Sakigake Touron
Shoichi Ban   
 

魁け討論春夏秋冬

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妻宛メモに添えたエッセイ
2001年03月04日


 重疾患のためコラムの配信が中断し,今年に入ってまだ一回しか出ていません。

 森首相をめぐっては「総理の資質」という言葉が流行語化していますが、戦前、陽明学で知られた安岡正篤氏が展開していた宰相論のような「中身」は全く欠落したまま、コトバだけが勢いよく独り歩きしている観があります。

 これは丁度の機会、中曽根さんの総理公選構想に併行し、拮抗する私のかねがねの構想を纏め上げたいという思いに駆られるのですが、読んで分かり易い「こなれた」ものにして打ち上げようとすると体力と気力が続きません。

 そこで、しばらくは「つなぎ」の意味で幾つかの手持ちのエッセイを随時配信致したく、その第一回として、10年前の手紙、というより太平記のハイライト部分を筆写してくれた郷里在住の妻へのメモ式な返事、それに同封した一寄稿文を披露させて頂きます。



 落花の雪、読む程に心ひかれて、連想限りなし。
 太平記最終。
 それよりも五十年目の真珠湾。
 夜半に起き出でてブッシュの演説をきく、勝者ならではの格調あり。
 顧みて中国あわれ。
                    12月9日朝  正一
   久子殿

 追記 「さんさん会」への寄稿、一読ありたし。

 母性本能のカベ

 教育勅語に、教育の淵源ということばが出てくるが、戦後の日本でそれ(に該当するもの)は何かといえば、いのちを大切にせよ、なのであろう。

 問題はどんな風に大切にするかなのだが、譬え(たとえ)話で言えば、みんなが力を合わせて暴漢を取り押さえようとしているとき、「オレはそんな危ないことイヤだよ」ということが許され、まかり通るのである。

 去年(1990年)の国会で国連平和協力法案が審議された。憲法が盛んに出てはくるが、要は湾岸という、戦争が始まりそうなところへ人を出すに当たって、政府は「汗を流すことだ」で突っ張り野党は「血も流れるじゃないか」と迫って話が噛み合わなかった、というに帰する。

 世界で何が起ろうと「日本人は大丈夫か」なのであり、「日本人は危ないところへ出さぬ」であり、日本さへ安泰であればいいのである。
 こういう心情は、よく引き合いに出されるアメリカの(クエーカー教徒に多かった)徴兵拒否、コンシェンサス・オブジェクターの平和思想とは根本的に違う。

 彼らは、人を殺すという行動を拒んでいるのであって、危ないところは真っ平だ、などとは言っていない。

 ガンジーの非暴力思想に至ってはもっと荘厳である。発砲してくる相手に素手で立ち向かう。文字通り不惜身命だ。

 世界がどうなろうとこうなろうと馬耳東風、危ない危なくないの論争に明け暮れる日本国会の論議を聞いたら,湾岸派遣軍将兵の母親たちは呆れるだろう。何しろ総理大臣が「危ないところへは出しません」と言い切っているのだから。

 オオ腰抜けニッポン! アナタタチズルイ。

 だが「危なくても出す」と総理大臣が言えないのにはワケがある。それを言ったが最後,、野党は「子どもを戦場に送るな」の大合唱に火をつける。それを連呼でやられたら、この前の消費税旋風以上の逆風が日本列島を襲うだろう。自民党は、子を思うお母さんパワーの前に惨敗する。

 どんなに世界から蔑(さげず)まれても、友邦アメリカの軽侮を受けても、自民党総裁としては、大敗を招くと分かっている危険なひと言を口にするわけにはいかない。出口のない日本の政治状況だ。敢えて言うが、(聖域視され)野放図に幅を利かせている母性本能に、(世界平和という)大義の枠組を架設する難作業が、勇気ある人々を待ち受けているのだ。

 NHK太平記によると足利尊氏が楠木正成には兜を脱いでいたらしい。勝ち目があろうとなかろうと"大事なもののために戦う。その結果いのちを失うことがあっても負けとは考えない。

 とまれ没後二百年で楠公は名誉回復し、やがて出てくる楠公ブームが幕末の青年を行動に駆り立てることになる。西力東漸の波はかくて立ち上がった明治日本によって阻まれる。


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