魁け討論 春夏秋冬



私の大戦回顧 その7

2000年2月5日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
 ●来し方150年とこれからの一世紀

 前号末尾の「日本美の再発見」という言葉には、やや唐突の感がありますので補足説明をしておきますと、これはドイツ人建築家ブルーノ・ タウトが書いた本の名前です。 戦前に岩波新書で出た本ですが、伊勢神宮と桂離宮を取り上げて、簡素な中の美しさに目を見張っているのです。

 その本の記憶からフト思いついて、仕事や生活、更には死生観に亘る広義の日本文化の中に、似たようなことが言える個所がありはしないかという気がして来たのです。

 どこを切り口にして検討を始めるかな、と考えているうちに浮かんだ案が、そんなに遠いことではない、私たちのじいさんやひじいさんの歩んで来た道を、時間と心の余裕をもってじっくり見つめてみる、ということでした。

 それも、戦前の"国史"よりはずっと視野を広め、世界全体の見晴らしの利きそうな"眺望台"から、ということでした。

  というわけで気分を"気宇壮大"なものにして日本の近、現代史を眺めていますと、幕末を含めたこの150年の間に、今まで迂闊にも気のつかなかった世界史的意味のある出来事が少なくないのです。

 明治維新が成るか成らないかで、阿片戦争後のアジアが、その辿る道を異にしたであろうことは想像に難くありません。世界史の分岐点だったと言って言い過ぎでしょうか。

 日本海海戦で我が方がバルチック艦隊に破れ、勢いを盛り返した満州のロシア軍が鴨緑江を渡って南下するようにでもなっていたら、それから先のアジアはどうなったでしょうか。帝政ロシアの鋭鋒を遮(さえぎ)る力が東アジアのどこに存在し得たでしょうか。

 何か、目からウロコが落ちる感じがするではありませんか。

 しかもこの150年の前半は、人間が躍動しています。

 そこには、波瀾の世を変幻自在に疾駆した、高杉晋作たちの闊達な(しかしその多くは短い)生涯や、日露戦争を際どいところで戦勝裡に収拾する、児玉源太郎たち文武逸材の鮮やかな連携プレーなど、読む者の血を沸かせ、手に汗を握らせる感動場面がちりばめられていて、ドラマや歴史小説の題材に事欠かないのです。

 明治を描いて卓抜だった司馬遼太郎さんが、その時期を明治国家と感動的に呼んだ気持の中には、父祖の歩みに寄せる子や孫の、ロマンに惹かれる熱い思いが息づいているではありませんか。

 しかしそんな150年も、マルクス史観の人々や、戦後のいわゆる進歩的文化人の手にかかると、まるで違ったものとして描き出されるわけでして、物事すべてがそうであるように人間の歴史もまた、極端な言い方をすれば真っ黒にも真っ白にも書けるものだということを痛感せずにはいられません。恐ろしいことです。

  さてそういう感慨の裡に今年はもう平成12年、明治維新から130年超、徳川260年の半ばに達しました。偶々(たまたま)西暦ではミレニアム、千年に1度の節目です。

      大きく深呼吸をして虚心に"父祖の歩み"を見つめる。
そんな発心をするのにふさわしい年ではありませんか。

 "皇国史観"的な行き過ぎが再燃しないように、予め布石をしておくという意味もあります。

 その一方で我々は、経済力では既にアメリカに次ぐ実力を保有するに至りました。

 一歩進んで我々にふさわしい世界史上の役割を求め、国の進路をそれに沿った形で見定めて行くくらいの風格が欲しいところです。

  世の木鐸を以って任ずる人々に求められるのは、歴史に触発されて湧き出て来る格調を帯びた着想を丹念に肉付けして国の進路につなげる思想家の気概です。

 二十一世紀世代の心を揺さぶる瑞々しい国是は、識者たちのこういう不断の営みの上に、酵母が発酵するように仕上って行くものではないでしょうか。

 アメリカのように、いわば人工的に出来上がった国家の場合には、国是や国家理念を組み立てるにも、主に理性でのツメ作業で行くのが国柄に合っているでしょう。有名、無名の未来学者の学説が重きをなしたりするのも頷(うなず)ける話です。

 しかしそれが、どこの国でもベストだとは言えません。

 世界で最も自然国家の実体を備えている日本などでは、それほど理詰めでない、抒情性もかなりある温故知新型の論法の方が、説明する側でも論旨が組み立て易いし、説明を聴く側も納得が行き易いとあって、現在でも結構日本人の気性や思考パターンに合っているのではありますまいか。

 それだけでなく、デカルトからマルクスへと言われるように、久しく世界思潮の主流を成して来た合理主義に、これから先、一矢も二矢も報いる有力な思考方式として、温故知新型思考は、世界規模でも存在感を高めることにならないとは限りません。

 丁度いいところですので一服代わりに、私の英仏比較を一くさりやらせて頂きましょう。

 フランス革命のさ中、年号まで西暦を廃して理性元年を布告するくらい、"理性信仰"に傾いたフランスと、エドモンド・バークの影響などで、いい線まで伝統思考に戻った英国の、その後の歩みを見比べてみて下さい。

 革命に次ぐ革命で夥(おびただ)しいエネルギーを消耗したフランスは、アングロ・サクソン伝来の自由にほぼ踏み止まった英国に、大きく差をつけられたではありませんか。

 ちょっと一服とは申しましたが、他山の石、考えさせられることです。

 ところで話を元に戻しますと、今まで私が述べて来たようなことなど、とても言っていられない一時期が日本にやって参ります。

 戦後日本の国家目標はポツダム宣言で決められていたようなもので、更に歯に衣を着せないで言うと、「二度と侍に戻ろうなどという不埒な心は起こしません。」ということを言い換えただけのウルトラ平和主義が国是に指定されていた観さえありました。

 精神面では保護国か植民地然たる政治風土の中で、自分の国の地位や役割を、世界秩序の要所として考えるような設計頭脳はすっかり芽を摘まれていました。

 戦後のオピニオン・リーダーたちは、自分の国の位置づけ、役割設定の話に立ち入る意欲を喪失していたように思われます。

 入り口では"論議の必要性"を強調して見せますが、内容の論議には入らないでお終いにしてしまう。それでお茶を濁してしまう。

 日本人のことを哲学がないとか理念の問題には弱いとか言うだけで、自分で組み立てた考えを、分かり易い言葉で明快に説明し切る人を見たことがありません。

 尤もらしいことを言っているように見えても、よく聞いていると、西欧型謳い文句のコピーとしか思えない。

 自由、平和等々、抽象概念を並べ立てているだけで、一体どこの国の目標なのか、とからかってみたくなるようなものばかりです。

 明らかに発想能力(そのもの)の欠落症状というほかはありません。

 (「それじゃ、お前に構想はあるのか」と訊かれた場合を想定しての私の持論は次号で紹介します。)


 感想、ご意見をお待ちしています

お名前 

感 想 



© 1999 I House. All rights reserved.