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原爆100万人米兵救済神話の起源

2007年07月08日(日)
東京大学教授 中澤英雄(ドイツ文学)
 久間章生氏の「原爆はしょうがなかった」発言につづき、米政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使(前国務次官)が7月3日に、広島・長崎への原爆投下について「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の数十万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語ったという。
http://www.asahi.com/politics/update/0704/TKY200707040381.html

 アメリカは以前から、原爆は100万人の米兵の命を救った、として原爆投下を正当化してきたが、今度は、「何百万人もの日本人の命を救った」と、日本国民にまで、原爆投下に感謝せよ、と託宣するわけである。こんな議論に関して「ほとんどの歴史家の見解は一致する」というのであれば、どういう歴史家がそういう見解を述べているか、ジョセフ氏は明らかにすべきである。

 原爆が何百万人もの日本国民の命を救った、という神話はともかくとして、アメリカでは、原爆が100万人の米兵を救った、という神話が流布し、今でもそれを信じている米国民は少なくない。以下では、この神話がどのようにして生まれたかを考察する。資料は仲晃著『黙殺』上・下(NHKブックス)である。

 ■トルーマンがあげる3種類の数字

 『黙殺』上巻によれば、原爆投下の指示を出したトルーマン大統領は、戦後になって、原爆によって救われた米兵の数を少なくとも3種類あげている(122頁)。

(イ)25万人:1948年4月12日、妹に宛てた手紙
 「米兵25万人を救うため」(トルーマンは「lives」と書いているので、25万人の戦死者を救うため、という意味になる)。

(ロ)50万人:1955年に出版された回顧録
 「マーシャル将軍は、敵を〔原爆を使わないで〕本拠地で降伏させるには、50万人の生命が失われることになるかも知れないと私に告げた」

(ハ)100万人:1953年、シカゴ大学ケイト教授への手紙
 マーシャル陸軍参謀総長から、「アメリカ軍の戦闘犠牲者(カジュアルティーズ)は、少なく見積もっても25万人、多ければ100万人にものぼるかも知れない」と聞かされた。

 ここで注意しなければならないのは、戦死者(lives)と戦闘犠牲者(casualties)の違いである。米軍が「カジュアルティーズ」と言うときには、それは戦死者、負傷者、行方不明者を合計したものをいう。日米戦における米軍の戦死者は、全戦闘犠牲者の平均20〜25%であった(『黙殺』上巻70頁)。負傷者の中には、数週間の治療で、戦線に復帰できる者たちも含まれる。

 (ハ)では「戦闘犠牲者(カジュアルティーズ)」という言葉が使われている。戦死者をその25%とすると、トルーマンは「少なくて6万2500人、多ければ25万人の戦死者」とマーシャルから聞かされていた、ということになる。

 トルーマンがあげる数字は、時と相手によって違っていて、とうていまともな根拠があるとは思えない。彼は数字の根拠を「マーシャル将軍」=「マーシャル陸軍参謀総長」に帰している。それでは、マーシャルがその時々に、違った数字をトルーマンに情報としてあげたのであろうか?

 ところが、マーシャルが日本上陸作戦によって生じる戦闘犠牲者数(=原爆投下によって救われた戦闘犠牲者数)を(イ)(ロ)(ハ)のような数字で推計し、トルーマンに報告したことを示す公式文書は一つも存在しない。

 マーシャル自身は、トルーマンのでたらめな数字について言及も反論もしなかった。仲氏は、

「トルーマン大統領が戦後、原爆投下の決定と関連して、マーシャル元帥の権威を利用して戦争犠牲者推定をクルクルと変えながら引用するのを見ても、当のマーシャルは一度も抗議はおろか、不平も漏らさなかった。ノーベル平和賞さえ受けたマーシャルが、自分の人間的評価を犠牲にしても貫いた彼なりの祖国への忠誠のかたちであった」(129頁)

と推測している。つまりマーシャルは、トルーマンの嘘に内心は不快感をおぼえながらも、「国益」のためにあえて沈黙を守ったのであった。

 ■1945年6月18日の最高会議

 沖縄戦の終結が間近に見えてきた1945年6月18日、今後の日本侵攻をめぐってホワイトハウスで最高会議が開かれた。日本上陸作戦には当然大きな損失が予想される。その被害を推計しないで作戦を立てることはできない。

「現在までの時点で、日本上陸作戦による米軍の被害を推定したもので、公式記録に残っている最も権威あるものは、1945年6月18日(月曜日)午後3時半から、米軍の文字通りの最高首脳部を集めて、ワシントンのホワイトハウスで開かれた会議での各種の発言である」(『黙殺』上巻131頁)

 この最高会議の資料として、「統合作戦計画委員会」は、日本を降伏させるための3通りの本土上陸作戦案を作成し、各作戦における戦闘犠牲者も予測もした。

〔第1案〕南九州に上陸、次に北西九州に上陸。
 戦死2万5千人、負傷10万人、行方不明2500人(総計12万7500人)

〔第2案〕南九州に上陸、次に関東平野へ侵攻。
 戦死4万人、負傷15万人、行方不明3500人(総計19万3500人)

〔第3案〕南九州、次に北西九州、さらに関東平野へ侵攻。
 戦死4万6千人、負傷17万人、行方不明1万4千人(総計23万人)

 6月18日の会議では、マーシャルは戦闘犠牲者の推定については触れずに、作戦メモを読んだ。そのあとの議論では、マーシャル、キング、リーヒ、マッカーサーの各元帥が戦闘犠牲者の推定を述べた(マニラにいたマッカーサーは電報で)。それによると、推定戦闘犠牲者は最低3万1千人、最大6万5500人程度であった(135頁)。これは、統合作戦計画委員会の数字よりも著しく小さい。元帥たちはそれほど日本上陸作戦を楽観的に見ていたのである。この会議では結局、第2案が採用された。

 ■25万人の根拠

 トルーマンは「統合作戦計画委員会」の戦闘犠牲者推定を読んでいないが、会議の席で「推定戦闘犠牲者は最低3万1千人〜最大6万5500人」という議論は聞いている。

 繰り返すが、6万5500人というのはあくまでも全カジュアルティーズの数である。戦死者はその4分の1ないしは5分の1である。大統領ともあろう者が、そのことを知らないはずはない。ただし、もしこれが戦死者の数であるとすると、全カジュアルティーズは、6万5500人×4または5=26万2千または32万7500に膨れあがるが、これは第3案の数字にほぼ対応する。

 トルーマンの(イ)の「25万」という数は、おそらくこの6月18日の会議の記憶によるものであろう。トルーマンが数字を膨らませていったプロセスは以下のようであろうと推測される。

(1)カジュアルティーズ約25万(1945年6月18日の会議から)
     ↓
(2)戦死者25万(カジュアルティーズを戦死者と読みかえ。「イ」の妹への手紙に対応。1948年)
     ↓
(3)戦死者が25万なら、全カジュアルティーズは100万になる。(「ハ」のケイト教授への手紙に対応。1953年)
     ↓
(4)戦死者50万人(戦死者数をさらに2倍に膨らます。「ロ」の回顧録。1955年)

 驚くべき数字の水増しだが、トルーマンが意識的にこういう数字の操作を行なったとは考えられない。意識的に数字を操作したのであれば、あとから嘘がすぐにばれるような矛盾した数字をあげるわけはない。仲氏は、

「トルーマンが次々と数字を膨らませたのは、広島と長崎での原爆による大量の死者に対する内心の動揺を鎮め、日本への原爆攻撃の妥当性について、1950年代に聞こえるようになった批判の声を沈静化させるためであった、とする見方が多い」(130頁)

と述べている。

 トルーマンは、自分の罪の意識を和らげ、非人道的な原爆投下を世界人類に対して正当化するために、無意識からの衝迫に突き動かされて、原爆によって救われた米兵の数を、戦死者とカジュアルティーズを混同することによって、次々と水増しせざるをえなかったのである。

 ところがその後、アメリカでは、トルーマン自身が直接は述べていないにもかかわらず、

(5)原爆によって100万人の米兵の命が救われた。

という新たな神話が生まれた。これは(3)の「100万人のカジュアルティーズ」が「100万人の戦死者」にすり替えられて出てきた数字である。そこではいつでも、戦死者とカジュアルティーズの混同という同じインチキ計算式が使用されている。

 この神話を宣伝しているのは、軍事史研究家のエドワード・ドリアやD・M・ジャングレコなどである(仲氏著書)。これは、トルーマンではなく、アメリカ国民が、みずからの行為を正当化し、罪の意識を和らげるためにつくり出した神話である。この神話にさえも安住できず、アメリカ国民は、「原爆は何百万人もの日本人の命を救った」という新たな神話まで必要としているのであろう。

 だが、事実を直視しないで、虚構で罪の意識を隠蔽しているかぎり、アメリカ人の心に永遠に平安が訪れることはなく、次から次へと新たな神話を必要とするのである――ちょうど、次々と数字を膨らませていったトルーマンと同じように。

 メールアドレス: http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/ をご覧下さい。

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