魁け討論 春夏秋冬



私の大戦回顧  その4

1999年12月11日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
● 外交は、戦況を見つめながら動くべきもの

 後でもう少し詳しくご説明申し上げますが、勝っていても 負けていても戦争収拾外交というのは難しいもので、戦争に なるかならないかの瀬戸際とどちこちないと言っていいので はないでしょうか。

 いくら軍の作戦用兵がうまく行っても、政冶がこの外交機 能をおろそかにして収拾の潮時を見誤ると、それですべてが 水の泡になることは珍しくありません。

 現にこうして戦争が泥沼化し、国が奈落の底まで落ち込ん で行ったのがこの前の戦争でありまして、始めから収拾のめ どのはっきりしない戦争だった点も含め、大東亜戦争の収拾 過程は、高い史眼でこれから解明していかなくてはならない と思うのであります。

 将来、国連軍や多国籍軍が作戦行動に出る場合を考えてみ ても、侵略兵力の制圧に一年も二年もかかっているようでは 話にならないのですが、そうは言っても交戦状態の収拾は傍 で見るほど容易なことではありません。

 それだからこそ数年前のように、ペンタゴンあたりからで も、

 Hit in a week,otherwise don't get involved

(一週間で片付かないようならそんな戦争は始めからするな) というような極端な意見も出てくるのです。

 戦争を長引かせないということに関連して、丁度いいとこ ろですので軍規の問題にひと言触れておきたいと思います。

 戦争継続中には勝ち負けに従って占領ということが起こり ますが、占領軍というものは占領地域の文治機構に、専制君 主そっくりの形で君臨するわけですから、どんなに軍規厳正 な軍隊でも二年も三年も長居していたら将兵の意識はどこか おかしくなります。何か起こらないとしたら不思議だと言っ ていい。

 これは国連軍であろうが何軍であろうが、正しい名分の立 った軍事行動であろうがなかろうが、武装集団というものす べてについて言えることであります。

  ● 日本を変えた勝者のイデオロギー

  1 日本の言論界を風靡した東京裁判史観

 大東亜戦争の見方をいびつなものにした元凶は、世にいう 東京裁判史観であります。

 東京裁判史観の特色は、法として見ても問題の多い極東軍 事裁判所の判決文に、正史並みの権威を認めてきたところに あり、日本罪悪説で貫かれていて一切の反論を受け付けよう としない。

 ウッカリその間違いを指摘でもしようものなら忽ち軍国主 義の復活のように言われて、じ後言論界の村八分にされそう な剣幕で、その言論抑圧振りは、専制治下の国家権力も顔負 けだったように思われます。

、インドのパル判事が心血を注いで纏めてくれた日本無罪の 小数意見も、まともな論議の場を与えられずじまいでした。

 このことについて私は、進歩的文化人と呼ばれる人々だけ でなく、押しなべて戦後型オピニオン・リーダーたちの知性 に深い疑問を抱かずにはいられないのであります。

 しかも東京裁判史観の言論支配は五○年も続いたのだから 堪りません。

 世代によっては幼少の頃からずっとそういう教育を受けて 成長し、子の世代にも同じ教育を続けてきた計算になります。

 どこが東京裁判史観の総本山なのかはっきりしないところ が、昭和十年代に猛威を振るった「陸軍の総意」に似ている のですが、このような不気味な言論圧力が睨みを利かしてい ては、憲法で保障されている言論の自由も、こと現代史に関 しては有名無実だったと言うほかはありません。

    2 徹底していた精神的武装解除

 東京裁判史観と並んで見逃せないのが、戦争直後アメリカ が行った、日本人に対する徹底した洗脳工作(精神面での武 装解除)でした。

 国には軍などないのが理想だという、今から考えると、ま るで現実離れした思想を、虚脱状態にあった当時の大多数の 国民に浸透させようとした。

 その手段も常軌を逸したものでした。

 占領軍の権力で陸海軍を一兵も残さず解体し、軍の保有を 禁ずる憲法を作らせ、容易なことでは改正もできないような 仕掛けまでしてある。

 これではどう見たって世界の常識を超えた、ウルトラ平和 主義の強要としか言いようがありません。

 (その証拠に、それから何年も経たない中に、他ならぬ当 のアメリカから日本再軍備の話が持ち出されているではあり ませんか)

 ウルトラ平和主義というのは、私が言い出し、はやらせよ うとしているコトバなので、ここで注釈をしておきます。

 アメリカは日本のナショナリズムを、(常軌を逸した、あ るいは行き過ぎたという意味で)ウルトラナショナリズムだ と決めつけ、諸悪の根源としてその抹殺を図りましたが、そ ういうアメリカが日本に浸透させようとした平和思想なるも のだって、普通の平和主義を逸脱した、ウルトラ平和主義だ ったではないかという、私なりに言わずにはおられない心情 をこめたコトバなのであります。

 ところがそんな現実離れの思想を日本は、占領下は仕方が ないとしても、占領終了後も是正することなく受容し続けた のですから、アメリカだけを責めるわけにもいきません。

 現行憲法が制定された、占領初期の昭和二一年秋頃には、 「日本から手出しさえしなければ戦争は起こり得ない」とい う錯覚を普通の人が持つくらいまで、思想改造が急ピッチで 進んでいたように思われます。

 内閣総理大臣が自衛権を否定する。

 それに対して一般国民はどうこう言う気力もなく、よく言 えば 綺麗さっぱり潔く、どうにもならない敗戦国の立場を 甘受していたとも言えましょう。

 この、世界に類例のないウルトラ平和主義の国家観で、将 来を律するだけでなく、それまでの国の歩みを解釈して行こ うとしたのですから、書かれる「国の歴史」がまともな歴史 であり得ようはずはありません。なんとも特異なものになる のは当たり前です。

 朝鮮戦争が始まるとその落とし子、警察予備隊なるものが 占領軍の指令で作り出され、やがてそれが自衛隊になって行 きます。

 アメリカの身勝手さへの反発が、直接占領軍に向かってで はなく、政府にぶっつけられたのが、かなり長期に亘る国会 での違憲問答ですが、苦し紛れの政府答弁という印象は今も 鮮明に記憶に残っています。

 ともあれ、有史以来始めての敗戦ですっかり虚脱状態にあ った国民の厭戦思想を受け皿に、あれよ、あれよという間に 根付いてしまったのが、今も衰えを見せぬ我が国のウルトラ 平和主義でありまして、憲法解釈をめぐる現在の政府見解も、 基本思想はこのウルトラ平和主義の域を出ていないのであり ます。

 あれだけの大きい戦争を、しかも刀折れ矢尽きるまで戦っ た後ですから、無理からぬことだとは思いますが、どうして こんな戦争に突入して行ったのか、国を誤った人々の責任を、 更めて日本人の立場から解明していかなくてはならないと痛 感せずにはいられません。。


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