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もはや再起は論外の「赤福」

2007年10月22日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄
 伊勢の赤福が製造年月日偽装や売れ残り品の再利用などで営業停止になった。2年半、三重県でお世話になっていただけに無念でたまらない。

 伊勢神宮の門前町としての人気のおかげ横丁は、赤福の前社長の濱田益嗣さんの声掛けで江戸・明治期の風情を復活したもの。町づくりは鉄筋だった赤福の本社を真っ先に取り壊して木造二階建てに建て直すことから始めた。伊勢観光の中心はもちろん伊勢神宮なのだが、門前町あっての神宮でもある。その証拠に15年ほど前におかげ横丁ができてから参拝客は何倍にも膨れ上がった。

 毎月1日にだけ売り出す「朔日餅」(ついたちもち)は人気で午前4時には多いときで1000人を超す人々がその発売を待った。伊勢の人々が1日の早朝に伊勢神宮をお参りする風習の「朔日参り」がむかしからあり、その参拝客に対して売り出したのが口コミで人気となり、近隣府県からも「朔日餅」を求める客が深夜から早朝にかけて伊勢を目指す社会現象ともなっていた。筆者も12カ月、早起きしてすべての朔日参りの満願を達成した。

 濱田さんのほかに前も後もないといっていいほど伊勢観光に対する濱田さんの貢献度は高かった。その濱田さんが商工会議所や観光協会といった“公職”から身を引くことになれば、伊勢の町は灯が消えたように閑散となることは間違いない。

 濱田さんの過去の貢献度が高かったからといって、今回の不祥事の責任が減じるものではない。「つくりたて」といっていた赤福が「冷凍ものだった」ことは100歩譲れると思っていたが、売れ残り品のあんともちを分離して再利用していたというのでは申し開きができない。品性の問題である。伊勢にとっての赤福は単なるみやげのお菓子ではない。札幌の「白い恋人」とは違う。

 2年前、三重にいたころ、赤福の広報担当者から今年が創業300年であることを知らされていた。創業300年の赤福はまた世間をあっといわせることをしてくれるに違いないと信じていた。赤福は伊勢市民と全国の伊勢ファンを二重に裏切ったことになる。ここまでやればたぶん赤福の再起は不能だろう。伊勢観光にとっては打撃は計り知れないだろうが、赤福はもう再起を期待するようなレベルではない。そんな思いが募っている。

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