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右か左かの踏み絵風(2)−「靖国問題」とはなにか

2006年06月28日(水)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
 ■靖国神社との共通点

 ここで日本に眼を向ける。まず欧米諸国に見られる軍人墓地をつくる習慣は日本では発達しなかった。確かに日本にも陸軍墓地や海軍墓地があるが、その性格はあくまでも陸軍(海軍)関係者の墓地であり、欧米にある軍人墓地と異なる。死んだ兵士の追悼と関連して日本で重要であるのは靖国神社である。これは、死体と関係がない「セノタフ(空っぽのお墓)」で、その点でドイツの「戦士の碑」と同じである。但しドイツのように市町村分散型でなく靖国神社に一極集中し、また名前を石に刻み込まずに紙に書いているが、でもどちらも国家のために死んだ兵士の名前を半永久的に残そうとする本質部分で共通する。

 欧米の戦没者追悼文化は「戦士の碑」という記念碑(セノタフ)からはじまって、その後お墓作りに発展した。日本ではそのような発展をたどらずに靖国神社のままにとどまったのは、日本の死者儀礼の在り方、特に昔から「埋め墓」と「参り墓」に分けて追悼に関して死体に重きを置かなかったことと関係があると思われる。私たちは自国戦没兵士が野晒しになっていることをいいとは思わないが、欧米人とくらべて、それを苦にする度合いがはるかに低い。死体に対する彼らの考え方は火葬することが多い私たちとは異なり、(改葬現場でのドイツ人の作業を見たらわかるが、)遺体全体を可能な限り残そうとする態度に反映する。
  
 戦没兵士追悼文化は戦争遂行の精神的インフラ整備・戦意高揚もその目的であるが、この点で靖国神社とドイツの「戦士の碑」も共通する。あるドイツの歴史家の表現を借りれば、「国のために死んだ人に感謝するだけでなく、この戦没者を同時代人がうやまい、後世が模範とするように」仕向ける顕彰が重要な機能の一つである。負けたいと思って戦争する国などない以上、これもあたりまえの話である。

 ドイツをはじめ西欧諸国の戦没兵士追悼文化の根底にどんな思想があるのだろうか。昔ヨーロッパ社会では傭兵時代の兵士は軽蔑されていて、まともな市民が同席したがらなかった。それが国民軍になり普通の市民が兵士になったために、それ以前に考えられなかった特別待遇をあたえる習慣が生まれる。これは兵士の社会的地位の上昇であり、兵士である普通の国民(すなわち市民)が国家の主人公になり、主権在民型の「国民国家」に近づいていくことの反映である。

 次に、国民国家のイデオロギーのネーション(=国民主義)という考え方について、ベネディクト・アンダーソンは「想像の共同体」の中で「国民は一つの共同体として想像される。というのは、国民の中にたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は、いつも同等の人間の仲間関係として心の中でイメージされているからだ」と書いているが、戦没兵士追悼文化はこのような考え方の表現である。

 日本人の多くは欧米の軍人墓地を外国映画で見たことがあるのではないのか。例えばスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」は無数の白い十字架の墓石が緑の芝生に立ち並ぶノルマンディーの米軍人墓地の場面からはじまる。軍人墓地のスタイルは国によって異なるが、それでも共通する原則がある。それはどの兵士も、死んだという理由だけで、戦功という業績や氏素性と関係なく、同じかたちで同じ大きさの墓石をもらうが、これは、アンダーソンが書いたように、国民が「同等の人間の仲間関係」にあると想像されているからである。

 この原則は、墓石や「戦士の碑」の碑板に刻み込まれた名前にも適用されて、どの名前も同じ大きさで(たいていは)碑板に没年順に名前が刻み込まれていて、戦功のあった兵士の氏名が優先的に強調されることはない。故郷の「戦士の碑」の碑板と異なって、戦場に近い軍人墓地の墓石のほうには名前だけでなく所属と階級が表示されていることがあるが、それは所属と階級は軍隊生活で名前の一部と見なされているからである。重要なことは(所属や階級と無関係に)どの死んだ兵士にも「同等の人間の仲間関係」の原則に則して同一の墓石があたえられる点にある。

 ここで靖国神社に話を移すと、「霊璽簿」とよばれる合祀名簿に入る条件は本来兵士として戦場で死んだことだけであり、戦功(生前の業績)や素性は無関係である。また戦功があったからといってその戦死者の氏名が特別に大きな字で書かれているわけではない。こう考えると、「同等の人間同士の仲間関係」の表現という重要な考えが日本の靖国神社にも見られることになる。そうであるのは、19世紀の後半に近代国家への道を歩みはじめた日本も、ネーション(=国民主義)という考え方を共有し、「現実には不平等と搾取があったにせよ」、国民国家への道を歩んでいたからと思われる。 

 参考までにつけくわえると、ドイツにはソ連軍の軍人墓地や戦没者追悼施設があるが、軍隊内の階級も戦功も、重要視されて、戦死者のなかで一番高位の将校と功績のあった「ソビエトの英雄」が一番目立つ場所に位置するなど特別扱いされている。これは、この国が国民国家というタイプでなく、(アンダーソンの意味での)ネーションについての考え方からほど遠い国家であったことをしめす。

 もともと軍隊とは強制的な性格があるもので、お墓がつくられることも、また「戦士の碑」の碑板に名前が刻み込まれることも遺族の承諾なしで実施される。日本では合祀取り消しを求めて裁判をおこす人がたくさんいる。ドイツでは(私の知るかぎり、一度だけ)1950年代にロシア戦線から帰還しない息子を待つ母親が「戦士の碑」の碑板に戦死者の傍らに「行方不明者」として息子の名前が刻み込まれていることを怒って取り消しを求める裁判を起こした。彼女は下級審から上級審まで全敗する。「足抜き」が不可能なのは靖国神社だけでない。

 ■国際社会での「靖国神社」

 戦後「右か左かの踏み絵風」が続いたかもしれないが、それはあくまでも国内だけの話で、大きな争点ではなかった。ところが今や靖国は世界的知名度を獲得した。(日本にいると見えにくいかもしれないが、)こうなった原因の一つは、欧米主導の国際社会が1970年代の後半からホロコーストというテーマを発見して、第二次世界大戦という「過去」について議論することが流行になったからである。そうなったのはいろいろな要因が重なったからと説明される。

 第一の要因は、ベトナム戦争の精神的後遺症を患う米国社会にとって、第二次大戦という自国が成し遂げた「偉大なる人類解放事業」を思い出すことが癒しになったこと。第二次大戦に従軍した世代が「もっとも偉大なる世代」とおだてられるようになったのもこのためである。次の要因は、米国歴史学者のピーター・ノビックによると、宗教離れからアイデンティティーを失いつつあったユダヤ系米国人にとって、ホロコーストが旧約聖書に代わって「ユダヤ民族共同体」の絆は強める機能をもつようになったことである。こうして米国がした戦争の正義を証明するホロコーストが重要なテーマになっただけでなく、それを「万物の尺度」とする奇妙な「ホロコースト史観」が人々の頭の中を支配するようになる。その結果、米国に敵対する独裁者がヒットラーに譬えられるようになっただけでなく、米主要都市にホロコースト博物館が設立された。現在米国の大学にホロコースト研究ポストが千ぐらいはあるといわれる。

 欧州では1970年代後半「鉄のカーテン」の向こう側の現実の社会主義に幻滅していた左翼的知識人にとってもホロコーストは「渡りに船」のテーマであった。それまで未来にユートピアの実現をめざしていた彼らは、このテーマのお陰で時間軸の向きを逆さまにして過去にユートピアの実現を夢見ることができるようになる。現実には死んだヒットラーと今さら戦うことなどできないので、ホロコーストの歴史から学ぼうとしない無反省人間を見つけて糾弾することになる。
 
 靖国神社についての対立が日本国内でも先鋭化し、また外交問題にまで発展したのは、国際社会のこのような潮流に応じてホロコーストに似た議論を東アジアにも求めるようになったからである。この結果、戦後日本の国内だけの話であった「右か左かの踏み絵風」が国境をこえて、国際社会では靖国の話とホロコーストの議論とダブるようになった。

 昨秋、あるドイツの新聞が大江健三郎にインタビューをした。その中で彼は次のように日本の首相の靖国参拝を批判する。

《彼(小泉首相)は、中国の住民に対する日本人が犯した残虐行為について謝罪するが、しばらくして(日本の戦争犯罪人が葬られている)靖国神社を訪れる。このようなちゃらんぽらんな態度で、彼は、何らかのかたちで、とても日本的な行動様式をしめしている》(9月12日付け「ベルリナー・ツァイトゥング」)

 私に興味深く思われたのはノーベル賞作家の発言でなく、「(日本の戦争犯罪者が葬られている)」という靖国神社についての補完的説明のほうである。これはカッコの中に入っているので、大江の発言ではなく、インタビューしたドイツ人記者が補完したものである。ナチ指導者のなかでお墓があるのは、1987年ベルリン・シュパンダウ監獄で自殺したルドルフ・ヘスであるが、命日の8月17日にたくさんのスキンヘッドのネオナチが追悼デモをしようとして騒ぎになる。カッコの中の補足的説明で、本来ホロコーストと似た議論を東アジアに求めていたこともてつだって、靖国神社がナチ指導者のお墓に似たものになる。またこう考えないと、靖国参拝のスキャンダラスな性格が誰にも理解できない。そうであるのは、ドイツをはじめ欧米諸国では(日本にあるような「右か左かの踏み絵風」式のタブーがないために、)政治家が戦没兵士追悼施設を訪れることが特別な事件でないからである。

 ナチ指導者のお墓に似たものは国際社会に定着した靖国神社のイメージである。ドイツの首相がナチの指導者ルドルフ・ヘスのお墓参りしたら、この行為はナチ思想を信奉していることの表明と見なされる。その意味では、独首相が自分の部屋にナチのシンボルのハーケンクロイツを飾るのと似た行為で政治的信条の告白になる。これと似たように、日本の首相の靖国参拝も政治的信条の告白、軍国主義肯定の表明と見なされる。

 李中国外相が昨年11月15日韓国・釜山で、また今年の3月7日に人民大会堂の記者会見で小泉首相の靖国神社参拝を「ドイツの政治家のヒットラー追悼」に喩えたのは、国際社会でこのようなイメージが形成されているからである。3月7日のほうの発言を以下引用する。

《中国と日本の政治関係が困難に直面している原因は、日本の一部の指導者が今もなお侵略戦争を発動し指揮したA級戦犯への参拝を堅持していることだ。日本指導者は、中国人民と、侵略戦争により損害を受けたその他国の人民の感情を傷つけることをするべきではない、、、あるドイツの政府関係者は、私につぎのようなことを言った。ドイツ人も、日本の指導者が、なぜこのような愚かで、不道徳なことをするのか理解できない。ドイツの人達の話によれば、第二次世界大戦後、ドイツの指導者には、ヒトラー、あるいは、ナチズムを崇拝する人はいない。》(CRI日本語版3月8日)
 
 国際社会でこの記事を読んだ人は、靖国がナチ指導者のお墓に似たものと思っている以上中国外相に同感して、日本の首相の靖国参拝を「愚かで、不道徳」で「(隣国・国民の)感情を傷つける」行為と思う。日本には「参拝に反対している中韓の二カ国だけ」と強がる人がいるが、国際社会の多数派から支持されているから中韓が抗議していると考えるべきである。

 ■ほんとうにそうなのか

 自国の首相の靖国参拝に対する国際社会のこのような反応に対して、「どこの国もしている戦没者の慰霊を、日本がなぜしてはいけないのか」とか、「死者にムチ打たないのが日本の伝統だ」とかいっても、これは的外れである。これらが反論になるためには、国際社会で靖国神社が(どこの国にもあるような)戦没兵士追悼施設と思われていなければいけない。ところが、すでに述べたように、そうでなく、ナチ指導者のお墓に似たものと思われている。「内政不干渉」も国内で人権侵害を繰り返す独裁者がいうセリフで、事態を悪くするばかりである。

 CRI日本語版からすでに引用した李中国外相の発言の中には、「日本の一部の指導者が今もなお侵略戦争を発動し指揮したA級戦犯への参拝を堅持していることだ」という箇所がある。ほんとうにそうなのか。この中国の政治家は、欧米諸国や日本などで発達した戦没兵士の追悼文化について無知であるためにこんなことをいうのではないのか。

 この文化の重要な特徴は、すでに述べたように、反業績主義であり、戦死したという理由だけで生前の業績と無関係にその兵士のためにお墓をつくったり、名前を「戦士の碑」の碑板に刻み込んだり、また靖国神社の場合は紙に書いたりした。ということは、「A級戦犯」が合祀されたのは、この中国の政治家が誤解しているように、「侵略戦争を発動し指揮した」という生前の業績のためでない。彼らが戦場で死んでいないのに靖国に入ることができたのは法的に戦没兵士と同然の扱いをされたからである。(後で述べるが、似た例はドイツにもある。)こうして「A級戦犯」が合祀されて死んだ兵士に変わった以上、靖国神社には「A級戦犯」は存在しない。日本の首相が靖国に参拝しても、存在していないものを崇拝の対象にできないことになる。
 
 靖国参拝に賛成する日本人の多くがこのように考えないのは、「右か左かの踏み絵風」で靖国参拝を政治的立場の表現手段(=政治デモする人の「紙と棒切れ」)と見なして、戦没兵士追悼のことを独自の問題として考えなくなっているからである。だから、彼らは「A級戦犯」の分祀や代替追悼施設を考える。

 また靖国神社関係者のあいだには、「A級戦犯」合祀を彼らの生前の業績(=東京裁判の被告)と関係づける人たちがいる。それは、彼らが「右か左かの踏み絵風」の影響されて、反業績主義という靖国の戦没兵士追悼文化の性格を見失い、乃木神社と靖国神社、あるいは(愛知県に「殉国七士廟」という7人のA級戦犯のお墓があるが、)この「殉国七士廟」と靖国神社との区別もできなくなったことになる。

 日本の靖国参拝・反対派はこの神社が戦争を賛美して戦死を顕彰したことを指摘する。すでに述べたように、この性格は靖国神社だけでなく欧米諸国の戦没兵士追悼施設と共通する。ところが、施設だけを見て比較すると靖国神社ほど顕彰の機能が乏しいものはない。

 顕彰が戦死という善行を広く世間に知らせることなら、町や村の広場や教会の敷地内にあるドイツの追悼施設・「戦士の碑」のほうがその目的に適っている。というのは、広場や教会は人が集まるところであり、できるだけ多くの人が碑板に刻み込まれた兵士の名前を見ることができる。反対に靖国のほうは一般訪問者が霊璽簿奉安殿に立ち入って戦没者氏名を見ることもできない。ということは、靖国神社ほど、顕彰という機能を自分から否定する戦没者追悼施設はないのではないのか。「月の裏」のように近づくことも見ることもできない場所にしまい込まれていることは広く世間に知らせるという目的には役立たない。

 中国外相は、すでに引用したように「(日本指導者の参拝が)中国人民と、侵略戦争により損害を受けたその他国の人民の感情を傷つける」と述べた。中国人が戦時下日本軍から受けた被害を怒るのは理解できる。(すでにふれた)息子に生きて帰って欲しいと願うドイツの母親が「戦士の碑」の碑板で息子が戦死者同然の扱い受けたまま町の人々の視線に晒されていることに怒ることも多くの人が理解できる。「参拝が中国人民の感情を傷つける」というのは、どこまで現実の靖国神社と関係があるのだろうか。「右か左かの踏み絵風」にもとづいた参拝の意味づけにしたがって怒っているだけではないのか。

 (おそらく中国外相を含めて)国際社会の多くの人々は、靖国神社を「A級戦犯」の名前が石に刻み込まれた「殉国七士廟」のような施設であると想像して、そこに日本の首相が参拝することを無神経と見なしている。だからこそ、「A級戦犯」を含めて合祀された戦没兵士の名前を見ることができないと説明されると、狐につままれたような顔をする人が少なくない。靖国の反顕彰的性格については、後でドイツ戦没兵士追悼に関連する国際紛争を論じるときにもう一度ふれる。(つづく)

右か左かの踏み絵風(1)−「靖国問題」とはなにか
右か左かの踏み絵風(2)−「靖国問題」とはなにか
右か左かの踏み絵風(3)−「靖国問題」とはなにか
右か左かの踏み絵風(4)−「靖国問題」とはなにか


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