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EUの理念の一つとなった賀川豊彦の発想

2002年11月26日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄


 いま、賀川豊彦の『死線を越えて』という小説を読んでいる。大正9年に改造社から初版が刊行されてミリオンセラーになり、いまのお金にして10億円ほどの印税を手にしたとされる。賀川豊彦は、神戸の葺合区新川の貧民窟に住み込み、キリスト教伝道をしながらこの作品を書き、手にした印税でさらに貧民救済にのめり込む。

 賀川豊彦はキリスト教伝道者であるとともに、戦前は近代労働運動の先駆けを務め、コープこうべを始め、日本での生協運動の生みの親でもあった。戦後は世界連邦論を推し進めるなどいまでいえば、政治・経済のトータルプランナーだった。

 最近、そんな賀川豊彦という人を芋づる式に学んでいる。先週は賀川豊彦記念講座委員会編『賀川豊彦から見た現代』(教文社)を読み、その前の週は賀川豊彦の長男である純基氏を世田谷区上北沢の松沢教会に訪ねた。僕の中で賀川豊彦という存在がどんどん膨らんでいく。

 純基氏は80歳になる品のいい老紳士だった。「僕は賀川豊彦がずっと重荷になっていたんですが、最近、その偉さが分かってきた」というようなことを言った。

 3月に賀川が少年時代を過ごした徳島県鳴門市に賀川豊彦記念館ができて、徳島の先生たちが松沢教会内にある賀川豊彦記念館を訪ねてくれるようになったのだそうだ。「子どもたちに賀川豊彦のことを聞かれて勉強不足を恥じ入って訪ねてくる」というのだ。ただ「多くの人は賀川豊彦という人物の断面だけをみて、全人格的にみていない」との不満も漏らした。

 それは賀川豊彦が70年の人生で築き上げた経綸に対する理解不足ではないかと思う。ヨーロッパの人たちが幾度かこの人物をノーベル平和賞の候補としたのは単なる平和主義者としての賀川豊彦ではなく、平和を実現するためにどういう政治体制が必要なのか、どのような経済改革をしなければならいのか終生考え続けた、その功績に対する評価だったはずだ。

 純基氏が「シューマンというフランス人を知っていますか」といいながら、欧州連合(EU)と賀川豊彦の話をし始めた。偶然、前の夜、賀川豊彦が雑誌『国際平和』に書いていた「シューマン・プラン」の話を読んでいたから理解が進んだ。シューマンは1951年当時のフランスの外相で、フランスが占領していたルール地方の鉄鋼、石炭産業をドイツに返還して国際機関に「統治」させるよう提案した。このヨーロッパ石炭鉄鋼共同体条約が後のECに、そして現在のEUに発展する。

「1978年にECのコロンボ議長(イタリア外相)が日本にやってきた時、賀川豊彦が提唱したBrotherhood Economicsという概念がECの設立理念の一つとなったというんですよ。これは当時のEC日本代表部が発行した広報資料にも掲載されています」

 驚くも何もない。賀川豊彦がEUの理念と関係していたとは。このBrotherhood Economicsは1935年アメリカのロチェスター大学からラウシェンブッシュ記念講座に講演するよう要請され、アメリカに渡る船中で構想を練った「キリスト教兄弟愛と経済構造」という講演で初めて明らかにしたもので、翌1936年、スイスのジュネーブで行われたカルバン生誕400年祭でのサン・ピエール教会とジュネーブ大学でも同じ内容の講演をした。

 「キリスト教兄弟愛と経済構造」はまず資本主義社会の悲哀について述べ、唯物経済学つまり社会主義についてもその暴力性をもって「無能」と否定し、イギリスのロッチデールで始まった協同組合を中心とした経済システムの普及の必要性を説いたのだった。

 その400年前、ジュネーブのカルバンこそが、当時、台頭していた商工業者たちにそれまでのキリスト教社会が否定していた「利益追求」を容認し、キリスト教世界にRefomationをもたらした存在だったが、カルバンの容認した「利益追求」が資本主義を培い、極度の貧富の差を生み出し、その反動としての社会主義が生まれた。賀川豊彦が唱えたBrotherhood Economicsこそは資本主義と社会主義を止揚する新たな概念として西洋社会に映ったのだと思う。

 この講演内容はただちにフランス語訳されて話題となり、わずか3年の間にヨーロッパ、アメリカを中心に中国を含む27カ国で出版された。スペイン語訳には当時のローマ教皇ピウス]T世の序文が付記された。

 さらに純基氏がいうには「アメリカのワシントンDCにワシントン・カテドラルという英国教会の教会があるんですが、そこに日本人としてはただ一人聖人として塑像が刻まれているのです」。1941年4月、賀川豊彦は日米開戦を阻止するため、単身渡米してワシントンで米側と話し合いをしているのだ。

 そんな日本人がかつていたことをわれわれはもっともっと誇りに思っていい。

【読者の声】


「EUの理念となった賀川豊彦の発想」を福岡・創言社の友人からメール転送していただき拝見いたしました。今月「賀川豊彦再発見」という拙い小品をこの出版社から刊行していただいたこともあってのことでしたが、大変興味深く拝見いたしました。
私の場合、賀川を直接知らない世代になりますが、不思議なご縁で神戸の「葺合新川」にたてられた現在は「賀川記念館」の中にある賀川先生ゆかりの教会の牧師として1966年に赴任し、1968以来現在まで、神戸における賀川先生のもう一つの拠点である長田区の下町で「番町出合いの家」という家の教会の牧師をしています。ゴム工場や神戸の部落問題研究所などの裏方の仕事で、モグラのような暮らしをしてきたこともあって、お書きになっている「シューマン・プラン」のことなどは全く不案内ですが、お書きになっていること、大いに興味をひかれて読ませていただきました。ご健勝を!(神戸 鳥飼)


 ニュージーランドから大石幹夫です。またまた興味深い萬晩報の記事を送っていただき感謝しています。私も、平和研究者の端くれとして、賀川豊彦のこと大変励みになります。以前、救世軍の伝道師だった友人がいて(と言っても年が50歳以上離れていましたが)、その人から賀川豊彦のことはよく聞いており、また「死線を越えて」やその他彼の著作も当時いくつか読んだことがあるので、なつかしい気持ちでご記事を読ませていただきました。
 また彼の人間経済の考えは、確か、ウィリアム・モリスに代表される「空想的社会主義」の流れと一致するのではないかと思います。また、EECに関わった、「スモール・イズ・ビューティフル」のシューマッハーの考え(彼は「仏教経済学」を提唱したようですが)も、人間のスピリチュアルな側面を重視する点で、賀川の思想と通じるものがあると思います。これからは、このようなホリスティックな人間観に基づいた経済思想(とりわけ、バイオリジョナリズム--生命圏地域主義など有望だと思います)が、世界的に必要になって来るでしょうし、この面で日本人は世界に貢献できるのではないかとも思います。


 私は生活協同組合コープこうべに勤めております杉野峰雄と申します。この度、配信されました萬晩報で賀川豊彦先生についての一文を読ませていただきぜひともお伝えしたいことがあります。
 私ども生活協同組合コープこうべは創業時に賀川豊彦先生の指導を受けて現在にいたっておりますが、賀川先生が1954年に協同組合中心思想として次の七つの言葉を残されています。
 「利益共楽、人格経済、資本協同、非搾取、権力分散、超政党、教育中心」という言葉です。聞くところによりますと、賀川先生が弊組合に来られました際に揮毫をお願いしたところ先の言葉を記されたということです。 直筆を額装し本部の応接間に掲げられていましたが、残念なことに阪神淡路大震災で本部ビルが倒壊した際に消失しました。
 資本主義経済がかつての大恐慌で崩壊し、社会主義経済がソ連の崩壊とともに消え去ったと言われておりますが、賀川先生が提唱された七つの言葉は今の時代、これからの時代に世界各国が生き延びるための唯一無二の思想であり、哲学かと思っております。その昔、土佐の坂本竜馬が船中八策をしたためたと小説に描かれておりましたが、この言葉を読むだけでも賀川先生の偉大さが偲ばれます。
 先日、徳島にある賀川記念館に行ってまいりました。館内に賀川先生の肖像画があり、そこには「愛は私の一切である」と記されています。私どものコープこうべは「愛と協同」という言葉を創業以来掲げておりますが、徳島の地で私はそのことを深く実感しました。先生がこれまで活動してこられた様々なことを折り込んだ青い背景に若き時代の賀川先生がすこしうつむいた姿勢でたたずんでおられます。そこに書かれた「愛は私の一切である」という言葉こそ、世界をまたにかけて活躍された先生のエネルギーであったかと思います。(生活協同組合コープこうべ 杉野峰雄)


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