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ビッグ・リンカー達の宴2−最新日本政財界地図(9)

2004年07月23日(金)
萬晩報通信員 園田 義明

 ■今蘇る「真昼の決闘」

 さてと、息抜きに映画の話でも。。。 

 K「ドゥ・ユー・ノウ・ハイヌーン?」
 B「ン?」
 K「ゲーリー・クーパー」
 B「オオ」

 これは毎日新聞の岩見隆夫が好んで取り上げるKとBの出会いの時に交わされた会話である。Kは小泉首相、当然Bはブッシュ大統領、初対面の時に「ナイス・ミート・ユー」ではなく、のっけからこの会話で始まった。「ハイヌーン」は小泉首相が好きな西部劇映画「真昼の決闘」のことで、この後に「保安官を演じたゲーリー・クーパーは米国の精神を象徴している」との感想を披露した首相に対して、大統領は「正しいことのために立ちあがり、困難を成し遂げようとする精神は小泉首相を思わせる」とエールを交換し、意気投合した。このやりとりが行われたのは同時多発テロ以前の2001年6月30日、すでに3年の月日が経っているが、今でも政界の話題にされることが多いらしい。

 この「真昼の決闘」は同時多発テロ後にも登場する。2001年9月25日の日米首脳会談で小泉首相は「今回はあなたがゲーリー・クーパーだ。保安官のゲーリー・クーパーは一人で悪と闘い、最後に新妻グレース・ケリーが助ける展開だった。しかし今回は全世界が米国とともにある」と語り、テロに立ち向かうブッシュ大統領を激励している。この時、大統領は首相にクーパーのポスターを贈っている。「わが友ジュンイチロウ・コイズミへ」と書かれたポスターは首相公邸の玄関横の壁に飾られている。

 そして、ついに「真昼の決闘」は蘇る。テキサス出身のブッシュ大統領は、お似合いのカウボーイ・ハットをかぶったゲーリー・クーパーとなって、勇ましくイラク戦争を開始した。当然のことながら、小泉首相はグレース・ケリーを演じることになる。とはいえ、集団的自衛権はあるが、行使はできないという中途半端な役回りであったことから、言い争いも始まった。

 ここで映画のストーリーをおさらいしておこう。ゲーリー・クーパー演じる保安官が、かつて監獄に送った悪党が出所して、お礼参りに来るのを迎え撃つ。保安官の任期はその日正午に切れるが、逃げずに立ち向かう。グレース・ケリー演じる新妻は暴力を否定し、夫の態度にあきれ、一度は一人去ろうとする。町の人々も姿を隠し、あわやという瞬間に、悪漢を背後からライフル銃で撃ったのは、暴力を否定したはずの妻だった。

 ■ブッシュ演説に登場した新渡戸稲造と「ラスト・サムライ」

『今から1世紀前、日米両国は、それまでの長きにわたる猜疑(さいぎ)や不信を抱いていた時期を経て、お互いから、またお互いについて学び始めました。日本が生んだ偉大な学者にして政治家、新渡戸稲造は日米両国民のことを理解しており、そして友好の将来像を描いておりました。そして彼は「太平洋の架け橋とならんことを欲す」と記しております。その「架け橋」はすでにできております。1人の力ではなく、日米両国の無数の人々の力によって。』

 上は2002年2月19日にブッシュ大統領が参院本会議場で行った演説の一部である(訳は駐日米国大使館による)。この演説で新渡戸に続き、イチローを例えに、「(小泉)首相はどんなタマでもすべて打ち返すことができる」と持ち上げ、福沢諭吉が「競争」という訳語を生み出したことを紹介しながら、「競争は改革を推し進め、自由主義諸国の人々の潜在能力を引き出す」と日本経済再生に期待感を示した。

 一人目に登場した新渡戸は今再び日本でブームになっている。昨年12月に日米同時公開された映画「ラスト・サムライ」でエドワード・ズウィック監督や主演のトム・クルーズが熟読したと伝えられたことから、1899年に英文で出版した新渡戸の「武士道」関連本が書店で復活している。

 松方家につながるライシャワー元駐日大使の弟子であるズウィック監督は。「ラスト・サムライ」をネイティブ・アメリカンと日本人を重ね合わせながら描いた。

 そして、新渡戸稲造と「真昼の決闘」のグレース・ケリーは同じ信仰を持っていた。

 ■「真昼の決闘」と「ラスト・サムライ」とクエーカー

 第一世代キリスト教人脈の主役である新渡戸稲造は、札幌農学校時代にメソジスト派の宣教師M・C・ハリスから洗礼を受けている。同時に受洗した同級生の中にはもうひとりの主役である内村鑑三もいた。クリスチャンネームとして新渡戸はパウロを、内村はヨナタンを選んだ。札幌農学校の開校時に招かれ、「少年よ、大志を抱け」で知られるウィリアム・スミス・クラ?クはメソジスト教会の信徒であり、彼によってまかれた福音の種が、後の日本の発展に大きな影響を及ぼす「札幌バンド」の形成につながる。

 しかし、新渡戸も内村も彼らの聖地である米国を目指し、そこにある豪華主義、人種差別、教派間の敵意や紛争を目の当たりにして、新渡戸をクエーカーへ、そして内村は無教会主義へと向かわせることになる。

 新渡戸はクエーカーの集会に参加し、簡素な会堂で、説教する演壇も賛美歌もなく、300人あまりの素朴な信徒が座禅を組むがごとく黙座する姿に、自身の内なる武士道や神道を重ね合わせ、共鳴し合った。ここで新渡戸は生涯の伴侶となるメリー・P・エルキントンと出会い、1886年12月には「ボルチモア友会会員」として認められ、日本人最初のクエーカー教徒となった。

 クエーカーは敬虔なプロテスタントの一派として17世紀の英国でジョ一ジ・フォックスなどによって始められた宗教運動である。お互いを「友」(フレンズ)と呼び合っていたことから、日本ではキリスト友会という名称が公式に使われ、その会員は「友会徒」とお互いを呼び合う。クエーカーはこの集団を白眼視する人びとから付けられたあだ名である。時に感動のあまり震えることがあることからクエーカーとなった。

 クエーカーは「内なる光」を求める人々の集まりであり、生活は「簡潔」を旨とし、一切の差別を排し、非戦、非暴力の積極的な「平和」の実践を追求している。ピューリタンやその他様々な政府から迫害を受けてきた歴史があることから、他の信仰にも理解を示し、ネイティブ・アメリカンに対しても友人として共存したいと願った数少ないヨーロッパ人であった。このクエーカーとの出会いは、キリスト教に精神的な救いを求めていた新渡戸の心を震えさせたのである。

 「真昼の決闘」でグレース・ケリー演じる新妻が暴力を否定したのは、映画での設定がクエーカーであったからだ。

 ■「天使と悪人」とクエーカー国家物語

 新渡戸稲造の弟子達によって「日本は戦後クエーカー国家となった」という紛れもない事実がある。これはある程度調べれば簡単にわかること。はっきり書けばいいのに回りくどい表現で記された本も何冊か出されている。また、これを知るための映画もある。

 クエーカーを題材にしたもうひとつの西部劇映画に「拳銃無宿」(原題はANGEL AND THE BADMAN=天使と悪人)がある。この映画ではジョン・ウェイン扮する伝説の早撃ちガンマンが傷を負い、荒野で生き倒れるが、クエーカーの牧師一家に助けられ、その美しき娘ペニーと恋に落ちる。追いかけて来るならず者や保安官に対して、一家の主は無抵抗で戦う。流れ者は一家の温かさや人間味に触れ、銃を捨てる。

 伝説の早撃ちガンマンを真珠湾攻撃の日本に置き換えれば、戦後の日本が見えてくる。この日本をかくまって助けたのは日米にまたがるクエーカー達であった。皮肉なことに、その後半世紀が過ぎ、ゲーリー・クーパーが荒野で行き倒れそうになっている。

 日本人は「日本は戦後クエーカー国家となった」ことを受け止めることから始めなければならない。そうすれば、米国を助ける役回りが訪れた時、「太平洋の架け橋とならんことを欲す」と語った新渡戸の想いがかなうことになる。

 信じられない方は下の文章を英文にして本場のクリスチャンに見せればいい。憲法第九条こそ、クエーカーが思い描く理想が詰め込まれた偉大なモデルとなっている。また、このことは新渡戸稲造の弟子達が設立した国際文化会館の第1次理事および監事の信仰を見れば一目瞭然となっている(資料1)。

<憲法第九条>
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


★★(資料1)★★

財団法人 国際文化会館

財団の第1次の理事および監事の中の信仰(「」内はその出所)
※E・J・グリフィスとJ・P・ダディーについての文献が見あたらないことから、この二名を含めていない。何か情報があれば筆者にご連絡いただきたい。


<理事 16名中8名がクリスチャン>

小泉信三 1952年に日本聖公会の聖アンデレ教会で洗礼
「小泉信三伝」(文春文庫)P228

上代たの 1950年に聖公会からクエーカー教徒へ
「神谷美恵子若きこころの旅」(河出書房新社)P35

高木八尺 クエーカー教徒
「絹と武士」(文藝春秋)P385

南原繁 無教会派プロテスタント
「南原繁」(岩波新書)

ゴードン・T・ボールズ クエーカー教徒
「象徴天皇の誕生」(角川文庫)P231

前田多門 1947年に聖公会からクエーカー教徒へ
「神谷美恵子若きこころの旅」(河出書房新社)P34

松方三郎(本名は義三郎) 無教会派プロテスタントからカトリックへ
「絹と武士」(文藝春秋)P353

松本重治 死亡時は聖公会

<監事 2名中1名がクリスチャン>

加納久郎 クエーカー教徒
「神谷美恵子若きこころの旅」(河出書房新社)P35

 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

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