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地獄とは今のイラクではないのか
 ‐フセインの処刑について


2007年01月10日(水)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
 ドイツには「分割して支配しろ」ということわざがある。その意味をもっとはっきりさせると「分裂させて支配しろ」になる。このことわざは日本では「分割統治」といわれている。ちなみにこのコトバをインターネットにある国語辞典・大辞泉で「分割統治」を検索すると次のような説明がでてくる。

‐支配者が被支配者の間にある民族的、宗教的、経済的利害の対立をあおり立てて、互いに分裂・抗争させることで統治の安定をはかる政策。植民地統治によく用いられた‐

 この「分割して支配しろ」がときどき「デヴィーデ・エトゥ・インペラ」とラテン語でいわれることからわかるように、ドイツだけでなく欧米で、このことわざは昔から上に立つ人がもつべき知恵とみなされてきた。労働組合が生まれたのもこの「分割統治」に対抗するためで、欧米語の「連帯」というコトバに人々を高揚させる力があるなら、このことわざにリアリティがあるからである。

 大辞泉の説明の最後にあるように、この考え方は植民地支配に猛威をふるった。今でも欧米の介入をうけたアジアやアフリカがお互いに分裂・抗争させられる構図になることが少なくない。

 ■復讐リンチ裁判

 もう少しでお正月と思いながら、大晦日に私が日本の新聞を眺めていると「フセイン死刑執行、報復ではなく団結の日に」という見出しが見える。私がこんなおめでたい気分になれないのは、このフセイン裁判に関しても、また米国がイラクでしていることについても、「分割統治」の疑いを抱いているからである。

 米国が独裁者の責任を問うために特別国際法廷を設置しなかったのは、はじめからまじめな裁判をする気などあまりなかったからといえる。「平和に対する罪」に対して知らん顔をして「人道に対する罪」を強調するのも見え透いた話で、イラクに対して侵略戦争をした以上、風向きがかわって自分のほうに火の粉がかかってくるのが心配だからである。
 いうまでもなくイラク国内の特別法廷で裁判するほうがフセインの口封じをしたり、また米国国内の事情(例えば選挙)にあわせて判決をくだしてもらったりするのにも便利がいい。

 一般に前政権担当者を裁判にかけることは、前政権支持者と反対者の対立をもたらす。それも、国際法廷でなく国内で紛争当事者が裁判に関係するほうが、裁判が対立の決着をつける場になって、対立の危険がかえって増幅する。このように考えると、国内法廷のほうが(大辞泉にあるように)「被支配者の間にある民族的、宗教的対立をあおり立てて、互いに分裂・抗争させる」可能性が強い。

 フセイン裁判を「勝者の裁判」とよぶのは正しくない。ニュールンベルクや東京では米を筆頭に戦勝国は当時姿をみせて裁判した。ところが、今度の裁判は勝者・米国が隠れて遠隔操作をするだけである。こうして勝者が姿を見せない以上「勝者の裁判」とはいえない。それまで敗者で弾圧されてきたシーア派やクルド人が勝者になる裁判で「復讐リンチ裁判」という名称にふさわしい。

 東京裁判を批判する人々は一度フセイン裁判の経過をふりかえるべきである。そうすると、清瀬一郎以下弁護人が次から次へと暗殺されて東条英機が11日間も抗議のハンガーストライキをすることもなく終了した60年前の「勝者の裁判」が「古き良き時代」の出来事であったことに気がつくはずである。

 ■死者にムチ打つ

 数日前からインターネットでサダム・フセイン処刑の場面を見ることができる。映像が揺れて音質もよくない。録音されている会話はアラビア語であるが、幸い英語やドイツ語に訳されているのでそれを参考にして今から場面を再現する。

 縄を首に巻きつけられたフセイン「神よ」とつぶやき、その場にいる何人かの人々がお祈りを唱える。突然誰かがシーア派民兵組織の指導者ムクタダ・サドルの名前を繰り返して叫ぶ。それに驚いたフセインが「お前たちはこうして男としての勇気をしめすのか」という。叫んだ男が「地獄に落ちろ」と罵ると、フセインが「それがアラブ人の勇気なのか」と今一度ただす。その男は「地獄に落ちろ」という罵りをもう一度繰り返す。それに対してフセインは「地獄とは今のイラクではないのか」とこたえる。

 誰か(ファルーン検察官といわれている)が罵ったりする人たちに対して「この人(フセイン)は今から処刑される。静かに」と止めに入るが、それまでとは別の男性が、(フセインに昔殺された)ムクタダ・サドルの父の名前を挙げて「万歳」と叫ぶ。

 その後フセインが眼をつぶりながら祈りはじめるが、最後の「アラー」という文句をいう前に、落とし戸が開き彼の身体が猛烈な勢いで落下。人々が「独裁者は倒された。神よ、この男を呪え」とか「つるしたままにしておけ」とか叫び、誰かが死者としての冥福を祈ろうとするが、人々から罵倒される。

 死者にムチ打つこの処刑場面も、ひそかに撮影されてその映像が流布してしまったことも前代未聞の出来事で、「復讐リンチ裁判」にふさわしい幕引きである。シーア派に対するスンニ派の憎悪をあおることは間違いない。

 ファルーン検察官は、罵る人々をとめようとしてその声が録音されているが、英BBCテレビに対して米軍兵士が立会人全員を入室時に厳重に検査し、彼自身も携帯電話を取り上げられたのに、2人の政府高官が携帯電話を持ち込んだと語っている。その携帯電話のカメラが撮影につかわれた可能性が強い。米国は処刑がイラク政府主導で実施されたことを強調している。もちろんそうかもしれないが、スンニ派アラブ人がシーア派に対する憎悪を強めることは米国にとって都合の悪い話ではない。

 従来イラクで米国はフセイン政権を支えたスンニ派に対してきびしく、シーア派を重用するところがあった。でもこれはシーア派のイランの影響力強化につながり、米国の中東全域での戦略に矛盾することから、現在軌道修正が意図されているといわれる。

 またかなり前から米国はサウジやエジプトなどのスンニ派諸国を反イラン陣営に組み込もうとする外交を展開している。また(今まで成功していないが、)水面下でイラク国内のスンニ派抵抗勢力とも交渉しようとしているといわれる。フセイン処刑でスンニ派がシーア派を憎悪することは、イランを孤立させようとする米国の中東戦略の展開にとって具合のよいことである。この戦略の目的はイスラエルがイラン攻撃に踏み切ったときに紛争が広がらないようにするための環境作りでもある。

 ■ランセント・レポート

 欧米社会は、1990年のクウェート侵攻以来フセインを殺人鬼扱いしてヒットラーの横に並べることにしている。でも彼のしたことを歴史的また国際政治的な文脈の中で理解しようとしないで、単なる犯罪事件と見なすのは、米英の政治的責任を隠すことにつながるのではないのだろうか。

 フセインの「悪事」とは、冷戦時代のバース党の共産主義者退治にしろ、80年代の対イラン戦争にしろ、対米協力でもあった。だからこそ、イタリアの新聞「ラ・レプブリカ」はフセインが米国から捨てられた「操り人形」だったと書く。また彼は残酷で必要もなく多数の人を殺したかもしれない。でもこれも、英植民地主義が残した「人工国家」イラクの統合を保持するためにしたことでもある。とすると、彼のしたことは犯罪的であっても、あくまでも政治行為であった。

 少しまえイラクでの米軍戦死者数が3千人を超えて話題になった。ところが、米英のイラク占領によって発生し内乱状態・無法状態で死亡したイラク人の数に私たちはあまり注意を払わない。自爆テロのニュースを聞いて多数の死者が出ていると漠然と思っているだけである。最近イラク内務省から2006年に1万2千人の民間人が死んだと発表されたが、現実はもっと多いとされる。

 これに関連して昨年10月11日に英医学雑誌「ランセント」が発表したレポートは衝撃的である。著者は、アンケー調査に基づいて米英イラク占領が開始して今までに内乱状態・無法状態で死亡したイラク人の数を65万人以上と推計した。この数は人口の2,5%で、フセインに殺されたイラク人の数を上回る。またこの調査によると爆弾より射殺されたイラク人のほうがずっと多いそうである。

 また国連難民高等弁務官事務所によると、現在イラクの難民数が340万人もいる。重要なイラク人政治家はロンドンで暮らしていてバグダッドに単身赴任していることが多いそうだ。政府や議会があると、私たちは国家として機能していると思いがちだが、いつもそうではない。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

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