻」をはじめとする自滅的行為の実行を強いられた犠牲者・日本人である。第二のタイプは狂信的な軍国主義者で、彼らは自国民に自滅行為を強制した加害者である。

 次に、欧米はアラブテロと直面しているために「特攻」についての記事もアクチュアルなスクリーンに投影され、読者の頭の中で次のような等式が成立する。

 A:自殺行為を強いられた特攻隊員=アラブ自爆テロ

 B:狂信的軍国主義者=イスラム過激派指導者

 記事は、この等式によって(戦時下の日本と同じように)、例えばパレスチナ人はハマース指導者から自爆テロ実施を強いられているというメッセージになる。こうしてハマースはイスラエル市民だけでなく、同国人までも死に追いやる二重の意味での殺人者集団になる。ということは、「カミカーツェ」記事は読者が自爆テロの背後に政治的な意味を見なくなることに役立っていないだろうか。この結果、政治的解決がどんどん不可能になることはいうまでもない。

 次に記事の中では、元特攻隊員4人が強制されたと証言しただけで特攻隊全員がそうであったかのようになる。これは、当時軍国主義者の圧政下にあった犠牲者・日本人が国民の大多数をしめていた印象をあたえようとすることで、こうして次の等式が成立する。

A´:戦時下の日本国民の大多数=圧政下の住民

B´:日本の軍国主義者=独裁者と少数の追従者

 この等式こそ、米国の介入戦争正当化のイデオロギーである。A´のところでイラクやアフガンやイラン国民などを、B´のところでフセインやタリバンやイラン現政権などの圧政者を、いくらでも付け加えて等号で結びつけることができる。このイデオロギーは、A´の大多数の住民が米軍を解放軍として歓迎し、B´が国民のごく一部で簡単に除去できるとする思い込みである。

 米国の政治家が昔から演説の中でB´を「癌腫瘍」に、戦争を「外科手術」にたとえるのは、この戦争観の比喩的表現である。第二次大戦敗戦国の日本とドイツは米国式外科手術の成功例としてよく宣伝につかわれる。2003年イラク戦争の前もそうであった。

 ところが、ドイツと日本の当時の現実は、ナチ、ファシズム、軍国主義の癌細胞が身体中に転移している状態で、A´とB´の米国の戦争観通りでなかった。吉見義明著「草の根のファシズム」(1987年東京大学出版会)を読んでも、当時の日本に平和主義者がたくさんいた印象は受けないのではないのか。もっとおもしろいのは、ドイツのほうが日本より米国の戦争に協力的なことである。戦中世代が社会の中で少数派に転落した前世紀80年代頃から、戦争終了日の1945年5月8日を「解放日」と見なすようになった。これは米国の戦争観を「上書き」したことになる。

 60年以上の昔の「診断書」を書き変えて平和主義者や抵抗者の数を増やすことに、何の意味があるのか。またそんなことを外国人の記者からしてもらって光栄に感じる日本人がいるのだろうか。もし今でも反戦や平和が重要だと思うなら、自国の歴史が戦争宣伝に利用されることに対して、少しぐらいは敏感であってもいいように思われる。

 美濃口さんにメール Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

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