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I HOUSE SPECIAL 政治を語る

「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(2) 協力隊の位置づけ

1996年11月00日
 元中国公使 伴 正一

ご意見

 協力隊の位置づけ

 そこで、本題に入ってさっきの「協力隊OBに寄せる」というペーパーに沿って話をして参ります。きょう私が一番お話したいと思っていることは、最初のところに出ているように、

今の協力隊を21世紀における日本の進路と、深いところで関連づけることはできないものだろうか
 ということなんです。同じことはあと2ヵ所に出ていますが、その一つにはこう書いてあります。  こういう若者たちを、青年海外協力隊という、日本全体から見れば各論の一部でしかない枠組みの中だけで見ていていいのか。日本全体の、しかも21世紀のグランド・デザインという壮大な展望の中でとらえて初めて、こういう若者の存在の意義をつきとめることができるのではないか。

 このペーパーはどういうときにつくられたかと言いますと、6年前私が「協力隊を育てる会」の組織委員会のメンバーであった頃のことですが、育てる会の会員がいっこうにふえないので弱っていた。ふえるといえば、隊員がふえたそのおかげで留守家族がふえるからふえる。それ以上はさっぱりふえない。

 協力隊の身内から一歩も外へ拡がっていかないんですね、育てる会設立の初心に帰り、更めて国民的基盤の形成を目指そう。一般国民にアピールすることを考えよう、ということになりまして小委員会をつくった。そこで1年かけてつくったのがこのペーパーです。今読みなおしてみると抽象的で、具体策に欠けて いるとは思いますけども、哲学部分はかなりのことを書いてあるように思い ます。

 それじゃ、「今の協力隊を21世紀における日本の進路と、深いところで関連づけることはできないものだろうか」の次から。

新人類といわれる世代から協力隊の応募者が絶えないで出ている。若いときにしかできないことを! 何か役に立つことがあるのではないか。そんなロマンや使命感を彼らは一個の人間として持っているようである。マンネリ化した職場や生活から心機一転しようとする気持ちが動いていることもあるだろう。挫折がきっかけの応募だってなくはなかろう。
 だが、「何かを求めて」といったつかみどころのない動機のほうが、依然として多数を占め続けるのではなかろうか。

 何かを求めてというところはサラッと書いたような気がするんですけれども、六年前も今も協力隊を受けに来る人の多くが本当に何かを求めているんだろうか。5年間も協力隊の事務局長だった私がこんなことを言うのはおかしいですけど、フトしたときにそんな思いが頭をかすめることがないでもありません。

 私は5年近い協力隊勤務の間、その時代はまだ手作りの時代でしたから、帰国隊員にはどんなに忙しくても一人一時間を目標にして、一人ひとり面接するようにしていました。でも、隊員は自分のほうから物を言ってくれないんですな。こっちから質問すれば「はあ」とか「ええ」とか、それでまた話が途切れるわけですよ。隊員にはいろんな業種があって、看護婦さんもいれば、電気通信もいれば、農業もいる。

 そんな隊員が2年もそれ以上も苦労してきたのに、いい加減な、ぞんざいな質問はできないし、さればとて隊員がやってきた仕事に即した、話の噛み合いそうな質問をしようと思うと一時間でも随分神経が疲れたものです。ところがそういう1時間も過ぎてこれという話も出てこないからそろそろ切り上げようかなと思っている。そんなときによく、ポツンと、しかもハッとさせられるようなことを口下手な隊員が言うことがあるんですな。つい話を続けたくなって「今晩空いてるか」と一杯飲み屋へ誘うことも、たまにはありました。

  何かを求めている というと、キザに聞えますが、別に隊員を買いかぶって書いたつもりはない。  早い話が、今の若者には私の青年時代には考えられないほど宗教にひかれているフシがある。戦争直前、私なんかの青年期には若者は科学には興味があっても、宗教なんか見向きもしなかった。年寄りのお寺まいりなど面と向かっては言わないが、内心バカにしていたものです。それが青年の風潮だったわけです。

 それが、今の若者というのは、しっかりした価値観を見失っている世代のせいか、結構宗教に素直にひかれている。これなんか見ていると、 何かを求めている というところが、今の若い人にはやっぱりないとはいえない。ただそれと裏腹に、私の青年時代 大いなるもの として没我の精神をくすぐった「国」というものから、今の若者の心は完全に離れている。

 個人の幸せが何よりも大切なんでしょうが、家庭の幸せとか、コミュニティの幸せとかいうところまではそれほど抵抗なく頭に入る。ところが次の段階の国となるとその言葉を聞いただけで虫ずが走るようですね。それでいてですよ。もう一廻り大きい世界とか人類ということになると、拒絶反応どころか、共感、時としてはロマンさえ覚えるというんだから妙なものです。順番にいっているものを国だけ外すことはないと思うんですがね。(続)



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