魁け討論春夏秋冬・1995秋季号
 

日本デモクラシーに明日はあるのか1━小泉・橋本討論を聴いて

一、名コンビ橋本・小泉の論戦
二、欠けていた平和問題論議
三、平和問題を選挙で問えるのはいつの日か
四.日本はどんなグランドデザインを世界に打ち出せるか
五、三権分立の虚と実


  名コンビ橋本、小泉の論戦

  勝負が始めから決まっていたので、龍虎相搏(う)つの大勝負にはならなかったが、橋本、小泉の論戦は面白かった。もっと上手な司会がいたら、小泉にスッテンと尻餅をつかせるなど、面白さを数倍に増幅させることができただろうに、と惜しまれるくらいである。

 二人が、特に小泉が、論戦を引き立てていったことは近来の快挙。小選挙区制の総選挙を控えて示唆されることの多い名舞台だった。社会党の党内で、あれだけの論戦が、日の丸や日米安保について行われたら……。できないことと分かりつつもそんな思いが去来したものだ。

  河野洋平が橋本との一騎討ちを放擲したことは、政界初の、ディべートらしいディべートを期待していた私を痛く失望させた。それだけでなく、自民党内長老の宮沢喜一が、それを賢明と評したのには開いた口が塞(ふさ)がらなかった。マスコミでも、久米宏ほど影響力抜群のニュースキャスターが、各局、各社の論戦報道を過剰と決めつけていたから驚きである。

  こんな、前デモクラシー的状況が政界やマスコミに存在していただけに、橋本、小泉の論戦は、日本デモクラシーの歴史の中で画期的なことだった、と言うことができる。

  そんなのに、今、二人の論争にケチをつけるような批評をするのは気が進まない。だが、ディベートとして採点するとこんな調子のものになるかも知れないよ、という指摘をする人がいないだけに、不十分でも、それをしておく意味はあると思う。

 小泉は郵便でなぜもっと攻め立てぬ

  先ず論戦のハイライトだった郵政三事業の民営化だが、橋本の応戦は、官僚世界なら模範答案になりそうな理路整然たるものだった。要旨は、官と民の役割分担を先ず十分に議論する必要があるというもの。

  難しい課題を先送りするのによく用いられる、定石の論法である。小泉は何故、そう指摘して反撃に出なかったのか。でなければサッと論点を郵便事業だけに絞り込んで、民間参入をほのめかしたといわれる橋本を、もう一歩、二歩、追い詰めなかったのか。

 海外から日本に出す郵便料金、国内でならクロネコヤマトの料金などを例に挙げて政府の感覚のズレを指摘するのに小泉元郵政大臣は適役中の適役。財政投融資に直結していない郵便分野に論点をしぼり、官でなければできない理由は何なのかと迫っていったら、小泉攻勢で沸き立つ見せ場が現出しただろう。面白いだけではない。いつも役所の隠れ蓑に使われる「審議会」のぬるま湯論議を嘲(あざ)笑うように、両候補の合意が成立したかも知れない。もともとディべート(討論)とは、言い合うだけでなく、分かり合って互いに納得し、争点を一つ、二つ消去することもあるものなのだ。

 冴えない連立論議

  かなり話が弾(はず)んだように見えていて、連立論議も、村山政権のよしあし談義から一歩も出ることがなかった。二人とも連立にかかわっているせいか、小泉まで発言が微温的であった。

 だが本当は、連立論議こそ小泉、橋本それぞれのデモクラシー観が映し出される誂え向きのテーマではなかったか。二人にしてみれば、政界再編の展望を論じ合って国民を啓蒙する絶好のチャンスだった。司会の力量で論議を盛り上げる余地もたっぷりあった。全く以って「ああそれなのに」である。

 七月の参院選前には、いささか待望気味に「連立の時代」というコトバが口にされていたし、その根拠に価値観の多様化が挙げられていた。それと、二大政党交替論とが激突して大論戦になって欲しいところだったのだ。

 総理は直接、国民が決めるべし−私の二大政党論

 振り返って思うに、二年前、総選挙のとき、当時日本新党だった細川が、ハッキリ反自民と、旗幟(きし)を鮮明にしてさえいたら、あの総選挙は、反自民連合で推す羽田を総理にするのか、それとも総理は今まで通り自民党々内の総裁選びに任せるのか、その選択を国民に問う、総理選び的な選挙になり得たはずである。

  かく言う私も、選挙がそうなっていくことを期待していた。日本新党のためにかつての伴票を掘り起すべく、細川からの「反自民」のひとことを待ちあぐんでいたのである。

  そんなことはどうでもいいが、もし細川のこのひとことがタイムリーに出ていたら、反自民連合では以心伝心、総理は羽田という雰囲気になっていたのだから、そこを上手に打ち出して戦う手があっただろうし、そうすれば選挙は随分面白いものになっただろう。面白ければ盛り上りも出て投票率も上がったに違いない。

 それにもし自民党が総裁改選を三カ月繰り上げ、新総裁を頭にして戦いに臨んででもいたら、選挙の面白さは更に倍増したであろうこと請合いである。

  このようにあれこれ考えを巡らせていて思うのだが、誰に天下を取らせるかの総理選びを、ズバリ総選挙で仕上げないで、その後に持ち越し、各政党の折衝に委ねることは、政権作りのプロセスを著しく分かりにくいものにする。政治を分かり易いものにすることによってデモクラシーを成熟させようとする上では致命的なことだ。

 分かりにくいだけではない。

 永田町の談合、国民不在を印象づけ、有権者におのが一票の空しさを味わわせ、政治への関心をどれだけ減退させることか。

  尤も自、社、さきがけ連立という現実に足を取られていては、こんな具合に先へ先へと議論を展開して行くことは無理であっただろうし、野党に廻ることに怯(おび)え切っている自民党内の空気からしても、自由潤達な連立論で総裁選挙を沸かせる余地はなかっただろう。

 第三政党以下の行動基準が取り上げられなかったことも、物足りないことの一つだった。

 英国の自由党のように(他日を期するところはあっても)第三党である間は、政権づくりに加わらない、という行動原理に見習う余地はないのか。こんな議論が加わったら、連立論議は見事に立体化し、政界再編論議に思わぬ精彩を加えることができたかも知れないのに……。

 マスコミは血の巡りが悪い

  マスコミが世の木鐸を以て任じているのなら、自民党総裁選をもつと大所、高所から把えてかかるべきだった。折角、政策通で鳴る橋本と直言居士の誉(ほまれ)高き小泉が、十日も論戦をやろうというのに、大事な司会者選びにトップが苦労した跡など全く見られない。何という識見のなさ。ああ、また何をか言わんやである。

 欠けていた平和問題論議

 世界の中の日本のくだりで論議はこれまた甚だ低調だった。

 国連憲章の読み間違い

 小泉は、五つの国連常任理事国が、紛争解決のためどうしても必要なら、武力行使もやむなしとしている、と発言し、そうでないわが国が……と言葉を続けた。私の知る限りこの発言はたった一回だったが、発言者が発言者だっただけに、聞いていて身の縮まる思いであった。

 勝つに決まっていて余裕のある橋本は、同じ自民党の小泉に赤恥をかかかせるまでのことはしたくなかったのだろう、この重大ミスを見逃している。身内の者同士のディべートであってみれば仕方のないことかも知れない。

 だが司会役は立場が違う。視聴者本位に、また国民啓蒙の見地から、すかさず小泉の誤解を指摘する。あるいは橋本を促して斬り込ませる。司会にはそれくらいの責任感覚と明敏さが必要だ。それがないからディべートがだらけて、「二人での雄弁大会」でしかなくなってしまうのだ。

 それはさておき、世界のこれからの平和秩序、その中で日本が占めるにふさわしい地位など、国の進路にかかわる論議になったら、十日の討論時間の半分をこれに当ててもいいだけの重要性がある。

 誤っていた国民の世界認識

 われわれは
    日本が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こるようなこと」
   をしなければ世界平和が紊(みだ)されることはない、
という、取り憑(つ)かれたような思い込みをしてきたのではないか。

 憲法の前文がそんな風に書かれている。世界が、
    その「公正と信義に信頼してわれらの安全と生存」を托するに足る、
   「平和を愛する諸国民」
から成り立っているという前提だ。

 それを承けて九条では、紛争解決のための戦争を放棄する、だけでいいものを、わざわざ一項つけ足して、陸海空その他の戦力を保持せず、と言い切り、国の交戦権まで否定してしまった。

 憲法のこの世界認識からくる平和思想はこれからずっとマスコミが煽(あお)り続け、われわれはそれをずっと聞かされてくるのである。

 だが日本が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こるようなこと」をしなくても、世界のあちこちで平和が紊れ砲声が轟いている。

 われわれの世界認識がどんなに現実離れしたものであったかは、憲法ができた直後から歴然としてきていた。冷戦五十年そのものがそうだったし、最近では湾岸戦争がそのいい例だ。

 湾岸戦争の正当性

 五〇万人の兵力を擁するイラクが一気にクウェートを攻め取る。
 アメリカを主力とする多国籍軍が素早く前方展開し、やがて完膚なきまでに空からイラクの軍事施設を叩いた上、圧倒的に優勢な地上軍をもってクウェートを奪還する。

 戦争である。

 話し合いでクウェート撤兵を促す努力は延々五カ月に亘り、色々の形で行われた。日本の世論も挙げて、最後まで話し合いで、と言っていた。

 だがイラクに応じる気配がない。クウェートという国は(攻め亡ぼされて)もう存在していない。そういう感覚での反応が帰ってくるばかりなのである。

 時の経過とともに固まって行きそうなこの既成事実。そして勝ち誇ったイラクの鼻息。おまけにイスラエルを挑発して全アラブ十字軍の結成に持ち込もうとする意図も露骨になって行く。

 多国籍軍が引いたら、サウジアラビアほか周辺の国がイラクの武威に屈するほかなくなることは目に見えている。

 ざっとこんな状況の下で発動された多国籍軍の作戦行動であった。国連のお墨付きも手にした上でのことである。

 さあ、この作戦行動を正当な戦争と認めるかどうか。
 世界の物笑いになりかねない質問ではあるが、それが日本では戦後平和思想の屋台骨を揺さぶる、厳しい設問になるのだ。小泉、橋本が平和を論ずるのであれば取り上げなくてはならないテーマだったとも言える。

 どんな理由があるにせよ戦争は絶対に容認できないというのが、当時も今も一般日本人の心情だと思う、それでいけば答は「ノー」である。

 しかし、今述べたような実際の場面で「ノー」と明言できただろうか。「ノー」なら税金で調達した一三〇億ドルの拠出金の趣旨をどう説明するのか。

 うっかり物の言えない局面だ。日本の対応が冴えなかったのも無理はない。

 ここで、誤った世界認識だけは正しておけ

 少なくとも当時のイラクを平和愛好国とは言えまい。 となると、多国籍軍の作戦行動の正当性に対する是非の答はしばらく措くとしても、
   世界みな平和愛好国
という平和憲法の世界認識、戦後平和思想の土台でもあった世界認識が誤りだったことは潔くこれを認めなければなるまい。

  平和憲法の理想を高く掲げ……など言っているわけにはいかなくなるはずだ。
 世界はそんなに生易しいものではない。

 自衛戦争が容認されるとなると………

 日本人のほとんどは気づいていないだろうが、戦後の日本平和思想の破綻は、日本にも国家固有の権利として自衛権があるとしたときに、論理上予見されていた。

  日本に自衛権があるのなら日本以外の国にもある。共に自衛戦争ならしていいことになる。となると次に出てくるのが、「自衛戦争への援軍はどうだ」という問いである。国連軍や、国連の権威の下に発動される多国籍軍の作戦行動に限定してでもいい。

 自衛戦争そのものはいいが援軍はダメというのも通りにくい論理である。この論理でいくならアメリカの援軍を想定している日米安保条約の正当性も怪しくなってくる。

 国に自衛権ありと政府が解釈を転換したとき、自衛戦争への援軍の問題はツメておかなくてはならなかった。集団自衛権の問題である。

 アメリカの救援を受けるなら、国連軍や国連の認める多国籍軍の救援も受けていいはずだし、日本がそういう救援を拒まないのなら、日本が他国の自衛戦争に援軍を出すのも、全く同じ性質の行動として是認しなくては理屈が通らないではないか。

 このところで、日本に限っては海外派兵をするとまた悪いことをするというコンプレックス(日本人性悪説)を見直す気が、日本人自身にあるのかないのかが問われる。

 とまれ、国連の行動であろうと国連の権威の下に行われる行動であろうと、軍事上のものには一切、加わらないというのなら、逆に日本が自衛のために戦うときも、どの国からも援軍を受けるべきではないし、アメリカの救援も例外ではあり得ない。そうでなければ余りにも虫がよすぎる。

 日本が久しく先送りしてきたここら辺りのツメは、遅巻きながら自民党からでも取り掛っていい時期ではないか。戦後五〇年でもある。国連憲章からの敵国条項削除を主張しながら、日本人性悪説の継続を自ら言って出るのは、どう考えてもおかしいことだ。

 そんなに難渋な論理でもないこのツメの欠落部分を、橋本や小泉が取り上げない訳は大かた見当がつくが、司会を務めていたマスコミの売れっ子たちは何をしていたのだ。自分や仲間の選挙を心配する必要もないのに、何故この問題を二人にブッつけることをしなかったのか。

 国民はそんな議論を聴いて賢くなるのだし、こんな大事なところで 聴かせる議論をして見せるのが政党や政治家の責務であり、それを促していくのがマスコミの本領たるべきではないのか。

  平和問題を選挙で問えるのはいつの日か

  PKOでカンボジア派遣中の高田警部補が撃たれたとき、かねてから「自衛隊は海外派兵につながる。警察を出せ」と主張していた社会党は、バツが悪かったと見えておとなしい。そのとき自民党で、しかも閣僚の地位にあって、日本PKO総引き揚げ、という社会党顔負けの主張をしたのが小泉純一郎であった。

 PKOに危険はないということだったではないか。その前提で出したのだから、前提が崩れたら引き揚げるのが当然、というのである。

 理屈は通っている。小泉らしいところでもある。だがそれは平和問題の日本における難しさを知らなさ過ぎるか、頬かぶりをするものだ。

 そんなことをしていたら日本は、全世界の前で大恥をかくところだった。

 危ないところはまっぴらご免

 PKOを出そうとすれば「危険な状態は存在しない」と言わざるを得ない。カンボジア和平を仕上げるために、という平和国家にふさわしい大義名分があっても、身に危険が少しでも降りかかるようであれば人の子一人出せない。それが日本平和思想の風土なのだ。ホンネのところをあっさり言えば、世界人類の平和なんて実はどうでもいい。カンボデジアの戦乱が収まろうと収まるまいと(今で言えばボスニア・ヘルツェゴヴィナで何百万人が戦火にさらされようと)知ったことではない。自分たちの命を危険にさらすことまでして人の国の戦乱収拾に手を貸すことは、美徳どころか容認さえされていないのだ。

 「若者を戦場に送るな」というシュプレヒコールは、どうやら今ではこんなホンネのところで国民大多数の共感を喚んでいるように思えてならない。だからいざ選挙にでもなったら、特に母性本能をくすぐって、一気にブームを起こすくらいの底力を発揮する。今や戦後日本の平和思想は、平和というより人命至上主義に本当の重心は移っていると言って過言であるまい。

 どこの国でもイヤなこと

  日本ほど極端ではなくても、どこの国だって若者を戦場に送りたくなんかない。中でも母や妻の身になってみれば、いづこも同じ人間自然の情だ。

 更に冷戦期の緊張が失われている今では、この半世紀、あれほど世界にかかわってきたアメリカでさえ、世界のことにかまけるのはよせ、という声が出始め、選挙でも無視できない勢力に成長しつつある。

 みようによっては、かつてのモンロー主義の上を行くような一国平和主義の擡頭だと言えるかも知れない。 よその国の戦乱などどうなっても仕方がない、という内向きのところが、今の日本の平和思想そっくりだ。

 攻め得、取られ損でいいのか

 デモクラシーが流れて行きそうな、こんな一国平和主義の思想が世界の共通意識になりでもしたら、各国が助け合う余地はない。どこかの国で勇ましい声が高まって武力行動に出でも、これを遮(さえぎ)る動きはどこからも出ない。出るのは「やめろ」「やめろ」の大合唱だけ。国連も安保理決議という紙きれを濫発するだけに終るだろう。

 哀れなのは攻め込まれた国、攻撃をハネ返すだけの軍事力を日頃から蓄えてきた国でなければ、戦わずして敵の軍門に降るか、勝ち目のない自衛戦争を何日か何週間か続けるだけだ。そしてこの、強い者勝ちの世界が、一国平和主義が世界を風靡(ふうび)したあと世界がたどりつくであろう姿なのである。

 選挙では吹き飛ばされ勝ちな理性

 理性が支配している論争の場でなら、戦後日本の平和思想に対しても、こうして堂々と論争を挑むことが可能になるだろう。反論、再反論、再々反論と論議を尽していけば、つまらぬ揚げ足取りのような部分が消去されて、双方の立つ世界観が平易に、くっきりと浮き彫りになるだろう。

 だが今の日本の精神風土はそうなっていない。不毛の議論が多い。そうでなくても折角の議論が、先程のキャッチ・フレーズのような殺し文句で吹っ飛ばされたらそれでおしまい、そんなことになり易いのである。

 そしてその典型が選挙なのだ。

 国にとって一、二を争う重要事項でも、こんな見地から、選挙で問うには不適当とされることが多い。増税がいい例であり、その上を行くのが世界の平和秩序、どうひいき目に見てもホンネを言い出した方の負けだ。

 戦後日本の平和思想は、世界で通用しないのは勿論、国内でも平和論として意味をなさなくなっているにもかかわらず、人命至上主義に転向してその堅固な要害に守られてきている。

 平和問題の行きつくところは死生観

 平和秩序の論議は、右のような事情から、人の命にかかわる個所に焦点を移動してかからない限り、空虚なタテマエ論の応酬に終ってしまうだろう。

 どんな価値よりも自分の命が大切だとするのが右にいう人命至上主義の根本義であり、国のため、世界人類のため、あるいは最大多数の最大幸福のためといっても、いづれも自分の命の次に位置づけられる。

 ちなみに現行憲法が、軍というものをあってはならないものとしたことは、この思想に見事に即応していた。交戦権の否認もそうだ。国のために戦うことなど、あってはならないと読めるからだ。憲法九条の第二項は、いま考えると、人命至上主義を謳い上げるために設けられた条項だとさえ映るのである。

 国のためと言い、同じ意味で君のためと言って身を危険に曝(さら)すことをいとわなかった時代がある。今でも世界を見渡せば、国とか世界とか、大いなるもののため、まさかのときには死線を越える覚悟の人がいる。カンボジアで死んだ中田厚仁ボランティアも多分その一人だろう。ノーブレス・オブリージュという言葉にもその響きがある。

 大勢の中にそんな思想の流れている例がアメリカかも知れない。アメリカで自由と言えば、国とアイデンティファイされて命にかけて守るもの、大いなるものであるのだ。

  死生観の上で、極端から極端に揺れたのが日本であり日本人だったが、以前とは違って、世界の平和秩序を組み上げていくという視点から、戦後五〇年われわれの中にすっかり根づいた人命至上の死生観を、これからも続けるのか、ここで見直すのか。やがて世界から問われるときがくるに違いない。文化の奥にある問題としても大変な課題だと思う。

 極楽談義の域を出ない日本の平和論

 ついでにこの五〇年の日本の平和についても、成熟した平和観で見直しておくことが望まれる。

 戦後の日本は、日米安保というより、日本を取られまいというアメリカの意思が働いていなかったら、その運命は風前の灯(ともしび)、どこかの段階でチェコスロヴァキアと同じ道を辿っただろうと思われる。

 一皮剥けば目に映るこういう恐ろしい因果の図式をじっと見据えて、日本存亡の上に占めた米国軍事力の重みを噛みしめ、評価しようとするオピニオンリーダーはまだ小数である。

 多数は戦後五〇年の(日本の)平和を、平和憲法の英知によるものだとしてケロリとした顔でいる。おお極楽トンボたちよ。困るのはこの二、三年政界で頭角を現わしてきた細川、武村、河野たち、ひょっとしたら羽田あたりまでがこれに和していることだ。

 平和論議が極楽談義であってはならないことに真っ先に気づかなくてはならない人たちなのに、である。

 平和とは、世界が力を合せて戦乱を鎮(しず)めることである

 PKOへの日本の及び腰という話に始まって、世界の平和秩序、その根本義というところまで話は行ってしまった。

 実のところ、日本の進路をめぐって政界が再編成されようという今の時期である。何よりも先に論議を尽さなくてはならないのは、全体土俵としての世界共同体の在り方についてである。この大いなる場で日本はどういうグランド、デザインを仕上げ、どう世界に向かって打ち出して行くか、である。

 その中で最も基本であるのが平和秩序であることには誰も異論はあるまい。いつその日が来るのか分からないが、政治がいつまでも先送りし続けるわけにいかないのは、この点について意見の対立(軸)を明確にし、徹底した論議に入ることだ。

 それは生易しい論議ではない。

 平和秩序の根本義は、よその国に侵入する兵力を、世界共同体がどうやって喰い止め、どうやって元の線まで引かせるかである。世界共同体が想定してかからねばならない相手は、話せば分かる理性的な国ではなく、他国を侵して進撃を続ける手ごわい軍団と、それを動かしているしたたかな野心家なのである。
 

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