Sakigake Touron
Shoichi Ban   
 

魁け討論春夏秋冬

ご意見


 

「魁」を回顧する
2001年06月24日 


 父・伴正一は享年77歳。5月24日世を去りました。1980年外務省を退官し、その年の参院選、83年と90年の衆院選と3回の国政選挙に出馬しましたが、及びませんでした。政治を有権者のものにするのが一徹とした願いでした。

 2度目の選挙に破れた後、85年から高知市で「魁」を発刊しながら、「政治を語る会」という名の勉強会を続けました。4月末の小泉純一郎内閣が成立しました。「ようやく自分の言葉で語り掛ける政治化が生まれた」と喜んでいました。父・伴正一が書き残したものをしばらくお読みいただけたら幸いです。



 創刊の辞(1985年1月)

 元来、政治は崇高なものとされていた。

それがいつの間にか汚いものに成ったのだろう。今では
「政治は嫌い!」
と言った方が清潔で知性的にひびくから不思議だ。

「あいつは政治がすきでね・・・」
と言われると、私自身余りいい気がしない。いい意味でいわれているような気ふがしなしからついうっかり、
「何も好きでやっているんじゃない!」
と言い返してしまう。それもおかしな話だ。

 どこかで大きく狂っているのだ。

「政治を考える会」の中にも、このままの名称だといい人が集まって来ないのではないか。実際にやろうとすることがそんなに変わらないなら、いっそ「身辺の問題を考える会」に呼び方を変えてはどうかという意見が強かった。

 だが政治にまつわる我々の感覚が大きく狂っているのならなおさらのこと、台風の眼になっている政治というそのものに正面から体当たりする方がスッキリしている。政治を考えないことを自慢にしている人々からは白い眼で見られるだろうが、彼等の蔑視に耐えるのも一つの試練だし、そこから何くそという闘志が湧いてくることもあるだろう。ということで名称は「政治を考える会」そのままで変えないことにした。

 今は別々になってしまった知性と行動力の二つを久しぶりに再統合させよう。有権者におもねる詞、行動につながらない美辞麗句をつまみ出し、意味のある詞だけで語り合おう。そして大きく狂っている根源をつきとめよう。寒灯の下で国事を語り合った、そんなロマンを豊かになった国が語らなくなった今の世に息吹き変え指そう。

「政治を考える会」は国を語る会である。(昭和62年5月5日再刊)

TopPageに戻る  @1998-2001 I HOUSE.All rights reserved.