魁け討論 春夏秋冬



私の大戦回顧   その2

1999年11月13日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
           軍規は厳正だったと言えるか 

 多くの日本人は至極簡単に「戦争はいけないこと」で片付けていますが、戦争については戦時國際法という世界共通のルールがあり、そのルールに従っての戦闘行動はそう簡単に「いけない」とは言えないのです。

    それにしても、昭和の日本軍には軍規の弛緩が見られ、それが日本と日本人のイメージを著しく傷つけたことは、どうも争えないことのようであります。

 現に今なお日本軍の暴虐振りとしてマスコミに取り上げられている事例も、戦争が侵略戦争だったかどうかとはほとんど関係のない、軍規の弛緩や紊乱によるものが多いのであります。

 それとは別に軍規というテーマは、過ぐる大戦の史実を解明して行く過程で,思わざる展開を遂げる可能性があるということも見逃せないことだと思います。

 そこで、いま私が疑問に思っていることや、気になっていることを幾つか拾い上げて、これから先の参考に供したいと考えます。

 その一 

 私が物心ついて始めて、の戦争は満州事変なのですが、その時も、そして昭和十二年に始まる"日支事変"でも、敵の捕虜のことがどう報道されていたか全く記憶がなく、捕虜そのものについての問題意識も幼いとは言え私の頭になかったのです。

 ここらあたり、子供の時の記憶をもとにしての勘ですから見当外れかも知れませんが、どうも明治とは様子が違うように思えてならないのです。

 明治だって日本の将兵にとって、敵にうしろを見せたり捕虜となることは軍人の恥でした。

 それにもかかわらず敵の捕虜については、かりそめにもその扱いが万国共通のルールに反しないように、敵国からだけでなく世界から非文明国の烙印を押されるようなことがないように、いじらしいくらい神経を使っていました。

 こういう努力の結果はいくつかの美談として語り伝えられていますが、最近知って驚いたのは,日清、日露の宣戦の詔勅に國際法規の遵守が諭されていることでした。

 昭和にはない、国を挙げての心づかいが伝わって来る話ではありませんか。

   その二 

 非戦闘員の装いをしていて実は戦闘員である「便衣隊」なるものが盛んに出没した中国戦線で、國際ルールでは正規の捕虜の埒外にあった便衣隊を、わが前線部隊はどう扱っていたのでしょうか。

 また、便衣隊かどうかを見極めるノウハウは確立していたのでしょうか。

 日本軍は、経済力の上では中国全土の三分の二を制圧したと言われますが、それほどまで勝ち進んだのなら、その過程で投降した敵の正規軍捕虜の数もおびただしい数に上っていたはずですが、それらの捕虜にはどういう処遇をしていたのでしょう。

 論争の続いている「南京虐殺事件」については、反証の形でかなりの証拠文書が世に出ていますが、大陸戦線の全局面で実態がどうだったのかは、調べがついていないし、また調べようもないのではないでしょうか。

 こういう事柄は得てして尾ひれがついたり話が大きくなったりするものですが、そうばかりも言っておれません。

当時の日本人の間には中国蔑視の風潮がかなり広がっており、それが前線部隊に微妙に反映していたとしても不思議ではないからです。

 その三  昭和十二年、日中間に戦争の火蓋が切られた翌月、我が郷土部隊である高知の第四十四連隊(和智部隊)が初陣の羅店鎮で敵を破りました。

   新聞には白兵戦で敵兵二十七人をたおした穂岐山中尉のことが大きく載っていました。あとから遅れて出征した剣道五段の西川先生も、同中尉に負けない手柄を立てんかなあ、と中学二年だった我々教え子仲間では話し合っていたものです。

 敵軍にとどめを刺す壮烈な白兵戦。この、勇敢な日本兵のイメージが、維新この方、どれほど相手の心胆を寒からしめ、際どいところで国家の浮沈にかかわる戦闘を勝利に導いたことでしょう。

 でもこれはどこの国の誰からも文句のつけようのない戦闘行動だったのです。  それを戦闘行動以外で発生した(国際ルール違反の)非戦闘員殺害と一緒にして「日本軍の残虐行為」にされてはたまりません。

 いわゆる日支事変では、宣戦布告もなしにあれだけの規模で攻め込んで行ったのですから、国の行為としては侵略行動だとされても仕方がありますまい。こんなとき弁解の余地はあってもしないのが、さむらい(武士)なのかも知れません。

 しかし、国際ルールの上で通常なら合法であるはずの戦闘行動を、日支事変の場合に限って一切合切、ルール違反の「残虐行為」と認定するのは承服しかねます。

 特に同胞である日本人がそんな物の見方に同調しているさまは苦々しいかぎりです。

 その四 

  軍規の視点で、過ぐる大戦の史実解明に取りかかろうとすると,以上の他にも敵,味方に共通する重大なテーマで、今もって思想的にも決着のついていないものがあることに気付きます。

 総力戦思想から来る、非軍事施設や非戦闘員に対する軍事攻撃、例えば米軍による無差別都市爆撃や原爆投下をこれまで正当化してきたアメリカの態度など、その最たるものではないでしょうか。

 第二次大戦の時点では既に、地域ごとに、また世界全体で戦争の様相が明治のころとは著しく変わって来ていたこともこ見逃すわけには参りません。

 第二次大戦における戦時国際法や軍規の問題は,戦勝国、戦敗国の別なく、厳正な立場で解明して行かねばならない、奥行きの深い課題なのでありまして、今までのような日本性悪説を引きずっまま臨むことは到底許されないことであります。


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