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I HOUSE SPECIAL 政治を語る

「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(6) 質疑応答

1996年11月00日
 元中国公使 伴 正一

ご意見

 質疑応答

 司会 どうもありがとうございました。なかなか私ども庶民には思いも及ばぬ次元の話もございましたが、ただし国士でなければ何もそういうことができないということでもないと思います。特にこの協力隊事業を体験してきた我々にとっては、いま日本で自分たちの左右を見るときに、隊員でいたときの任国のことが、見較べる基準になり得るのでその視点を大いに生かすように、とい うことを多分におっしゃっているんだろうと思います。そういった意味では 帰国隊員、いわゆる経験者のみならず、今から協力隊事業にお勧めいただく 協力隊の事務局の方々にも、何か示唆を与えていただけたのではないかと思います。

 ただ、突然こういう次元の高い話になりますと、ひょっとしたらどこからとっついていいのかという戸まどいもあるかと思いますが、あと14、5分ないし20分、7時半ぐらいまでの間、質疑応答をぜひともいただいて、それでひょっとして佳境に入れば先生の予定も若干いただいておりますので、その後簡単に懇親会をまじえてご質疑応答を続けていただきたいと思います。

 谷川 ご存じのとおりことし協力隊も30周年、今お話があったことも含めて、事務局の中でも総点検を行うことになっています。あまり具体的に進んでいるわけじゃなくて、そう簡単にいける話でもないし、1年かけてもう一度原点に立ち入ろうということでやっているわけですけど、少しお離れになって、今事務局を外から見て何が、問題というのはちょっと言い方がおかしいですけど、何か気がつくことがあったら感想をお願いします。

  では一つだけ。もう30年たったら協力隊には実践例というか、判例のようなものがかなり揃っていていい。マニュアルではないですよ、涙のにじむようなのもあれば、そうでないのもある。失敗例もある成功例もある。そんな具体的な実践例がもう百ぐらいでき上がっていてもいいなと思います。私のときに5つか6つ、当時の若い力、今のクロスロードへ実践例研究というのを連載した時期があります。早稲田の鳥羽欽一郎先生がすごい時間をかけて取り組んで下さった。1ぺージに普通の記事の10倍、20倍の時間とエネルギーが必要だった。こういうものがもう100ぐらいは、30年ですから、でき上がっていて、訓練所の講義も3分の2はそういう実践例をたたき台にして隊員が議論し合う。そのようになっていていいころだと思うんですが、果してそうなっているのかどうか。

 実践例というのは難しいんですよね。私は後々の隊員のために一番役に立つのが失敗例だと考え失敗例を極力取り上げようとしたんですが、そうなるとヒヤリングが段違いに難しくなる。本当は好きな女ができて、それにうつつをぬかしておったのが原因だったのに、そんなことは言えないもんだから別の原因を申し立てることだってある。そこらあたりの聴き取りをきちんとするには、検察庁のベテラン検事よりも優れたヒヤリング能力が必要かも知れない。そういうヒヤリング能力を含めて協力隊というのは、組織の資産として実践例を構築していく能力を持たないといけないと思いますね。そのことをおろそかにして訓練を、部外者の講義に依存し過ぎているようではいけないと思います。

 イトウ 84年から86年モロッコへ行っておりましたイトウと申します。きょうの先生の「協力隊OBに寄せる」という題目で、内容が非常に立派な文章でちょっとOBの立場からはピンとこない点が今の時点であるんです。先生が最後のほうにおっしゃいました国の政治的な方向性、この辺について私自身は非常に疑問を感じます。現地にいるときから、確かにその国にいますけどその国の大局は見えないんです。私もそうでしたけど、どうしても日本を基準にして物事を見ていますから、うかつに判断をしてしまうことは非常に危険ではないかというような気がしていました。例えばモロッコであった例なんですけれども、建築とか土木の人が自分の住んでいる町の地図を書いて、来るときはこの地図を見てきなさいといって渡したんです。ところが、実はそれがひっかかちゃったんですね。その地図がたまたま県庁へ勤めている隊員のデスクにありまして、何だこの地図はということで、大きな問題になったんですね。やはり国によっていろいろ、地図ひとつにしても国家秘密的なことがありますから、そういうことを考えますと、帰ってきてやはりしばらくしないと一つの国のことはなかなか見えないんではないか、というような気がしたもんです。それを考えると、今行っている隊員に、遊び的な感じにとどめるとはいっても、その国のことをせんさくすることは危険ではないかと思います。その国が見えない状態で行っているということを考えるとです、これについてちょっと……。

  私が事務局長をやっていたときは、政治には一切かかわるなと厳しく言っていました。下手なことをしていたら碌なことはない。そういうことでやってきたわけですよ。

 しかし、これからの世界、冷戦終結後の世界で人々が戦火におびえる。そんな動乱が発生するのは8割が開発途上国でしょうね。隊員のいる周辺には、まことに皮肉なんだけれども、世界の平和問題、即ち、いつドンパチが起るか分からない事態が目の前に展開していることがしばしばある。隣国との一触即発の緊張関係、それどころか、自分の国自体の治安維持能力の喪失などなど。そこで高等芸術にはなるんだけども、いやしくも政治に介入しているとか、かかわっているという疑いを全然受けないように用心しながらじっと見つめる。そうしていると、目の前に展開していく事態が、実はいま冷戦後の世界の最大の課題となっている事柄そのものだということに気がつくはずです。それをじっと見つめるクセがついていて始めて、帰国後もずっとそれをフォローアップして行く素地が身につくのではないかと思うのですが。

 尤も、それにはやっぱり人を選ぶ必要があるかもしれません。間の抜けた隊員にそんなことをやらしていたらおっしゃる通り危険です。そうなるとやっぱり協力隊にも少しは英才主義を導入したらどうかということになりますね。英才主義の導入ということは、少くとも部分的導入ということはほかのテーマででも言えることかも知れないんで、これからの協力隊にとっては、非常に重要な課題だと言えるでしょう。

 司会 まだ、3〜4分ございます。もう一問程度ご質問いただきたいと思いますが、何かございませんか。

 清水 20年ほど前になりますけど、エチオピアを22年ぶりに訪問しました。ボンベイで8時間ほどあった待ち時間に、ウガンダの人と話をしたんですが、僕はウガンダはもうすぐ大変だという感じだったんですけど、彼とすれば何もないということ。帰りしなセネガルとナイジェリアの人と一緒だったので同じように話したんですけども、あまりたいしたことないという話。日本を出発する前に僕は朝日新聞社の記者の人から、アフリカは48ヵ国もあって、20ヵ国はつぶれかけている。八ヵ国くらいがやっと現状維持という話を聞いたんですが、それと今の話はどうも合わない。彼らの国家観というのはどんなんだろう。僕もちょっと国家というのは何だかよくわからんのです。先生の国家観は。

  非常に深い、奥行きのある問題なんで、一言で言いにくいんだけど、私は 世界共同体の結束した軍事力 を背景にして世界平和が何とか守られるようになってくれたら、一つひとつの国が隣の国から攻められる心配を今ほどしなくてよくなると思うんです。そういう状態が百年後でいいからでき上がるとすれば、国は大きいほど有利だという今までの既成概念に大きい変化が生じると思います。

 風習や、そのほか生活のリズムやペースが共通でいろんなことで呼吸が合い易いという現象がよくありますね。小さいところでは同じクラスでもあの3人はいつも一緒にいるとか。そういう平たく言えば気の合った、固苦しい言葉を使えば、文化的に共通した人々同士が一つの国を成す。何も世界連邦にまでならなくても、世界共同体の結集した軍事力が間違いなく発動してくれるという 安心感が醸成されれば、国は好きな者を同士で作ればいい。それで国の数が2000になったって3000になったっていいじゃないかというのが、私の国家観 です。

 現在はそうじゃないですよ。ボーダーレスばやりです。そうかと思うと国がバラバラになるのを恐れ、力ずくでも独立を阻止しようとする。これから先は経済はボーダーレスでいいが、人は文化的に共通なものが、国という統治グループをなしていくようになればいいと思うんです。世界連邦である必要は全くない。今の国連の枠組みの中でそれが可能なことなんです。

 このような視点でアフリカ大陸なんかをながめると、フランスなりイギリスが仕切ったところを国境にして、同じ民族がそんな国境によって引き裂かれているところすらあります。

 そういう状況をながめながら、ザイールならザイールという国はどういう国家体質を持っているのか。このままいくしかないのか、など考え込んでみるのが国を考えることだと私は思っています。いいですか。

 清水 ということは、同じ部族でもう一度再編成をするという。

  100年先の理想を言えばそうです。なかなか理想通り行くものではありませんが。
 外交官仲間でも 飯ぐらいは日本語で食いてえな というセリフがありました。外交が商売の人間でも外国人とではやはりどこか緊張しているんですよ。今やたらに国際化が言われていますが、人間が安らかに住む状況というのはやっぱり気の合った連中、言葉も同じだし、冗談も自然に出てくるし、それがまた自然な笑いをさそう。それが一番幸せなんではありませんか。日本なんか本来はそれに最も近い国ですよ。

 司会 それでは第一段のご質問はこれで終わりたいと思います。きょうのお話を伺っていまして、伴節、久しぶりに聞きましたという感がいたします。と同時に、鬼の伴、殺しの伴と言われていた当時の事務局長がまだ健在であったということを大変うれしくも思いました。ここには田上次長、辻岡課長、それから谷川課長もおられますが、私なども含めて当時金曜会なんていうものがありまして、この座長を努めるのがやっぱり今の伴局長でございました。なかなか安易な妥協はしない、夜が白々とあけても結論が出るまではしっかりとやっていくというので、有栖川公園で夜をあかしたことも何回かある。そんな思い出もございます。そういうことなどを思うと、今だに健在で私ども帰国隊員、あるいは協力隊事業に今も変らぬ情熱をそそいでいただけているというのは大変うれしく思いましたし、また今後もいつまでもこういう気持ちで私どもを見守っていただきたいと思うし、激励もしていただきたいというふうに思います。伴先生の今後のますますのご発展を祈念してきょうの講演を終わりにいたしたいと思います。どうもありがとうございました。

  最後に1分か2分かちょっと。いま明治から130年ですね。徳川が260年、だから130年毎に区切ると関が原、徳川吉宗、明治維新、平成7年と、こうなる。歴史的にものを見るいい機会ですが、日本という国は強い国になろうと思って見事になりましたよね。ほかのアジアの国は全部西欧に侵略されたり半植民地になった中で日本だけ頑張りましたね。それから前の戦争で負けはしましたが後では経済。これはまた世界で有数の豊かな国になりましたね。よく頑張りましたよ。これからは世界を経営する眼力とか、見識とか、そういうもので世界一を狙う。こういう目標を立てれば、みんな若い人も励みになるんじゃないでしょうか。強い国になった、豊かな国になった、後は知恵だと。知恵は、武力とは違って一人ひとりの知恵とその集積です。そういう知恵の分野でも協力隊が大きく羽ばたくぐらいになってほしい。私はそう切に思っているのです。どうもありがとうございました。



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