ボーイズ・ビー・アンビシャス

   目  次

  1. 橋本と小泉……………………………………………………………………
  2. 協力隊の位置づけ……………………………………………………………
  3. 何かを求めて…………………………………………………………………
  4. ユメ(志)とそのスケール…………………………………………………
  5. 大いなるもの…………………………………………………………………
  6. 世界への開眼 …………………………………………………………………
  7. 国の行く末(国士の眼)………………………………………………………
  8. ユメ多き世紀(人間革命へのプロセス)…………………………………

  9. 質疑応答………………………………………………………………………
   ご挨拶
 平成7年の秋、私は青年海外協力隊30周年に当り、 隊員OBグループに、協力隊に寄せる夢を語ったものでした。本稿はそのときの録音テープを基に、講話のスタイルは残しながら、加除訂正は勿論、内容にも取捨選択を加えてまとめたものです。事によると青年海外協力隊についての最後の論述になるかも知れません。
 そんな思いから、私の協力隊在任中に帰って来られ、帰国隊員面接で話を伺った隊員諸兄姉には、現住所の分かる限り全員に、本稿をお届けすることにしました。
 読みづらいところは我慢して読んでくれませんか。読みながら昔のことを思い出して頂けたら幸いです。
   1996年11月

     魁け討論  春夏秋冬 1996別冊

        ─ 願わくば、咲く花の匂うが如く、に ─


 司会 皆さん、こんばんは。きょうも大勢の方にお集まりいただきましてまことにありがとうございます。きょうは協力隊の歴史の第30回目ということになります。協力隊発足7年目からちょうど4年10カ月にわたって、協力隊事業のファウンデーションというか、基礎の部分を十分に固めていただいた。日本社会に協力隊みたいなボランティアというものが、果して定着し得るのだろうか、どうだろうか。このことが正念場だった時代の舵取りをして下さったのが、今日の講師の伴先生で、その結果現在の協力隊があるわけでございまして、その4年10カ月にわたり情熱をそそぎこまれたときの真意などにつきまして、きょうは大いにお話をいただきたいと思います。

 すでにご承知と思いますが、お手元にある資料など見ていただきたいと思います。これは先生が協力隊に在籍中に国内的な、あるいは対外的な基盤の整備ということでいろいろとお書きになった文章でございます。きょうはこれにつきまして一々触れられるかどうかわかりませんが、後ほどこれに目を通していただければと思います。含蓄のあるといいましょうか、味のある文章ではないかと思います。すでに先生は協力隊を去ってから17年たつわけですが、いまだに生きている文章という気がいたします。私も日々事業を進めていく上で、ときに参考に読ませていただいたりしながらやっている状況でございますので、みなさん方もそういう文章を大いに生かしていただければありがたいなと思う次第でございます。

 それから、もう一つついでながら紹介させていただきますと、先生が協力隊における4年10カ月が終わって、いよいよ中国に公使としておいでになる直前に原稿が書き上がり、その後、講談社より本になった『ボランティアスピリット』というものがございます。これは日々事業運営にたずさわっている人々にとってはバイブルとして、折々活用いただいているかと思いますが、協力隊も図書室に蔵書として在庫がございますのでどうぞ機会があればまた目を通していただければありがたいなと思います。貴重な時間ですので、ご紹介はこの辺にいたしまして、先生が思いを込めた4年10カ月にわたる協力隊での事業展開についての思いのたけをきょうはお語りいただきたいと思います。

 では、先生どうぞよろしくお願い申し上げます。

橋本と小泉

  こんばんは。協力隊の話をするのはもう7年か8年目です。それで何を話そうかと、この1カ月あまり思い迷ったのですが、結局こういうことにさせていただきたい。お手元に「協力隊OBに寄せる」というのがありますね。これをたたき台にしながら、協力隊に寄せる私の思いを述べて参りたいと思い ます。

 導入部門として適切かどうか問題ですけれども、いま自民党総裁選で橋本、小泉の論戦が展開されていますね。結構おもしろい。殊に小泉純一郎はなかなか型破りなことを言うもんだから、ときどき相手に一泡ふかせる場面があって、下手な漫才よりおもしろくなる。私もできるだけフォローしてまいりましたが、これは実に画期的なことです。日本の政治家がこんな形で論争するなんて本当に画期的なことです。まだ、始まったばかりだからそう上手にいくわけはないんだけども、いいことだと思いますね。

 ただその中で日本の進路とか、世界に生きる日本、というような視点から見ると、失礼だけどまことにお粗末、触れているのは国連安保理入りのくだりぐらいなもんですね。それも、先ずこれからの世界がどうあるべきか、ということから説き起す格調のある議論じゃなくて、日本はこれだけしかできないよという腰の引けた姿勢での融通性のない議論だった。

 日本が安保理の常任理事国になるんだったら、日本は、軍事衝突が起こりそうなどんな地域のどんな事態についても見識を持っていないといけませんよね。いろんな重要案件で、何か名案はないかと、世界中が知恵を絞るようなときに、さすがは日本だといわれるような案がときどきは出るぐらいの見識が日本になくてはならない。それが期待できないようでは、安保理事会の常任理事国になったとしても大したことはないと私は思うんです。

 例えばボスニア・ヘルツェゴビナ。日本から遠いところですが、現実に平和が破綻しているわけでしょう。銃声が鳴り響いているわけでしょう。人はどんどん死んでいるわけでしょう。日本が真に世界全体の平和を願っているんだったら、世界のどんな地域で戦さが始まろうと、迅速に対応して早く戦火を終息させるように大汗をかくくらいじゃないといけませんよ。あれはヨーロッパの話だなんて、のんきに構えているようでは常任理事国になる資格なんかありゃしませんね。

 ところが、実際はどうだったかというと、ボスニア・ヘルツェゴビナでセルビア人勢力がどんどんどんどん勢いを延ばし、モスレム地域を攻め取っている最中でも、亡くなった人のことを言うのは悪いけども、当時の外務大臣の渡辺美智雄さんにある記者が質問したとき、答えはまるで、そこらの八百屋のおばさんでも答えられるようなものでしかありませんでした。早く戦乱が収まればいい、というようなことでしたかね。

 そんなことですから、折角の橋本、小泉論戦も世界の問題とか、日本の進路とかという問題については、郵政三事業論議の十分の一も議論が盛り上がっておりません。橋本さんは「元気を出せ日本」をキャッチフレーズにしていますが、そんならついでに「ボーイズ・ビー・アンビシャス」、青年よ大志を抱け、ぐらいの呼びかけがあってよかったんじゃないです。これは小泉純一郎も同じ。国民に夢をもたそうなんて発想はゼロ。どれもこれもみんな対応策ばかりです。

 日本全体で世界を考える、というような国民にはとてもじゃないけどなっていないということを、イヤというほど思い知らされたものです。

協力隊の位置づけ

 そこで、本題に入ってさっきの「協力隊OBに寄せる」というペーパーに沿って話をして参ります。きょう私が一番お話したいと思っていることは、最初のところに出ているように、
今の協力隊を21世紀における日本の進路と、深いところで関連づけることはできないものだろうか
 ということなんです。同じことはあと2カ所に出ていますが、その一つにはこう書いてあります。  こういう若者たちを、青年海外協力隊という、日本全体から見れば各論の一部でしかない枠組みの中だけで見ていていいのか。日本全体の、しかも21世紀のグランドデザインという壮大な展望の中でとらえて初めて、こういう若者の存在の意義をつきとめることができるのではないか。

 このペーパーはどういうときにつくられたかと言いますと、6年前に私が「協力隊を育てる会」の組織委員会のメンバーであった頃のことですが、育てる会の会員がいっこうに増えないので弱っていた。増えるといえば、隊員が増えたそのおかげで留守家族が増えるから増える。それ以上はさっぱり増えない。協力隊の身内から一歩も外へ拡がっていかないんですね、育てる会設立の初心に帰り、改めて国民的基盤の形成を目指そう。一般国民にアピールすることを考えよう、ということになりまして小委員会をつくった。そこで一年をかけてつくったのがこのペーパーです。今読みなおしてみると抽象的で、具体策に欠けているとは思いますけども、哲学部分はかなりのことを書いてあるように思います。

 それじゃ、「今の協力隊を21世紀における日本の進路と、深いところで関連づけることはできないものだろうか」の次から。 

新人類といわれる世代から協力隊の応募者が絶えないで出ている。若いときにしかできないことを!何か役に立つことがあるのではないか。そんなロマンや使命感を彼らは一個の人間として持っているようである。マンネリ化した職場や生活から心機一転しようとする気持ちが働いていることもあるだろう。挫折がきっかけの応募だってなくはなかろう。
 だが、「何かを求めて」といったつかみどころのない動機のほうが、依然として多数を占め続けるのではなかろうか。

 「何かを求めて」というところはサラッと書いたような気がするのですけれども、六年前も今も協力隊を受けに来る人の多くが本当に何かを求めていたんだろうか。5年間も協力隊の事務局長だった私がこんなことを言うのはおかしいですけど、フトしたときにそんな思いが頭をかすめることがないでもありません。

 私は5年近い協力隊勤務の間、その時代はまだ手作りの時代でしたから、帰国隊員にはどんなに忙しくても一人一時間を目標にして、一人ひとり面接するようにしていました。でも、隊員は自分のほうから物を言ってくれないんですな。こっちから質問すれば「はぁ」とか「ええ」とか、それでまた話が途切れるわけですよ。隊員にはいろんな業種があって、看護婦さんもいれば、電気通信もいれば、農業もいる。そんな隊員が2年もそれ以上も苦労してきたのに、いい加減な、ぞんざいな質問はできないし、さればとて隊員がやってきた仕事に即した、話の噛み合いそうな質問をしようと思うと一時間でも随分神経が疲れたものです。ところがそういう一時間も過ぎてこれという話も出てこないからそろそろ切り上げようかなと思っている。そんなときによく、ポツンと、しかもハッとさせられるようなことを口下手な隊員が言うことがあるんですな。つい話を続けたくなって「今晩空いてるか」と一杯飲み屋へ誘うことも、たまにはありました。

 「何かを求めている」というと、キザに聞えますが、別に隊員を買いかぶって書いたつもりはない。

 早い話が、今の若者には私の青年時代には考えられないほど宗教にひかれているフシがある。戦争直前、私なんかの青年期には若者は科学には興味があっても、宗教なんか見向きもしなかった。年寄りのお寺まいりなど面と向かっては言わないが、内心バカにしていたものです。それが青年の風潮だったわけです。それが、今の若者というのは、しっかりした価値観を見失っている世代のせいか、結構宗教に素直にひかれている。これなんか見ていると、何かを求めているというところが、今の若い人にはやっぱりないとはいえない。ただそれと裏腹に、私の青年時代大いなるものとして没我の精神をくすぐった「国」というものから、今の若者の心は完全に離れている。

 個人の幸せが何よりも大切なんでしょうが、家庭の幸せとか、コミュニティーの幸せとかいうところまではそれほど抵抗なく頭に入る。ところが次の段階の国となるとその言葉を聞いただけで虫ずが走るようですね。それでいてですよ。もう一廻り大きい世界とか人類ということになると、拒絶反応どころか、共感、時としてはロマンさえ覚えるというんだから妙なものです。順番にいっているものを国だけ外すことはないと思うんですがね。

何かをもとめて

 何かを求めての話になると、中田厚仁君のことに一言触れないでは気がすまないんですが、国連ボランティアだった中田厚仁君はカンボデジアで亡くなりましたね。どうも不思議でならないんだけども、あのときおやじさんが、「彼は本望だったでしょう」なんて言うもんだから、マスコミもうっかりそっちへ引きずられるような論調になってしまった。だけど、あれがあんなおやじさんじゃなくて、おかあさんがおろおろ泣いて、「息子を返してくれ」と泣き叫んだらどんなことになったでしょう。それがマスコミ論調のベースになって、「命を大切にしろ」の大合唱になっていたかも知れません。たまたまおやじさんがあんな元気なことを言うもんだから、国中が度肝をぬかれて、ああいうふうに半ば美化されるところへ行ってしまった。

 でも中途半端でしたよ、議論の方は。私の理解ではやっぱり中田厚仁君には、命より大事なものがあった。「大いなるもののために命を捨てるのならそれで本懐」という思いがありその意味で今の人命至上主義の思想とは訣別していたのではないかと思うんです。中田君にとっての「大いなるもの」とは何かというと、「人類の幸福」、とりわけ「世界全体の平和」というものだったと私は思います。

  これは仏教用語ですけど、自分の幸せだけで頭がいっぱいというのを「小我」といいます。コミュニティー、例えば村全体の幸せが自分の幸せと思えるようになると「小我」のカラを破って「大我」の世界へ一歩踏み出した形になる。それが更に拡がって行って最終的には世界人類の幸せこそが自分の幸せそのものになる。自分の幸せを求めてやっているのか、世界人類の幸せを求めてやっているのか、渾然一体区別がつかなくなる。そうなると大いなるもののために小さい自我を投げ出すという自己犠牲ではもうなくなっているんです。

 先程の話のように国をバイパスするのは奇妙に思えるんだけれど、国を飛び越えて全世界を大いなるものと把え、「大我」の境地を目指すんだったらそれはそれで結構だと思いますよ。そしてその思想の中で、日本という国にふさわしい役割を模索して行けばいいんですから。

 百花繚乱の形で若者の志が咲き匂う。そんな風潮、いいじゃないですか。

 とにかく中田厚仁君は一体なんだったんだろうということは、もっと突っ込んで議論していい。そこらあたりが非常に中途半端ですから。おやじさんは今あっちこっち講演して回っている。私も1回松山のOB会の記念講演でお父さんが来て話をしたのを聞いたものです。中々の演出ぶり、30代から40代の婦人が800人か1000人の会場いっぱいでしたが、だれ一人途中で立とうとしない。セキひとつしない。みんな真剣に話を聴いていましたね。でも本当はお父さんの話を世のお母さん方が感心して聞くだけじゃなくて、やっぱり若者同士で人間中田厚仁をもっともっと議論すべきではないでしょうか。

ユメ(志)とそのスケール

 中田君の話が長引いてしまいました。次の、異民族との2年というところにいきましょう。

協力隊に集まってくる真新しい世代の多くは、まだ一個の人間としてのロマンしか持ち合わせていないように見える。彼らにとっての協力隊参加は一人ひとりの生きがい、自分一個の青春の夢でしかまだないように思われる
 私は協力隊を去ったあと、一時期訓練所で講義をやっていたことがある。そのとき「参ったな」と思ったことが一回あるんですが、それはある女子隊員の発言でして、「ロマンというのは個人にはあっていいけど、国がロマンを掲げるということは危険だ」というんですね。それは言われてみれば当たっているんです。

 「大東亜共栄圏」なんていうのは国のロマンでした。国をあげてのロマンで、若者を駆り立てた。ヒットラーも「ドイツェランド・イーバー・アルレス」、「すべての民族に秀でたるドイツ」と叫んで、ドイツの栄光を謳い上げた。あれはロマンです。その女子隊員の言ったこと、確かにそう言われれば考えさせられるんですな。

 しかし、今考えると、それにはやっぱり国に対するアレルギーが働いていたんじゃないでしょうか。国というのはデモクラティックでさえあるなら、国民が政権を決め、総理も決め、大統領を選ぶ、国民がつくった政権です。その政権が理想を掲げ、国民の多数が共鳴している姿が何故悪いんでしょう。デモクラティックに形成された理想であっても国の場合は危険だというなら、世界人類が共通の理想を持つことはもっと危険だということになるじゃありませんか。

 私は日本がオランダぐらいの国だったらこんなことは言いませんよ。しかし日本ぐらいの国になると世界全体に対する責任の度合いが違ってくるんでして、しっかりした考え方を国として持っていないことには世界にとって大変な不安要因、ハタ迷惑になるんです。アメリカや日本は、その意味で国の意思を作り上げる上で、ひときわ重い責任があると思うんです。大きな、大事な国のデモクラシーというのは格段にしっかりしていなければいかんですよ。アメリカの次ぐらいに日本のデモクラシーはしっかりしていないといかんですよ。その日本のデモクラシーに信頼がおけないんだったら、大きな船が漂流しているような、世界にとっておっかなビックリの事態になるんです。

 隊員の場合、彼らの持っているであろう夢を、個々人のものとして花咲かせれば充分であって、それ以上望むことはないと割り切るのか、それとも、それと同時に日本という国家の在り方について理想を持つところまで期待するのか。隊員のロマンを考える場合、このことは大きな分岐点になると思いますね。

 私のよく言うことなんですけど、人間、貧乏を引きつけているとき、おやじさんが病気で寝てるというようなときには、よそ様のお世話なんかできませんよ。自分の家が人さまの迷惑にならないようにすることが精一杯であり、最高の善です。それだけの力しか自分の家にはないんですから。国の場合でも同じことで、日本という国は神武天皇以来よその国の迷惑にならんことぐらいは心がけでできても、よその国のためになるなんていう力はとてもなかった。

 ところが今はどうでしょう。日本の富は少し落ち目かなというフシもなくはないが、それでも巨大なものですよ。国としていいことをしようと思ったら幾らでもできますわな。神武天皇以来今ほど日本が国としてもいいことができる時期はありません。日本だっていつ衰えるかもわかりません。今のように力が備わったときにいいことをしないでいるということがありますか。国はロマンを持ってはいけないというのも一理あるけれども、正しい議論だとは私には思えないのです。次へいきましょう。

世界への開眼


大いなるもの

しかし、動機づけがどうであろうと、彼らは実践型の人間であり、行動派であることに間違いはない。ここにまがいもなく「夢あって行動的な」若人がいる
 ここでまがいもなく夢があって行動的なと隊員全部をくくった言い方をしましたが、そういう人もいるし、そうでない人もいるというのが隊員の実情かも知れませんね。これぐらい人数がふえてきたら、そんな立派な人ばかりがそろっているはずがない。それから夢があってなんていうけど、夢にも色々ある。「ボーイズ・ビー・アンビシャス」とクラークに励まされた明治の若者たちの澎湃たる夢、そんな感じの夢を抱いて隊員募集に応じている人が何割いるだろうか。どちらかといえば、息苦しい管理社会からの脱出指向型が主流であって、その中に玉石混淆、ダイヤモンドの原石みたいな資質の人も散見されるというくらいのところではないですかね。

 そこで、ダイヤモンドの原石みたいな資質を備えた若者のいる比率ですが、協力隊で特に高いといえるのかどうか、にわかには断定できない。しかし、協力隊を考えるに当たって非常に大事なことは、これから述べますように、ダイヤモンドの原石を磨くのにうってつけの場が協力隊にはふんだんにある。隊員の資質がいいということよりも、いい資質さえ持っていれば磨かれる機会がふんだんにある。これは協力隊のどうみても争うことのできない資産だろうと思いますね。

 協力隊を十把一からげに褒めそやすのはよくない。新聞にちやほやされ、いい気になると、協力隊は碌なことはない、ということを私は言い続けているんですが、それも、本当に立派な素質を備えた人々が、せっかくの機会を十二分に利用して、玉に磨きをかけて欲しいと願うからに外ならないのです。

 こういう若者たちを青年海外協力隊という、日本全体から見れば各論の一部でしかない枠組みの中でだけ見ていていいのか。日本の、しかも21世紀のグランドデザインという壮大な展望の中でとらえて初めて、こういう若者の存在意義をつきとめることができるのではないか。2年間の行動目標は協力の実を上げることである。しかし、考えれば考えるほど、その実践の中に、底知れぬ可能性が潜んでいるという感を深くする。個人の幸せ、家庭の幸せ、グループや地域社会の幸せといった既成概念や、言い古され通念化した価値観の枠組みにとどまらず、超えて、より大いなるもの、国と世界に「開眼」するキッカケがこの実践の中にころがっているではないか。異民族と住み、彼らとともに頭と体を使う2年の日々が、日本列島に意識革命を呼ぶ原体験、呼び水になる可能性なきや。

 えらい高望みをしたもんですな。私の高望みというのは常に、先ほど言ったように、日本というのは世界にとって大事な国なんだ。アメリカが大事なのと匹敵するぐらい大事なんだというところから来るのです。日本人が一人でも多くに立派になって欲しい。一人でも多く見識を持って欲しいと思うからです。

 それが世界のためにどれだけなることか。日本人全体として持つ見識の高さがどれだけ世界のためになることか。こういうことを思うから高望みをするんですが、いま読んだところに国と世界に「開眼」するキッカケということを書いてありますね。

 先ず国ですが、国というものには日本の青年がずっと拒絶反応を持ち続けている。ところが例えばタンザニアならタンザニアに行くと、あら不思議、国は国でもタンザニアという国には何のアレルギーもないんですわ。日本という国にだけすごいアレルギーがある。日本くらい世界史の中で悪いことをしてきた国はない、と根っから思い込んでるんですね。だから同じ国でも日本以外の国の話になるとアレルギーは始めからない。それどころか、おれがこんなにタンザニアのために一生懸命やっているのに、タンザニア人のあんたらはなんだ、というセリフがすごい剣幕で飛び出してくることさえある。タンザニア人が愛国心を持ってないことに文句を言いよるわけですわ。そんな隊員がよくいましたよ。そこではもう国は是認してしまっている。そんなことから、知らず識らずの中に国というものの見方に変化が現れてくる。タンザニア人に吐いたセリフに合せるなら日本人は日本という国を立派にしなくてはならない。そのことが、分かってくるんではないでしょうか。

 国は何でも悪いと教え込まれ、そう決めつけていたことに気づく。これが「開眼」だと私は思う。そしてこのことは、これからの日本の浮沈を占う上ですごく重要なことだと思うのです。

世界への開眼

 では世界への開眼というのはどういうことでしょうか。

 日本のデパートで物が氾濫している姿に、一つの世界という観点から疑問を持ち始める。そんなことがキッカケだと思えるのです。普通の日本人だと、あれはあれ、これはこれ、「ここは日本だ」と割り切るところですが、幾ら日本人が勤勉だからといっても行っていた国とこんなにひどい貧富の差があっていいのかという気持ちが隊員の場合はフッ切れない。行っていた国に愛着ができてくると、同じ人間としてどうしても割り切れないものが残る。そしてその割り切れない気持ちこそが、生々しい実感で世界を把える感覚の貴重な萌芽なのだと私は思うのです。そこのところをこれから読む人間革命のところに書いてあります。

今の日本の中には、端的な例としてネパールやタンザニアに住む人々を心の視界内において、自分たちの幸せや不幸を測り、行動を考えるような感覚は芽生えていない。
 ネパールやタンザニア人だけではない。ほかの国々での人の不幸など、そんなものにこだわる気持ちは普通の日本人にはない。いくらよそで難民が発生し、多勢の人が略奪され銃殺されていようが、です。ボスニア・ヘルツェゴビナなんかピッタリの例です。ちょっと「かわいそうに」ぐらいのことは思うんでしょうけども、こんな状態に世界共同体が無力であっていいのかと問い詰める気持ちはまったくない。また、それに比較して日本はどんなに幸せかということも考えない。日本は日本だということで、その方は別途、不平たらたらなんです。日本のことと、ボスニア・ヘルツェゴビナやタンザニアのことは別々に考えられてしまっている。それをつなげる「世界」という観念や感覚がまだ日本人には育っていないんです。
この大切な感覚が欠落していてどうして、識者が言う「世界に貢献する国」、「インターナショナル・マインドな国民」になることができるだろうか。切に望まれることは、国民意識の中に、いま例に挙げたような感受性を、本物の感覚として芽生えさせることだ。
 世界のどこの国で発生した戦禍や災害でも、その話を聞くと、関西大震災への同情とまったく同じとは言わないまでも、二分の一か三分の一くらいの同情心がわくとか、世界共同体としてこれを放置していいんだろうか、という疑問がわくとか、そうなって初めて日本人は精神面で世界民族になるわけです。感覚が本物になるというのはこのことです。
だが、この感覚を育て、成熟させるには、長い、静かな、人間革命のプロセスが必要だ。
 口先で幾ら国際化、国際化と言ったって、今のような安っぽい国際主義では日本人の心の中はいつまで経っても、日本は日本、世界は世界で別々だろうと思いますよ。安っぽい国際主義と言ったけど、さっき私が例に挙げたように、デパートに氾濫する商品を見て、ラオスの貧しさを思い浮かべ、同じこの地上でこれでいいのかなと思う。すぐに回答なんか出るはずはないけれど、これでいいのかなと「考え込む」、その心情ですね。これが日本人全体の心情になればもう、常任理事国になろうがなるまいが、日本は立派な、世界のためになる国です。自分の国を悪者呼ばわりしないと知性を疑われるような、ケッタイなこの50年の風潮は放っておいても影を潜めるに違いありません。

 ここは、長い、静かな、人間革命のプロセスが必要だとしか書いてないけど、日本全体にそういう感覚が芽生えるにはどういう方法があるのでしょうか。10年や20年でそうなるはずはありません。観光客という形でいくら世界中を回ったってそんな感覚は生まれません。おそらく青年の船や青年の翼でもだめでしょうね。一緒にバンブーダンスを踊って、言葉が分からなくても心は通じるなんていい気になっている。そんなことで満足してしまい易いのが、イベント型の国際交流、これじゃとてもじゃないが、本物には程遠い。そこへくると協力隊というのは重みが違ってくるんだな。何といったって二年も住むんですからね。二年も住めば日本へ帰った途端には「これでいいのか」と、ほとんどの隊員が思うでしょう。八割は一年か二年で忘れちゃうでしょうけど、一割から二割はもっと長く思い続けるでしょうね。こういう人たちが更にずっと思い続けて、これからの日本のオピニオンリーダーに成長してくれたらなあというのが私の切なる願いなんです。

国の行く末(国士の眼)

これは欲張っている、これこそ「高望み」のたぐいになると思うんですが、あえて言わせて貰うと、隊員でも、まじめにやるんだけど、あるいはいい感覚は持って帰るんだけども、自分のいた国の行く末を考えるというようなことになると、そこまで考え込む力はなかったというのが、今までの隊員のほとんど全部だったと思うんです。

 尤も、こんなことを隊員に求めるのは無理な話で、本職の外交官の場合でも容易なことではありません。

 そこで私の考案なんですが、一つの国をトータルに把える私なりのコツを紹介しておきます。これは隊員にでもやれない相談ではないと思うのです。

 パキスタンにいるとき、アユブ・カーンという人が大統領だった。私が着任したときは10年目でその極盛期、2年3カ月して私がパキスタンを去るときには完全に失脚、その没落ぶりは平家物語そっくりでしたが、そのパキスタンで私はこういうように自分に問う癖をつけた。おれがアユブ・カーンだったらどうする、とですね。たまには同僚と賭けもしてみました。1カ月くらいで結果が判明する事例だと賭けにはあつらえ向きでしたね。こういう自己鍛錬をしていると不思議なことに、面白いくらいその国の動きというものが見えてくる。新聞を読むだけの知識で考えるよりずっといい感度になっていることが分かるんです。

 中国に私は3年いました。中国語もろくにできないのに席次は大使の次の公使。ところが私の下には中国専門の外交官がひしめいているし、大蔵省ほか各省庁、それぞれの道の専門家がきているわけです。ここでも私は自分がケ小平だったら、という問いは続けましたが、賭けで強烈な印象の残っているのは、既に党の実権を握っていたケ小平が、これから先もずっと華国鋒を党主席、国務院総理として立てて行くだろうかという内容の大臣宛公電を打つときでした。電文案を書いた書記官は専門だもんで、公使なんか素人に分かるもんかと内心は思っているし、私も負けていない。ものすごいもみ合いの末私は言い放った。「臨時代理大使のおれがおれの名前で打つ電報だ。おれの言う通り打て。その代わりおれが間違っていたらあと一年お前の書いたものを一切直さない」とですね。そうは言ったもののどうなることかと気が気でなかった。あとで、勝ったとは言えなかったが、負けてなくてホッとしたものです。

 隊員の場合は今の話のように公電を打つわけでもないんだから、時には「自分がこの国の大統領だったら」と自問したり、たまには同僚と賭けてみたらどうなんですかね。国の歩みぶりへの「読み」が強くなること請け合いです。隊員の行っている国は日本人に知られてない国が多い。それだけに隊員の「読み」が定評になってくると、現地入りしたばかりの新聞記者なんかも助かる。そんなときウカツにしゃべりまくって、問題を起こしたりしないように用心しなくてはならないけれども、「読み」が強くなること自体は、結構なことだし、考えようによっては楽しめることでさえあります。一人ポツンと異民族の中に入っているんだから、新聞なんかに書いてないことがいっぱい耳に入るわけでしょう。それを普通の人のように右から左に聞き流すんじゃなくて、全部が全部とは言わないが、事柄次第では自分の力で読み切る。そしてその「わざ」の上達具合を楽しむぐらいになれないものですかね。そうなれば、これから50年先60年先、開発途上国に関する日本人の認識や見解は、増え続ける帰国隊員の「読み」の力を介して今とは見違えるほど確かなものになりますよ。それぐらいの役割を隊員が果たせるようになると、日本人全体が世界に開眼する上で、協力隊の存在は大変な意味を持つことになりますよ。

 考えてもみて下さい。ルアンダの難民200万人が、隣のザイールへ流れ出たときだって、新聞記者なんか、報道が本職だとはいっても取材に駆けつけて1週間かそこらで記事を送る。そういうのを国民は読まされているんですよ。

 あと読むだけにしますね。

ユメ多き世紀(人間革命へのプロセス

 このプロセスが進行していて始めて21世紀は、この島嶼国家にとって、その民にとって、瑞々しい夢多き世紀になり得る。この人間革命が成ってこそ「世界に貢献する」ことを国是とする、もしかしたら人類史上初の国がアジアの東に出現するであろう。

 隊員やOBの深層心理の底にうごめくまがいもない、大いなるものへの芽を見つめていると、協力隊のあり方、協力隊の育て方は、21世紀における日本の進路を展望した雄大な眺めの中で練り直され、新しい国是のもとで意味づけられ、位置づけられていいように思われる。このテーマが取り上げられる時期にもう来ているように思われる。

 五箇条の御誓文にあやかって何かの役に立つことでもあればと考えて、五つのモットーを試作した。協力隊よ小成に安んずるなかれと念じつつ。

  1. 共に住んで異民族の心を知る。
  2. その住む国を鏡に日本の姿を見る。
  3. こうして、実践裡に、大いなるもの、国と世界に開眼する。
  4. そのときも、そのあとも、おおらかな夢に生き、
  5. 静かなる人間革命に先駆ける。
 まだ方法論がついていませんから抽象論ではありますけれども、これは当時の、6年前の私の気持ちであったし、この点は今もまったく変わっていません。ボーイズ・ビー・アンビシャス、主語だけ取り替えて隊員よ大志を抱けと言いたいところです。
 以上でいちおう終わりますが、どんどん質問をお願いします。

質疑応答

司会 どうもありがとうございました。なかなか私ども庶民には思いも及ばぬ次元の話もございましたが、ただし国士でなければ何もそういうことができないということでもないと思います。特にこの協力隊事業を体験してきた我々にとっては、いま日本で自分たちの左右を見るときに、隊員でいたときの任国のことが、見較べる基準になり得るのでその視点を大いに生かすように、ということを多分におっしゃっているんだろうと思います。そういった意味では 帰国隊員、いわゆる経験者のみならず、今から協力隊事業にお勧めいただく協力隊の事務局の方々にも、何か示唆を与えていただけたのではないかと思います。

 ただ、突然こういう次元の高い話になりますと、ひょっとしたらどこからとっついていいのかという戸まどいもあるかと思いますが、あと14、5分ないし20分、7時半ぐらいまでの間、質疑応答をぜひともいただいて、それでひょっとして佳境に入れば先生の予定も若干いただいておりますので、その後簡単に懇親会をまじえてご質疑応答を続けていただきたいと思います。

谷川 ご存じのとおりことし協力隊も30周年、今お話があったことも含めて、事務局の中でも総点検を行うことになっています。あまり具体的に進んでいるわけじゃなくて、そう簡単にいける話でもないし、1年かけてもう一度原点に立ち入ろうということでやっているわけですけど、少しお離れになって、今事務局を外から見て何が、問題というのはちょっと言い方がおかしいですけど、何か気がつくことがあったら感想をお願いします。

では一つだけ。もう30年たったら協力隊には実践例というか、判例のようなものがかなり揃っていていい。マニュアルではないですよ、涙のにじむようなのもあれば、そうでないのもある。失敗例もある成功例もある。そんな具体的な実践例がもう百ぐらいでき上がっていてもいいなと思います。私のときに5つか6つ、当時の若い力、今のクロスロードへ実践例研究というのを連載した時期があります。早稲田の鳥羽欽一郎先生がすごい時間をかけて取り組んで下さった。1ぺージに普通の記事の10倍、20倍の時間とエネルギーが必要だった。こういうものがもう100ぐらいは、30年ですから、でき上がっていて、訓練所の講義も3分の2はそういう実践例をたたき台にして隊員が議論し合う。そのようになっていていいころだと思うんですが、果してそうなっているのかどうか。

 実践例というのは難しいんですよね。私は後々の隊員のために一番役に立つのが失敗例だと考え失敗例を極力取り上げようとしたんですが、そうなるとヒヤリングが段違いに難しくなる。本当は好きな女ができて、それにうつつをぬかしておったのが原因だったのに、そんなことは言えないもんだから別の原因を申し立てることだってある。そこらあたりの聴き取りをきちんとするには、検察庁のベテラン検事よりも優れたヒヤリング能力が必要かも知れない。そういうヒヤリング能力を含めて協力隊というのは、組織の資産として実践例を構築していく能力を持たないといけないと思いますね。そのことをおろそかにして訓練を、部外者の講義に依存し過ぎているようではいけないと思います。

イトウ 84年から86年モロッコへ行っておりましたイトウと申します。きょうの先生の「協力隊OBに寄せる」という題目で、内容が非常に立派な文章でちょっとOBの立場からはピンとこない点が今の時点であるんです。先生が最後のほうにおっしゃいました国の政治的な方向性、この辺について私自身は非常に疑問を感じます。現地にいるときから、確かにその国にいますけどその国の大局は見えないんです。私もそうでしたけど、どうしても日本を基準にして物事を見ていますから、うかつに判断をしてしまうことは非常に危険ではないかというような気がしていました。例えばモロッコであった例なんですけれども、建築とか土木の人が自分の住んでいる町の地図を書いて、来るときはこの地図を見てきなさいといって渡したんです。ところが、実はそれがひっかかちゃったんですね。その地図がたまたま県庁へ勤めている隊員のデスクにありまして、何だこの地図はということで、大きな問題になったんですね。やはり国によっていろいろ、地図ひとつにしても国家秘密的なことがありますから、そういうことを考えますと、帰ってきてやはりしばらくしないと一つの国のことはなかなか見えないんではないか、というような気がしたもんです。それを考えると、今行っている隊員に、遊び的な感じにとどめるとはいっても、その国のことを詮索することは危険ではないかと思います。その国が見えない状態で行っているということを考えるとです、これについてちょっと……。

私が事務局長をやっていたときは、政治には一切かかわるなと厳しく言っていました。下手なことをしていたら碌なことはない。そういうことでやってきたわけですよ。

 しかし、これからの世界、冷戦終結後の世界で人々が戦火におびえる。そんな動乱が発生するのは8割が開発途上国でしょうね。隊員のいる周辺には、まことに皮肉なんだけれども、世界の平和問題、即ち、いつドンパチが起こるか分からない事態が目の前に展開していることがしばしばある。隣国との一触即発の緊張関係、それどころか、自分の国自体の治安維持能力の喪失などなど。そこで高等芸術にはなるんだけども、いやしくも政治に介入しているとか、かかわっているという疑いを全然受けないように用心しながらじっと見つめる。そうしていると、目の前に展開していく事態が、実はいま冷戦後の世界の最大の課題となっている事柄そのものだということに気がつくはずです。それをじっと見つめるクセがついていて始めて、帰国後もずっとそれをフォローアップして行く素地が身につくのではないかと思うのですが。

 尤も、それにはやっぱり人を選ぶ必要があるかもしれません。間の抜けた隊員にそんなことをやらしていたらおっしゃる通り危険です。そうなるとやっぱり協力隊にも少しは英才主義を導入したらどうかということになりますね。英才主義の導入ということは、少くとも部分的導入ということはほかのテーマででも言えることかも知れないんで、これからの協力隊にとっては、非常に重要な課題だと言えるでしょう。

司会 まだ、3〜4分ございます。もう一問程度ご質問いただきたいと思いますが、何かございませんか。

清水 20年ほど前になりますけど、エチオピアを22年ぶりに訪問しました。ボンベイで8時間ほどあった待ち時間に、ウガンダの人と話をしたんですが、僕はウガンダはもうすぐ大変だという感じだったんですけど、彼とすれば何もないということ。帰りしなセネガルとナイジェリアの人と一緒だったので同じように話したんですけども、あまり大したことないという話。日本を出発する前に僕は朝日新聞社の記者の人から、アフリカは48カ国もあって、20カ国はつぶれかけている。8カ国くらいがやっと現状維持という話を聞いたんですが、それと今の話はどうも合わない。彼らの国家観というのはどんなんだろう。僕もちょっと国家というのは何だかよく分からんのです。先生の国家観は。

非常に深い、奥行きのある問題なんで、一言で言いにくいんだけど、私は 世界共同体の結束した軍事力を背景にして世界平和が何とか守られるようになってくれたら、一つひとつの国が隣の国から攻められる心配を今ほどしなくてよくなると思うんです。そういう状態が百年後でいいからでき上がるとすれば、国は大きいほど有利だという今までの既成概念に大きい変化が生じると思います。

 風習や、そのほか生活のリズムやペースが共通でいろんなことで呼吸が合い易いという現象がよくありますね。小さいところでは同じクラスでもあの3人はいつも一緒にいるとか。そういう平たく言えば気の合った、固苦しい言葉を使えば、文化的に共通した人々同士が一つの国を成す。何も世界連邦にまでならなくても、世界共同体の結集した軍事力が間違いなく発動してくれるという安心感が醸成されれば、国は好きな者を同士で作ればいい。それで国の数が二千になったって三千になったっていいじゃないかというのが、私の国家観です。

 現在はそうじゃないですよ。ボーダーレスばやりです。そうかと思うと国がバラバラになるのを恐れ、力ずくでも独立を阻止しようとする。これから先は経済はボーダーレスでいいが、人は文化的に共通なものが、国という統治グループをなしていくようになればいいと思うんです。世界連邦である必要は全くない。今の国連の枠組みの中でそれが可能なことなんです。

 このような視点でアフリカ大陸なんかをながめると、フランスなりイギリスが仕切ったところを国境にして、同じ民族がそんな国境によって引き裂かれているところすらあります。
 そういう状況をながめながら、ザイールならザイールという国はどういう国家体質を持っているのか。このままいくしかないのか、など考え込んでみるのが国を考えることだと私は思っています。いいですか。

 ── ということは、同じ部族でもう一度再編成をするという。

100年先の理想を言えばそうです。なかなか理想通り行くものではありませんが。
 外交官仲間でも「飯ぐらいは日本語で食いてぇな」というセリフがありました。外交が商売の人間でも外国人とではやはりどこか緊張しているんですよ。今やたらに国際化が言われていますが、人間が安らかに住む状況というのはやっぱり気の合った連中、言葉も同じだし、冗談も自然に出てくるし、それがまた自然な笑いをさそう。それが一番幸せなんではありませんか。日本なんか本来はそれに最も近い国ですよ。

  司会  それでは第一段のご質問はこれで終わりたいと思います。きょうのお話を伺っていまして、伴節、久しぶりに聞きましたという感がいたします。と同時に、鬼の伴、殺しの伴と言われていた当時の事務局長がまだ健在であったということを大変うれしくも思いました。ここには田上次長、辻岡課長、それから谷川課長もおられますが、私なども含めて当時金曜会なんていうものがありまして、この座長を努めるのがやっぱり今の伴局長でございました。なかなか安易な妥協はしない、夜が白々とあけても結論が出るまではしっかりとやっていくというので、有栖川公園で夜をあかしたことも何回かある。そんな思い出もございます。そういうことなどを思うと、今だに健在で私ども帰国隊員、あるいは協力隊事業に今も変わらぬ情熱をそそいでいただけているというのは大変うれしく思いましたし、また今後もいつまでもこういう気持ちで私どもを見守っていただきたいと思うし、激励もしていただきたいというふうに思います。伴先生の今後のますますのご発展を祈念してきょうの講演を終わりにいたしたいと思います。どうもありがとうございました。

最後に1分か2分かちょっと。いま明治から130年ですね。徳川が260年、だから130年毎に区切ると関が原、徳川吉宗、明治維新、平成7年と、こうなる。歴史的にものを見るいい機会ですが、日本という国は強い国になろうと思って見事になりましたよね。ほかのアジアの国は全部西欧に侵略されたり半植民地になった中で日本だけ頑張りましたね。それから前の戦争で負けはしましたが後では経済。これはまた世界で有数の豊かな国になりましたね。よく頑張りましたよ。これからは世界を経営する眼力とか、見識とか、そういうもので世界一を狙う。こういう目標を立てれば、みんな若い人も励みになるんじゃないでしょうか。強い国になった、豊かな国になった、後は知恵だと。知恵は、武力とは違って一人ひとりの知恵とその集積です。そういう知恵の分野でも協力隊が大きく羽ばたくぐらいになってほしい。私はそう切に思っているのです。どうもありがとうございました。
 

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