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独断で地租を減免した明治生まれの役人

2000年05月03日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄



 きょうは憲法記念日。明治生まれのこんな役人がいたという話をしたい。祖父の話である。

 第二次大戦前のある年、岡山県津山市で大きな水害があった。津山税務署長だった祖父・伴乙衛は大胆にも被災地の農家に対して税金を減免した。農民から歓迎されたが、驚いたのは上級監督局だった。

 当時の税制では農地への地租が主たる財源だった。農家の収入に課税するのではなく農地の広さ(地価)によって納税額が決まったから、不作のときや災害時の農村は困窮した。

 そんな農村の困窮を予想したとはいえ、伴乙衛の取った措置は法律に反する行為だった。上級監督局はそれを「独断専行」と問題にした。伴署長の処分は大蔵省にまで上がった。

 ところが時の石渡主税局長(後の大蔵大臣)は「実情踏まえた適切な処置だった」と伴署長の取った行為を是認し、「むしろ法の不備を正すべきだ」として緊急勅令発動に動いた。クビを覚悟でやったことが誉められたのだから、驚いたのは伴乙衛本人だったに違いない。

 戦前は勅令という便利な法整備の手法があり、おかげでお咎めはなくなった。

 伴乙衛は民業を大切にする信念の人だった。開戦の前年の昭和15年、高知税務署長を最後に円満定年を迎え、高知商工会議所理事長に転じた。津山での税の減免はいまでも関係者の間で語り継がれる。

 ●50年続く最高裁の職責放棄状態

 国会の議論を聞いていてよく登場するのが「法制局長官」という人物である。法制局長官が「ノー」と言えば、憲法違反になったり法律違反になったりする。政府としての憲法や法律の見解を述べる「機関」となっていて、おかしなことに法制局長官はいまや「神の声」でさえある。

 だが法制局というのは、政府が新しく法律をつくるにあたって憲法や過去の判例から逸脱していないかをチェックするのが本来の仕事で、出来上がった法律が違憲であるかどうかを決めるのは最高裁の役割である。

 違憲訴訟でよくあるのが、選挙における「1票の重さ」である。だが過去の判決からみれば、東京と島根県の「1票の重み」があまりにもかけ離れているのは「違憲だ」とされるが、選挙そのものが無効になったためしはない。最高裁は行政に対して再選挙を命じる権限があるにもかかわらずこれを行使してこなかった。これは職務怠慢である。

 また自衛隊の違憲訴訟に関して最高裁はほとんどの場合、「高度政治的判断」を理由に「憲法判断」を避けてきた。とまれ、最高裁こそが憲法に対して政治を超えた判断を下せる唯一の存在であるはずだ。自衛隊というだれが読んでも憲法違反の組織が50年近くも生き延びてきたのは最高裁が本来の職責を放棄してきたからにほかならない。

 そういう重要な判断を示す機関だからこそ、最高裁長官には公務員として首相を上回る最高の給与が支払われているのではないか。

 三権分立の原理は、憲法を最高規範として立法府と最高裁と行政が独立していることであるが、立法府が法律をつくり、行政がそれを執行するという役割については理解されているが、最高裁による立法府や行政へのチェック機能についてはほとんど理解が進んでいないといわざるを得ない。

 ●法廷で違憲を立証すればいい

 さて本論である。果たして国民は法律は破ってはいけないのだろうか。憲法に違反したことを行政はやってはいけないのだろうか。答は「否」である。法律も憲法もどんどん破っていい。もちろん、法律が時代に合わなくなったと気付いたときに限ってである。

 法律を犯して、法廷で法律が憲法違反であることを立証すればいいのである。最高裁がその法律を違憲と認めれば、政府として法律を改正する必要が生まれる。問題はそんな判例が戦後、ほとんどなかっただけのことである。

 1952年、東京のレストラン主が従業員の給与から源泉徴収をしなかったことから所得税法違反に問われた事件で、レストラン主は「企業経営者が強制される源泉徴収の経済的負担や苦役が憲法の財産権の侵害や法の下の平等などに抵触する」と違憲を主張した。レストラン主は10年後の最高裁判決で有罪となった。その後一部で源泉徴収の違法性を問う問題提起が続けられたが所詮、独り相撲だった。

 サラリーマンの源泉徴収の違憲性を今日、最高裁に問うたらひょっとして違憲の判断が出るかもしれない。ここらを続けてこなかった有識者や有権者の怠慢でもあるのかもしれない。古代ギリシャの哲人は「悪法といえども法は法である」と言ったが、今の時代はそんなに固苦しく考えなくともいい。法律は臨機応変変えていけばいい。

 ●首相が法を破れば救えた数千の命

 「村山首相はなぜもっと早く自衛隊を出動させなかったのか」−5000人の命を失った阪神大震災のとき、国民のすべてがそう思ったに違いない。当時の村山首相は自衛隊の出動が遅れたことに対して「震災救助でも知事の要請がないかぎり、自衛隊は出動できない」と法律の不備をついた。

 そのとき、われわれはその法律の壁に無力感を感じ「仕方なかった」という気分にさせられなかっただろうか。

 筆者は凡庸な政治家を首相に持ってしまった不幸を嘆きたかった。そして不遜にも「自分が内閣総理大臣だったら、最高司令官としてただちに自衛隊に出動を命じ、事後自ら法律に違反した責任を取って辞職するだろう」と考えた。

 憲法や法律はその時々の国家と国民との関係や、市民の権利や義務を定めたものでしかない。だから時代に即応して改正されるべきものだと思っている。法律がそうした権利や義務を阻むものだったら、その法律が間違っているのである。まして何千人もの人命救助が法律を楯に遅れるようなことがあっては何のための法律か分からない。

 法律にのっとり事務をこなすのは行政官(官僚)である。しかし、ときとして法律や憲法を乗り越えた判断を求められることがあるからこそ政治家という職業があるのだと思っている。

 あの時、村山首相が自衛隊を出動させたとして誰が法律違反を問うただろうか。仮にそうした議論が起きれば、自ら法の裁きを受ければいい。国難を救おうとする首相を罪に問える裁判官がいるはずもない。


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