伴正一講演記録
 

世界の風 日本の風


目 次

植野世話人代表あいさつ…………………………………………………
政治改革とコメと消責税と………………………………………………
間題はリクルートだけか…………………………………………………
検察の行き過ぎ……………………………………………………………
国会は何のためにある……………………………………………………
選拳で問え、規制緩和間題………………………………………………
選挙でうそはつきものか…………………………………………………
日本の風、その特殊性……………………………………………………
心細い世界の風への対応…………………………………………………
志あれぱ前途洋々…………………………………………………………
教育と政治で士佐は先進県に……………………………………………


 植野世話人代表あいさつ

 皆様、お暑い中ありがとうございました。定刻をちょっと過ぎましたのでさっそく始めさせていただきたいと思います。土佐の夏を区切ります「志那弥様」も無事に終わったようでございます。これから日一日と秋らしくなっていくことと思います。では講師にご登壇いただきます。

〈拍手〉伴正一氏登壇

 暑いなかをお運びいただきまして本当に、感激でございます。今日は大変に大きな題を掲げました。いろいろお話しする内容を考えました。どれからお話ししていいかわからないぐらいになっております。

 政治改革とコメと消費税

 そこで皆さん、私の「暑中見舞」ご覧になっていただいたでしょうか。ほとんどの方が見て下さっていると思いますので、一つ、ここを導入部門といたしまして、皆さんと一緒に日本人の置かれている今の立場、高知県人の置かれている今の立場を、広い視野から一緒に考えてまいりたいと思います。

 この前の参議院選挙の直後、中国へ雲隠れして広東省のあちこちまわっておりました折りに、ふと思いましたのは、あの参議院選というのは「人民裁判みたいなところがあるなぁ」ということでした。人民裁判というのは、中国に関心をお持ちの方はご存知と思いますけれど、共産党が天下を取る過程において、存在した一つの裁判形式です。大勢の人が集まって、資本主義の悪玉と目される者をつるし上げる。

 どこまで本当か、見た訳ではありませんが、誰かが「死刑、死刑!」と言うと「そうだ!そうだ!」というようなことで、いわばその時の雰囲気で刑が決まってしまう。その人民裁判のことを何とはなしに思い出していたのであります。なぜそんなことを思い出したのでしょうか。中国に旅行していたので思い出したということもありますけれど、あの選挙は消費税そのものも議論らしい議論はされていないんですね。論議というものがない。だから国民が取捨選択したということになるのかどうか怪しい。こういう思いがかねがね頭にこびりついていたからでもあります。

 私も選挙に二度出ましたので、選挙の時に使ういろんな言葉の一長一短を私なりに考えておったわけです。やっぱり連呼で車を走らせながら「何々反対!何々反対!」と威勢よく叫んでいくとですね、賛成論などをブツよりははるかに与える印象が強烈です。社会党の方もこの中にいらっしゃいますけど、社会党というのはほとんど「反対」「反対」でやってこられた。

 一番早いところでは吉田内閣の時に、単独講和に反対。その時はもう国中の大合唱でございまして、東大総長南原繁をはじめといたしましてインテリ層が全部反対した、マスコミが全部反対した、そして左翼政党、全部が反対した。そういうすごい逆風の中で、吉田茂さんは信念を貫いたわけでありますが、その時が社会党の最初の目ぼしい反対でしたね。

 最近でいえば国鉄がJRになって皆さんよくなったと思っておられますでしょう。国鉄時代と比べてずっと良くなったと。しかしあの国鉄を解体することにもすごく反対でしたね。まあ考えてみれば、日本の野党はずっと反対、反対でやってきた。そこへ、この消費税という、誠にうってつけのテーマが飛び込んできた。好機到来とばかり「弱い者いじめの消費税反対」を絶叫して廻った。

 こうなるとですね、その強烈な語気が連鎖反応を起こして消費税憎しの気運があの嵐のような風になって、こうもり傘など吹きとばしてしまう勢いになった。自民党が何をどうやっても歯が立たない。ではどういう点で議論が足りなかったのかということです。あの参議院選のときには、政治改革ということが大きなテーマでなければならなかったわけですね、この点私は自民党に批判がある。

 何故、小選挙区ということを思い切り強く打ち出さなかったか。小選挙区ということは戦後政治の総決算ともいうべき大改革で、是非やらねばならないことだったのですけれども、それを自民党は打ち出せなかった。さらに考えていくと、私は伊東正義さんのことにブツかるんです。

 皆さんの中で過半数の方は、伊東正義さんが私の出版記念会と総決起大会とに高知に来て下さったことを覚えていらっしゃると思います。伊東正義さんのことを悪く言うとバチがあたるのですけれども、私は伊東正義さんが総理に推されたとき、かつての吉田茂さんのように条件をばちっとはっきりつけられて、それを呑むなら総理を受ける、と言われたらどうだったのだろうと、そうなさらなかったことが残念でならないのです。

 吉田さんは、総裁になってくれといわれたときに、二つ条件を付けられましたね。「オレは金の面倒はみないよ、いいかそれでも。人事はオレにまかしてもらいたい。この二つ聞いてくれないならオレは総裁を受けないよ」ときっぱり言ってのけられた。

 で、吉田さんは総理、総裁になられましたが、仮に伊東正義さんがオレはこれだけ皆から押されたことには感激しとるとした上で、「ついては政治改革のもとになる小選挙区を進めるが、文句は言わないな」ということを打ち出して小選挙区問題をやられたらよかったのになぁ、といまでも思っています。これをやると自民党も社会党も皆が大ごとですわ。高知県でいえば高岡郡と幡多郡が一区になるわけでしょうか。

 仁淀川と物部川の間が二つに分かれるんでしょうか。で旧安芸郡が一つになる。まあそういったことで、今までの地盤というのがメチャクチャになるのですね、これだけの小選挙区制をやるぞ、いいか。それと人事は一切派閥もヘチマもない、オレにまかせるか。この二つをはっきりおっしゃって、呑まなかったら受けない。呑んだら受けるということで悲壮な決意でお受けになっとったら、参議院選は全然違った風になったんではないか、とこう思います。

 昨日でした。サンケイ新間を読んでおりましたら、戦争がもういよいよいかんようになった時、陛下から鈴木貫太郎さんに組閣の大命が下りそうになるわけですね。鈴木貫太郎さんはそれを固辞されるわけで、軍人が政治をやってはいけません、なんとかかんべんして下さい、と申し上げるんだけれども、陛下のたってのご意向を受けまして、それじゃうまくいくかどうか自信はないけれど、老躯を引っ下げて粉骨砕身いたしますと鈴木内閣はできあがる。危ないところ。日本が滅亡の寸前で、終戦に成功するわけであります。

 そんなことをいろいろ考えていますと、自民党の方の危機意識というものもまだ本物ではないなという気がしてなりません。まあざっと言ってそんなことが実は「暑中見舞」の中の一つ目の柱として挙げてあるわけです。

 それから政治改革の他に、おコメ、農業の自由化の問題を挙げてあります。選挙の最中にNHKの特集がありまして、橋本龍太郎さんと土井たか子さんが相次いで演説されるところが画面に出ておりましたけれど、見ていて土井たか子さんより橋本龍太郎さんの方がはるかに内容に重量感があったと思います。

 ところが、橋本龍太郎さんの言われたことで非常に気になったことが一つだけある。「コメの自由化は絶対いたしません」とやった。まぁあの当時、逆風を受けての大変な時期ですから、橋本さんを責めるのは酷だと思いますけれども、しかし、この厳しい世界の中で日本が孤立の道をひたひたと歩んでいるんです。一粒のコメも入れない。未来永劫、一粒も輸入しませんということで、まかり通れるでしょうか、少なくとも、せめて食管法に触れるべきであった。

 今、おコメは統制になっていますよね。戦争の時の統制がまだ形の上で残っているわけで、全くバカバカしい。農水省も、素人も農民もバカバカしいと実は思っている、時代錯誤の食管法でございますけれども、せめてこの点、即ち国内のおコメの自由化ぐらいのことは論戦になってもよかったんではないかと思っております。

 それから、「暑中見舞」で触れた第三の柱、消費税ですけれども、反対が沸き出るように出たということ、これは分析していかなければならないことです。自民党もあまりいわなかったんですが、国が百六十兆円という借金を抱えている。ということは国の二年半分の歳入すっぽり全部と同じ額の借金を国は抱えているということなんです。個入でいえばですね、皆さんが年収の二倍半の借金をかかえているのとそっくりなのですね。それなのにこのことにあんまり触れなかったですね。

 税金問題の本質部分は、あんな、こんどの選挙で出ていたようなことではないんであって、百六十兆円という大借金、これは私どもの世代が作った大借金なんですが、この借金を私どもの世代がこの世を去るまでにきれいにして去るのか、それとも子や孫の世代に払ってもらうのか、というところのくだりなんです。税金に関するかぎり世代の利益は対立している。

 青年と壮年と老年、それぞれに対立している世代問の利害をどう調整するかということで大激論が行われなければならない。その上でやり方について、消費税とか所得税とかいう論議に入っていくのが、国民が税金を考えるときの筋道だと思う。その大事なところがすっかり忘れられていた。

 ひどいのは、あとで取り消しがありましたけれども、消費税をやめて代わりに歳入余剰をあてるなどという不見識極まる意見まで出た。個人の二年半の給料に当たる借金をかかえながら五万円、六万円もうかったからといって使ってしまう。それとそっくりのことになってしまうような議論を述べ立てる。それでも国民がそれに乗ってしまったわけでございます。非常に気になることです。選挙らしい選挙にはほど遠い。目本の民主主義は前途遼遠だなと溜息の出る思いだったわけです。

 そういうことをさらに越えて、暑中見舞のハガキの中で申し上げましたけれど、今日の演題にもある世界の風のことに選挙の論戦は全然触れておりませんね。こんな選挙があるんでしょうか。

 では暑中見舞の解説部分を以上で終わりまして、これから本論に入っていきたいと思います。

 今日は私の常に思っていること、世の中、日本で大きく狂っているのではないかかと思われることをテーマに取り上げて感想を申し上げますので、皆さんのご批判を頂きたいと思います。

 二、間題はリクルートだけか

 一つは、リクルートのことです。こんども山下元利官房長官が辞められ、森山さんのあと志賀さんが環境庁長官になられたんですが、やっぱりマスコミの方は「リクルートは」とこう聞きますね。リクルート。まるで身体検査か試験問題みたいですね。全部の人がリクルートの関門をクリアしないと前に進めない。

 しかしよく考えてみるとですね、政治の中で動いているカネの中で土建開係で動くカネの比重はリクルートなどの比ではありません。私も一回だけ政治資金欲しさ余りにやりかけて失敗したことがありますけれども、だいたい十億円の物件で口ききをやりますと謝礼三%というのが相場です。

 一○億円の建物の入札案件で口を利いてうまいこといったら三、○○○万円がポンと入るのですわ。一○○億円の建築物だったら三〇億円ポンと入るんですわ。そんなカネに限って長年の経験から当事者がヘマはやらかさない。必ず札束、証拠の残らない札束で授受している。こうして足を出さずに土建関係で動いているカネの量はおそらくリクルートの何十倍でしょうね。

 そうだとするとリクルートからもらったのは運が悪い、あるいはうかつだったということになるんで、そこだけに十何カ月も照明を当て続けているなんて、リクルートを弁明するわけではないが、そんな馬鹿な話があるだろうか。

 今、どの選挙区でも、高知でもそうですが、誰が二億円もっておるとか、誰が三億円作ったらしいとか、そんなことが当落の予想話では持ち切りです。億単位のカネがそうやすやすと入ってくるはずはない。リクルートまがいの金であるに違いないのです。それか自分がかなりの金持ちであるかです。そういう中で、何かマスコミの取り上げ方がおかしい。リクルートばかり問題にして他はほったらかしている。全体を見渡してない。これは何か大きく狂っていることの一つであろうと思うのであります。

 リクルートがらみで一つ二つ付言させて頂きますが、私は弁護士でもあります。外務省へ入る前、司法修習生のころには、東京地検で犯人の取り調べもやりましたし、弁護士になってからも弁護の過程で、警視庁へ行ったり検察庁へ行ったり、小菅刑務所に行ったこともございます。

 この中には私よりずっと専門の警察出身の方もいらっしゃるわけですが、スピード違反というヤツは、ねらいを定めてやられたら大抵の人は引っかかる。そこからネズミ取りという言葉も生まれました。警察が待ち伏せる。ちょうどそこを通りかかったスピード違反車が捕まる。ネズミ取りに引っかかった、という言い方は何か運が悪かったという響きを持っている。その感じが実は選挙違反にもある訳でして、誠に切ない思いに駆られるのであり、リクルートについても何か割り切れないものが、残るのであります。

 三、検察の行き過ぎ

 もう一つ。このリクルートが言われていた頃、検察庁がえらい国民の信望を得ていました。巨悪を検察庁がやっつけてくれるみたいな、正義の味方みたいな期侍が、ものすごく盛り上がっていた。その状況を今でも思い出しますけれど、この現象はいい現象ではない。こういう反論をしていると思わぬ誤解を受ける危険があると思いますが、検察庁のやり方にも行き過ぎがないとは言えないんですね。何でNTTの真藤社長まで逮捕までしなければならなかったのか。

 あれだけ国家に功労のあった方を逮捕なんかしなくてよかったのではないか。在宅起訴ということだってありますよ。韓国の金大中だって今度は在宅起訴ですよね。逮捕していませんよ。そもそもは在宅起訴というのが刑事訴訟法の建前なのです。あんなお年寄り、在宅起訴でよかったのです。ダンボールに千何百も証拠物件を押さえている。それだけやったらもうそれでいい。手錠を真藤さんにはめる残酷なことまでせんでいいじやないかと思えてならないんです。

 そういえば田中角栄さんの場合も逮捕は行き過ぎだったと思います。一国の宰相、総理大臣をやった方を、事もあろうに為替管理法違反なんかで逮捕しているんですよ。別件逮捕というヤツです。これなんか在宅起訴でよろしいですわな。そういうのを見ていると、世の中で、常識から考えればおかしいことをやっといて、あまりおかしく思われていないのが検察とマスコミですね。

 これはだれも正面切って批判する人がいないからですかねえ。役人は役人で、結構、悪口を言われる。政治家は政治家でボロくそにいわれる。そういう中で検察庁とマスコミだけは滅多にやっつけられることがない。だから行き過ぎがまるで行き過ぎでないかのようにまかり通るんだと思います。

 私が小学校六年生のときに、二・二六事件というのが起こりました。六年ですから大体のことを覚えておりますけれど、当時の大人たちは二・二六事件を悪くは言わなかったですね。方法は間違っているかも知らんけれど憂国の熱情、その動機はまことに崇高だと当時の大人たちは言っていました。

 これはどういうことなのでしょうか。

 大正デモクラシー以来、日本では政党政治がきちんといきよったんですね。ところがその政党政治が、今の自民党そっくりと言っていいんでしょう。その腐敗ぶりが目に余り、国民に飽きられるようになる。その腐敗堕落を陸軍がやっつけてくれるという構図になって、国民の多数が拍手喝釆を送ったのではないでしょうか。

 昔、陸軍、今、検察とまでは言いませんが、ここら当たりのこと、日本が大きく狂っていることの一つではないでしょうか。

 四、国会は何のためにある

 狂っていることの第三ですが、今、殊に新聞やTVでは、審議拒否ということは正当な方法であるかのごとく報道している。新聞を読んだりTVを聞いているとそのようにしか思われません。それと裏腹になるんですが、単独採決は民主主義のルールに反するように言われます。これは、自民党を弁護するわけではありませんけれども、おかしいのではありませんか。審議に参加して反対しなければいけないのに、審議に参加しないでダダをこねている。

 これこそ民主々義に反する。私の理解はこうです。審議するために国会が要るのであって、審議しないのなら、採決の結果は始めから分かってるんだから、総選挙で勝った側が内閣を組織する。それだけで事がすんでしまう。国会は無用の長物じゃありませんか。採決の結果は始めから分かっているのに、それでもなお国会を開くのは、審議をするため。国会はそのためにあるのではありませんか。

 小数党の権利という言葉がありますが、これは、小数党が正しい場合もいくらでもあるのですから、小数党と多数党が充分に審議して論点をつめて行くことの重要性を物語っている訳です。審議している過程で、なるほどわかったということで妥協することもありますわ。審議する前には五つも六つもあった争点が審議の結果二つか三つに縮まり、そこから先は〃見解の相違〃なんだからということで採決を取る。これが民主主義のプロセスであると私は理解しております。

 然るに去年から今年にかけての国会は票決があるだけで、それに先立つ審議がすっぽり抜けている。非常に残念なことであります。民主主義から審議を抜いたら、人間の心臓部分を抜いたに等しい。それではもはや民主主義とは言えないのではないか。そういう意味で審議拒否は民主政治の命取りです。それをそんなに悪くないかのごとく扱うマスコミに対して、私は憤慨に耐えないのであります。

 ついでに申しますと、中曽根さんは戦後政治の総決算ということで、いろいろなことをなさった。いいこともなさった。ただ一つどうしてもやってほしかったのは、国会質疑のやり方にメスを入れることでした。各政党が与党も含めて質問すると、政府が答弁する。ところが政府側には反論権がないのですね。質問者に対して「あなたの言われるのはこうこうですね。間違いありませんな。それでは私から尋ねますが……」ということを政府側からは言えないのです。

 相撲でも仮に、片方は守るだけで攻めてはいかんとなると、そんな相撲、おもしろいと思いますか。だれがそんなつまらぬ相撲を見るでしょうか。攻めたり守ったり丁々発止の攻防があって相撲もレスリングもおもしろいわけですよ。それが、国会の質疑応答では片方、政府側は反撃できないものですから煙幕を張って逃げまわるしかない。

 私も外務省時代に国会答弁の原稿を随分書きましたが、分かりやすく書いたら、次の質間を誘発するからまずいんです。分かったような分からんような式にうまく書くと質問はそれで納まるんです。だからといって、皆さん政府の予算委員会などよくTVでお間きになると思いますけれど、政府の言っていることよく分かりますか。野党はやたらにいきり立つ、ところが政府はぬらりくらりやって、何回聞いてもツボをはずす。これじゃいけませんね。

 やっぱり国会は言論の府、討論の場なのですから、討論、英語でいうディベイトですね。それをしてこそ聞いている国民が「そうか、成る程ここが問題なのだな」と分かる。国民に全く分からない質疑応答、今はその質疑応答さえ審議拒否で止ってしまう。

 開会期間の八割ぐらいがそんなことになってしまっておるわけです。まことに残念なことだと思います。

 五.選挙で問え、規制緩和間題

 それからまた大きく狂っていると思うことの一つ。
 あとでも述べますけれども、許認可事務について日本というのは本当に煩瑣です。

 私も高知のタクシー会社に頼まれて車を二台増発するために、高松の陸運局へ一年半がかりでいろいろ手続きをしました。一日がかりで出向いて行ったのが二回。そのあげくのはてが却下なのです。

 安芸市の道路を掘る出願をやったこともあります。水道管を埋めるためなのですが、高松市にある四国建設局の許可が要るんです。夜、人が通らないようになってから掘りはじめて埋めて、朝、人が通りはじめるころにはきれいに仕上がる。そんな簡単な工事なのですが、その許可を得るのに一日半も、高松市まで持っていく、そして一カ月半も待たされるんですね。こういう役所の許認可事務というのは厖大なものです。

 アメリカが頭へ来とるのも、おコメというのもあり、流通機構、談合などというわけの分からないものもありますけれど、この許認可事務というヤツが完全にカチンと頭にきているのです。外国人を締め出すために迷路をつくっている。許認可事務という迷路で日本人だけが何とかいくようにしているに違いないというわけなのです。

 こういう許認可事務について未だかつて選挙の争点となったことを覚えておりません。こんなことこそ選挙の時の争点となって、今のままでいい。民間が勝手なことをしてはいかんから、いちいち許可認可を必要とするんだという人もあれば、そんなものはもうできるだけ徹廃しろという説もあるでしょう。許認可事務というものは国民の生活に大いに関係するところであるのに、それがほとんど議題にされていないということ、それが大きく狂っていることの四番目であります。

 六.選挙でうそはつきものか

 いま大きく狂っていることについてもう一つ私の感想を述べますと〃うそ〃という話です。私も二回選挙に出て、支持者から「おまさん、ちっとばぁ嘘もつけいでどうするぜよ。室戸へ行ったらここの港をどうする、こうすると言い。知らいでもえい、どうせ相手は忘れる。そう言いなさい。おまえさんみたいにきっちり考えこみよったら選挙は負ける、もっと勝つことをまじめに考えて選挙やり」とこう言われました。「まじめにやり」ということは「もっと平気でうそを言え」ということですよ。私はうそを言おうか、言うまいかでさんざん悩まされました。しょっちゅう嘘を言わんといって叱られてもきたのです。

 ところがこんどの消費税では、中曽根首相がうそをついたということで有権者の怒りを買いましたね。これは確かにそうなのですわ。そうなると、有権者の心理は一体、全体どうなっているんだ。私は不思議でたまらないのです。

 私は中曽根さんを弁護するわけではありませんが、あの中曽根さんの嘘はです、藤尾さんが言わずもがなの時期に大型間接税が必要だと言ってしまったんですわ。野党に恰好の攻撃材料を与えてしまった。これはいかんと思って中曽根さんがそれを消しにかかるわけです。藤尾さんが言わなければ、大型間接税に触れなくてすんだわけです。ところが、大型間接税が一挙に浮上して来たんで、これじゃ選挙に負けると思った中曽根さんは狼狽したということなのですよ。

 しかし同じ中曽根さんがですよ、うそをついて国民が怒らなかった事例があるからおかしいのです。三年前同日選挙になるかならんかというときに、「同日選挙なんか考えたこともない」と中曽根さん言っていましたよ。同日選挙になってしまってからでも「あれは偶然ああなったのだ」と、意図したものでは全くないという風に釈明していた。あの時、野党は嘘つきの連発でした。うそつきばかりで攻め立てたんです。ところがどうでしょう。結果は何と三百議席を取ってしまったんです。自民党が。選挙と嘘の関係を今後、どう考えていくべきか、奥行きの知れない難しい間題ですね。

 有権者が政治家に対して持っている甘え、政治家が有権者に対して持っているおもねり、この二つの構造があるかぎり、負けそうになった時は必死でうそでも言う。これは責められませんね。うそが選挙からなくなることは未来永劫にない。ただうそが減っていくことを願う、それにはやはり有権者のレベルが、だんだん上がって来て甘えが滅る。そうなっていって始めて政治家はうそをつかなくてすむようになっていくのではないでしょうか。

 それはそうとして、いま非常に心配なのはコメのこと。きっとアメリカが言ってきますよ。自民党、社会党もコメの自由化は絶対いたしませんと言い切っている。果してそれでいくんでしょうか。国際的に日本が孤立しないでいくんでしょうか。公約が交渉の手足をしばってしまっている。それを心配しているのであります。

 七、日本の風、その特殊性

 ところで日本の風は野党にすごい追い風でありましたけれども、世界を見渡しておったらどうも風向きが違う。中国では天安門事件がありました。大変な盛り上がりでした。

 ソ連の選挙を見てごらんなさいませ、共産党は惨敗でしょう。ポーランドはもっとひどい。
 戦争直後、焼けただれた日本を建て直す上で、国民が自由勝手なことをしよったらどうにもならん、ここは社会主義で日本を建て直すしかない。場合によっては共産主義で乏しきを分ちあいながら行くしかないと、真面目な方がそう考えたことは無理もないと思います。

 しかしそれから四十年たちました。共産主義、社会主義がどんなものであるかいろんな国の実例がずらっと並びました。

 並んでいる中で、日本がなりたいような国があるでしょうか。たとえば中国みたいになりたいと思う人がいますか。ソ連みたいになりたいと思う人ありますか。

 すっかり違った風向きの風が上の方を吹きよるのに、日本では社会党が追い風を受けている。これはどういうことなのでしょうね。やっぱり選挙戦術が秀れておったのでしょうか。反対!反対といっていても、ものによってはそう有権者に強くアピールしないけれども、消費税というのは、主婦が毎日買物カゴをさげて買い物に出て行く毎に頭へきている。何といっても実感がある。そこに向けて反対!とこう打ったわけですから効くも効かぬもない。勝ったのもそういうわけなのでしょうね。

 しかし世界の風を考えると、この現象は腑に落ちませんね。少なくとも、イデオロギーの面でこれから先は自由主義経済に立脚するのか、しないのかを、社会主義政党としてはっきりさせるべきだったと思うんです。尤もそれは、社会党にとって致命的に損なことだったでしょうから、その時点ではっきりさせなかったのも止むを得ないことだとは思いますけれども。何れにしても日本の風というのが、いかにも世界の中で特殊だ。世界の風がこう吹いているときに、日本だけ逆に吹いているという実感は否めないのです。

 もうどれぐらいになりますか、日本の常識は世界の非常識、世界の常識は日本の非常識という言葉がございました。

 早い話が、世界中で軍隊の存在が悪だと言わんばかりの主張がまかり通っているのは日本だけです。それは憲法にそう書いてあるから仕方ないですね。だから日本は軍隊は一人もいない。自衛隊があるんだとこういうのだけれども、これも大きなうそです。どうしてこのようなことになったのか考えてみますと、やはり原因はアメリカの占領政策にある。

 アメリカは日本にてこずりましたからね、硫黄島なんていうのはですね、脱線しますけれど、向こうは二日で占領できると思っていたんですよ。それが一カ月半粘られて、アメリカ軍が二万人近く戦死した。あんな狭いところで、木も何もないところで、普通ではとてもも考えられないことです。何しろアメリカ軍は、制空権を完全に押さえ、飛行機では日本なんか一機も行けない。海からは完全にアメリカ海軍が包囲して艦砲射撃をやっている。その中で追いつめられたネズミのような日本軍、こんな島を二日で取るというのは当たり前のことなのです。それを一カ月半も粘られて、おまけに攻めたアメリカが二万人近く戦死するなんて考えられないことだった。

 それがこんなひどいことになってしまった。恐るべき日本人という感じがアメリカ人にあったことは否めないことでして、こんなのにまた刃物を持たしたら大変だということになる。だからまあ極端な憲法をつくらしたのは分かりますけれど、全く世界に通用せんようなことを日本で常識として定着させた元凶はやっぱりアメリカですな。

 そしてその次はやっぱり日本の学者だと思う。日本の学界では、大正デモクラシーとか、いわゆるリベラルといわれる自由主義というのは割合弱くてですね。左が強いのです。高知出身の島田三郎さんという人が政治家でいらっしゃるのですが、いわゆるリベラルである島田さんは、普通の民主主義を生涯大事にされたらしい。それなら当然のこと戦後よみがえらなければならないのに、よみがえらなかった。かえって幸徳秋水のような社会主義がかった人が戦後ぐっと脚光を浴びるようになる。中庸、中道派が弱い日本では、インテリの世界を左が制覇してしまう。これがやはり日本がおかしくなった原因、世界と全く違った常識を持つような国になったもう一つの原因であると思います。

 社会党についてついでにもう一つ付け加えますと、社会党はいつ税金党になったのでしょう。本当に社会主義政党なら炭坑も国営にする。何もかも国営にする。民間企業は潰していく。国営に反対する政府、自民党とは正反対の政策をとらなければいけない筈なんですが、実際にはそういう意欲を持った社会党国会議員は非常に少ないと思う。今、社会党が第二政党として存続しているのは専ら反戦、反核の二つの思想が根強いからにすぎない。反戦、反核というのは、あんなひどい敗け方をしているもので、今なお日本人には根強く残っている。それが社会党の精神的基盤だろうと思うのです。

 八、心細い世界の風への対応

 日本の風ということで、あれこれ申し上げましたが、次に目を外に向けてみましょうか。この前六月のお話でも申し上げましたけれども、中国のゆくえは混沌でございます。

 聞かれても分からんと言うほかはない。明治末、大正のころの中国のような群雄割拠の時代さえ絶対来ないという保証はない。今のままずっと十年も続くことはありますまい。どういう形になるかは分からないが、不幸な事態が中国に起こらないだろうか、それが心配です。尤も場合によってはそのような不幸な状態をうまく乗り切ることによって中国が自由化に成功するのかも知れませんが。

 ソ連ですけれども、これがいま一つ分からない、ひょっとして、一夜明ければ、新聞紙上にゴルバチョフ失脚、ソ連軍ボーランドに進撃などという大見出しが目に入らないとも言えない。寒さがブリ返す危険がないとはいえないけれど、ソ連の国民で「共産主義ありがとう」などと思っている人がいるでしょうかね。みんなもっと物が欲しい、自由が欲しいと思っているに違いない。

 それからアメリカですけれども、終戦直後のアメリカというのは、軍事的に世界を制覇していたことも事実だけれどもそれだけではなかった。アメリ力国民というのは、人類の歴史の中で、曲りなりにも理想を持った、即ち国としての理想を持ち、それをある程度実行した最初の国民だと私は思います。

 しかも武力、経済力で他を圧倒しておった。アメリカの果たした役割は非常に大きかったわけなのですが、今やそのアメリカが、かつてのアメリカに戻ることはなさそうに見える。

 ヨーロッバはヨーロッバで統合がいったい何になるのか。日本にとって吉か凶かまだよくわからないわけです。

 その中で一つだけ私が心配なことがある。世界の風は自由へ向かいつつある。統制とか独裁とかが次第に崩れて行く。そのことは慶賀にたえないわけですけれど、日本の立場からすれば、この世界の風は日本を孤立に追いやっていく風ではないかと思えてならないのです。どういうことかと申しますと、今まではソ連という、悪者役を演じてくれた国があった。憎しみの標的になってくれていたわけです。ところが、そのソ連が、物わかりがよくなった。

 悪魔がすうっと消えていく。そうなったら、見渡したところ憎ったらしいのは日本だ、となる。アメリカにとっても、ヨーロッパにとっても。開発途上国だって分かりませんよ。贅沢三昧をしよる。世界ということが全然念頭にない。自分の国だけのことしか考えない、エコノミックアニマル。それが憎ったらしいことに技術だけ進んでいて作る物はいいという訳でしょう。

 ソ連が標的だった。その標的が下されていくと、次に高いのは日本であって、日本が標的になってしまいはせんでしょうか。

 すでに日本が袋たたきになろうとする気配があっちこっちに出てきております。これは大変なことでして、こういう状態に対して日本丸はどうしたらいいのかということが選挙で問われなければいけませんのに、全然問われませんでしょう。こんな大事なことに目をつむって、一粒もコメを入れないと言うとワッーと歓声が起こる。それがやがて風になって、まともに反論など言い出せない雰囲気ができてしまう。そんなことでございます。

 選挙のおかげで日本が世界に対応していく上での選択肢というものが大幅に挟められていく。真面目に選挙の公約を守っていくと、とてもじゃない世界への対応はできませんね。これは大変、憂うべきことだと思います。

 九、志あれば前途洋洋

 今までお話したところでは、いかにも前途は暗いのですが、今度は打って変わった話をいたします。

 矛盾はしてない。両方が日本を取り巻く状況なのですが、ここへ私が準備して来たメモがあります。読んでみますと、「見よNIESの雁の列を!その先頭を日本が切る感慨」とあります。二−ズとは韓国、台湾、香港、シンガポール。ここら辺の経済力がぐ−んと上がってきましたね。それを追うようにアセアン、タイとかインドネシア、マレーシアとか上がってきていますね。

 国家興隆の勢いがすごい。ヨーロッパもアメリカも問題を抱えているとき、アジアのこれらの国の雁が順調に飛翔を続けている。その先頭を切っているのが日本です。戦中派の私にとってこのことは感慨に耐えないのです。「戦死した戦友たちよ見てくれ。日本はこの雁の先頭に立ってアジアを興隆さしとるぞ」と報告したい、そういう感慨であります。

 それと同時にもう一つ。世界の風が軍事力というものの意味をだんだん下げていく。軍事力の時代が去る。経済力の時代が来るということは、日本の時代が来るということです。

 世界は今、創業期、ある意味の黎明期ですな。朝のようなところがある。黎明、あけぼの。その創業期に臨んで日本は力がどんどん、どんどん、ぐんぐん、ぐんぐんついてきておる。

 ここで私はまた感慨にふけるのですが、土佐が生んだ二人の先人、坂本龍馬さんと吉田茂さん。この二人が日本のためにしたことを回顧してみましょう。司馬遼太郎さんは龍馬は経済の方を主に考えておったんで維新革命はその手段でしかなかったというけれど、私はそうは思わない。

 モタモタしていたら、日本はインドみたいになる。列強によってたかってとられてしまう。植民地になる。土佐藩もへちまもあるか。日本がヨーロッバの植民地になってなんの土佐藩だというのが龍馬さんの発想で、日本が累卵の危うきにあったときに立ち上がった。脱藩までして立ち上がった。それが龍馬さんの場合。

 吉田茂さんはどうかというと、日本が大東亜戦争で叩きのめされ、焼けただれた中で、どん底での、というより危急存亡の中での対応を見事にやってのけた。二人に共通していることは、日本が非常に危ない時、どん底の時にリーダーツップをふるわれたことです。

 けれども、確かに暗い面もありますけれども、今、日本はその二つの時代と比べて状況が断然いい。軍事力の時代は去る。経済力の時代がくる。日本の経済力は日に日に充実してくる。まさに世界に伸びる巨大な力となってきた。日本が発展しようとしている。飛躍の時にいま日本はいる。この飛躍の時に、どうしてもっと立派なリーダーシップが出ないのか。二死満塁で三振になりそうです。ハラハラしないでおられますか。

 自民党の悪口を言わせてもらいます。

 今までの自民党は、吉田さんが引いた路線を守ってきた。守成それでよかったんです。今や守成の時代は去った。世界が流動化する。正に創業期に入ろうとしているんです。偉大なるリーダーシップを日本は必要とするんです。日本は、いや日本以上に世界がそのリーダーシップを必要としているんです。

 それなのに日本ではリーダーシップがどんどん衰えているではありませんか。こういう状況だろうと思うのであります。

 こういう情勢の中で考えることでありますけれども、つらつら考えてみて、神武天皇以来、日本民族は、世界どこもそうでしょうけれど、その日その日の生活に精一杯、生きるために必死で頑張ってきた。余裕なんていうものがまともにあったことなど日本の歴史の中でありませんよ。そういう長い歴史を経て今、初めて日本が力に余裕を持ってきた、余裕が出てきて、何かしようと思えばできるようになった。

 まあ今まではその日暮らしで、食うのに精一杯だったから苦しまぎれに満州に兵を進めることも、石油が欲しくてインドネシアヘ攻め込むことも、選択肢の一つに考えられなくもなかった。けれども今はそういうことをしないで理想を追える。いま日本が持っている力で、あるいはこれから伸びるであろう日本のカで、何も悪いことをしなくても理想を追うことができる。こういう恵まれた条件を備えるように日本がなってきました。

 それからもう一つ。先ほどアメリカが史上初めて理想を持った国民であると申しましたけれども、そのアメリカが、相対的に比重低下してくるとなると、必然的に日本が浮上して来る。そしてそこで日本は理想を持つ第二の国になるのか、ならないのか、日本人の素質が問われるようになってもおかしくない。

 世界人類にとっての憧れ、期待、アメリカがかつてずっと持っていたそういうイメージ、素晴らしいイメージだと思いますが、それに見合ったようなイメージの国を作ろう。そういう国家体質の国を構築しようと決意するならば、これからの日本の実力からみて、できるわけであります。可能性があるわけであります。あとは決心次第。これをぜひ日本国民の意識革命の柱にしたい。それが私の心からなる願いなのであります。

 ところが、経済的に豊かになった時、人間、そう易々と意識革命などするものではありません。むしろ今まで持っていた理想すら失い勝ちである。そして衰退の途を辿っていくものなのです。普通は。ですから日本がこの今の活力を維持していくには、経済的に伸びようとするだけではダメなので、やっぱり、理想を持った人間集団になろうと、志す必要がある。そうでないと日本もまた〃普通の場合〃になってしまう。栄枯盛衰の道理がモロに働いてやがて衰頽の一路を辿ることになる。

 宮沢さんはわざわざ私のために一回高知へ来て下さったことがある人なので、悪口をいったら罰があたりますが、宮沢さんの打ち出された資産倍増計画というのがありますね、日本人は所得倍増はとうからできて、もうすでに十倍増ぐらいだけれど、資産というのは案外乏しい。そこでこれからの日本の目標は資産倍増だと言っておられます。これは経済的な目標としては素晴らしいことだと思います。民社党も経済大国、軍事大国式に大国の名をつけて、生活大国にしたい、一人一人の生活をもっともっと豊かな国にしようと言っています。

 ところがこの二つに欠けていることは夢と理想なのです。私は夢と理想こそが日本をこれから頽廃から救う道であろうと確信しております。

 私は時々、山間部へ参ります。そんなとき、村づくり、地域づくりに青年たちが一所懸命になっておられるのを拝見して非常にたのもしいと思うのですが、もう一つそれにプラスして、そういう若い方々が背後にアジアの視線を感じるとしたらもっと素晴らしいことになるのではないかと思うんです。

 山間僻地、過疎で苦しんでおられますね、都会との隔差がどんどん開いている。同じ日本で豊かな地域と貧しい地域ができ上がりつつある。日本国内にも南北問題があるということですね。その貧しくなりつつある地域から立ち上がった○○村ケースという実践例が現れたら、それはアジアやアフリカの貧しい国々にどれだけ励みになることでしょう。一つの成功例、いいモデルを作るんだという心の弾みを後からのアジアの視線が与えてくれる。村づくりにこの発想を加えることが、どんなに素晴らしいことか。村づくりが〃世界への貢献〃に直結するんですから。

 一○、教育と政治で土佐は先進県に

 いま教育でいわれていることは非行をなんとかしなくては、暴力をなんとかしなくては、要するにマイナス要因をなんとかなくするということばかりであります。何故、もっと子供に夢を与えないのか。夢を与え、理想を与えたら、子供はそれに向かって一所懸命やるんじゃないでしょうか。全部が全部ではなくとも、さぼる子もおりましょうけれど、今のようにそれはせられん、あれはいかんということばかり言っているのとは大違いだと思います。

 マイナス要因を封ずることばかりに父母会も専念しているようだけれど、もっと広い心の世界を子供たちに見せて、夢を持て、理想を持てというように仕向けていったら教育というものが随分違った姿になってくるんではないかと思うのであります。

 次は政治でありますが、本筋の政治論議に入る前に、ここで余暇ということに触れておきたいと思います。今はただ、余暇はいい、いいといわれていますが、働きすぎるとはどういうことなのでしょう。何故日本の方が働きすぎなのでしょう。何故ヨーロッパの千何時間が正しくて、日本の二千何時間が悪いのか、その哲学を私はあまり聞いていない。要するになんとなく、ヨーロッパを基準にしてもっと働かないようになろうと労働省がいっているだけです。

 人間、寝ている時間を除いたら、雑用の時間はありますけれど、大事なところは働く時間と余暇ということになります。働く時間を削るなら、それを余暇に廻してどう過ごすのかメニューがなくてはおかしいと思う。こういうことをやる。そのためには仕事をこれぐらいにしておかないとそれができない。何かいいことをするために、つまり余暇というものにはっきりした積極的意味を見出してはじめて、どこから先は働きすぎだという論理が成立つ。その哲学がいま欠如していると思うのであります。

 余暇をふやせというのは、旦那さんが仕事に熱中して家庭を顧みないから、もうちょっと家庭を顧みなさいということなのでしょう。確かに家庭に応分の時間を配するということは正しいことだと思います。しかし、家庭にさえ配していればそれでいいのか。楽しいわが家建設のために余暇の全部が投入されていいのか。

 夢と理想を国民一人ひとりが持つようになると、余暇というものはその理想に向かっての準備に投入されてもいい筈です。健康や楽しいわが家建設のために余暇の半分が投入されるのならば二割やそこらが、公共のため、政治をよくするため、よりよき世界のために利用されてしかるべきだと思うのであります。日本は世界からみていい国、見習えといわれる国になる。そういう国家体質を持った日本の国を作ろうということになれば、これからが創業期です。政治の理念をこういうところに求めるなら、欠点を直す話ばかりよりずっと楽しい。国民一人ひとりの余暇を配するに値する。こういう考えが何故政治家に起こらないのでしょう。

 そこで私が申し上げたいことは、そういう国造りを考えるに当たって、今の世相のままではいけないということであります。東京で著名な評論家や学者がパネルなんかをやって、それがTVで放映される。地方の人は見ているだけ。思想上の中央集権が甚だしいと思うのであります。私が今日準備して来たメモには〃まず土佐が燃える!〃とこう書いてあります。

 これはどういうことかと中しますと、確かにいろいろ土佐には問題がございます。企業誘致だとか、交通の問題とかたくさん問題をかかえております。そして情けない話ですがビリケツから這い上がろうという話が多い。そのためにひたむきな努力が各方面、あちこちで行なわれています。ビリケツでは困るんで這い上がろうということは大事なことに違いないんですけれど、一つぐらい、日本一の先進県であると胸が張れ、何か優等生である分野があっていいんではないでしょうか。

 燃えながら見定めた目標に向かって突進するということがあっていいんではないでしょうか。先進県を目指す。そういう点で考えますと皆さんも恐らくこれと思われるであろうことは政治と教育ではないでしょうか。教育については先程中し上げましたが、一つだけ付け加えますと、戦前まで土佐は天下に鳴る先進県でした。

 それが政治になると、もっと光り輝く歴史がある。六百年続いた武家政治を終わらせる土佐勤王党の結成。これはもう大変な革命運動だった。素晴らしい先進県(藩)だった訳です。それから自由民権運動。自由は土佐の山間より出づ。まぎれもない先進県です。

 私の母方の祖父なども自由民権派でして、品川弥二郎の選挙干渉があったときにですね、横目、今のお巡りさんなのですが、その横目に追いかけられて逃げていたところ、ふちのない井戸に落ち込んでしまった。そこからが笑い話になるのですが、私のじいさんは頑固者でして、サムライが「助けてくれ」なんか言えるか、と意地を張って井戸の中で頑張っていた。危ういところ死によったそうです。

 官憲の弾圧に抗しながら、自由民権のために闘ったそのころの闘士たち。食うものはいまの我々よりもずっと粗末なものを食っていた。自動車なんかありっこない、コツコツ、コツコツ歩いていた。着る着物だって、奥さんやお母さんが機(はた)で織ったものだった。

 今の高知県民より遙に低い生活水準の中で、今の土佐人よりはるかに立派なことをやってのけていたわけです。政治で土佐が先進県になれない理由などどこにもない。天下に先駆けようとすれば必ずできる。その手始めとして、土佐の有権者はもっと政党に入ったらいいと思う。日本の政党は誠にお粗末でありまして、恰好は政党の体をなしておるけれど、中は空洞でございます。何よりかにより党員の数がドイツなどと較べて桁違いに低い。

 ドイツの例では有権者の二五%が何らかの政党に加入し、ちゃんと会費を払い、政治活動に参加している。それが日本では僅か一・五%、ドイツの十分の一にもならない。いかに日本人の政治参加が、寒々とした現状にあるかを物語る好例であります。私も自民党、高知市支部の組織委員長というのを一年だけやらして貰いました。組織委員長というのは党員を増やす仕事なのですね。

 自分で歩くわけですよ。行く先々でご苦労さまといってくれる人もあるにはありましたが、多くは何をしにきたかと言わんばかり。物もらいにでも行ったときのような侮辱的な対応を行く先々で受ける。ガックリきましたね。

 ガックリくるけれど、さて、俺はこの今、目の前にいる人に何を言ったらいいのだろうという点で深い迷いに陥ってしまう。四年前のことでしたね。自民党の党員になるメリットは、と聴かれる。メリットじゃないんですね、党員になるのは。有権者として国の政治に参画するわけですから、参画すること自体に価値があり、それが目的そのものなのです。メリットは何ですかなどという会話が行われていることがおかしい。考えさせられましたね。一体日本の政治は、政党はどうなっているんだ、と。

 やっぱり土佐が政冶で燃えるには、政党への参加がまともな数にならねばなりませんね。何党でもよろしいと思いますけれども。そうして、いま存在する政党の欠陥をどんどん直していくという活動がぜひ必要ではないかと思います。ちなみに私の知る野党の党員も大したことはなく、社会党員は高知県下で千人。たった千人ですよ。民社党は確か県下で百人ですし、政党などというものではありませんよ。

 どうしても気に入る政党がないなら、作ったらどうでしょう。明治親治の前半、天下に知られた自由党は土佐で旗上げをしたんですよ。堺町の、最近まで中央公園だった、あそこが日本立憲政治発祥の地なのです。世界が流動化しつつある。国も一面では非常な危機に瀕し一面では洋々としている。この、時代の境目に土佐から新しい政党が出ても少しもおかしくはない。ちなみに坂本龍馬ブームいうのは何回かあったんだそうです。司馬遼太郎が作ったブームは三回目か四回目。

 最初のブームは明治一○年代。柴崎紫瀾という人が高知の土陽新聞へ連載小説を書いたんです。「汗血千里の駒」という題で主人公が坂本龍馬。西町の私の家のすぐ近く、井口で刃傷事件が起こる。そこが最初に出てくるのですが、この小説を多くの東京の人が読んだ。なぜ読んだかというと、当時東京で新しい思想に触れようと思う人は、高知で発行されている土陽新間を読んだらしい。そうしないと時代に遅れてしまう。と、東京の人が思った。そんな時代があったんですねえ。

 私たちよりずっと低い生活をしていた当時の土佐人がそれだけの重みを日本の政界、思想界で持っていたんです。当時よりずっとうまいものを食っている我々が「夢よ、もう一度」と立ち上がってできないはずはない。志次第だと思うんであります。

 現在の土佐を見ておりますと、土佐が燃えるということは幻かなあと思うこともないではない。しかし私は、死ぬまで、失望しないで意地を通したいと思っとるわけです。

 最後に全くとっぴな話をして本日の話を終わらせて頂きます。

 戦争が負けたときに私は、自慢みたいですけれど、日本とドイツは一○○年か二○○年のうちにはもう一度、蘇るのではないかと思った。何故そう思ったかというと、かつて戦国の世に四国を切り従えた長曽我部、九州を平定した島津、山陽山陰を制圧した毛利。それらはみな、太閤秀吉にやられる。しかし野球でいえば準優勝かそこらまでいって、そこで敗れているんです。

 やっぱり準優勝までいったというプライドは敗けても残る。二六〇年を経て幕末に力が蘇った。長州、薩摩、土佐、戦国の雄が幕末にまた雄になるではありませんか。二六○年ですよ、その間隔は。それならば世界で、優勝戦に敗れたドイツと日本が一○○年、二○○年後に蘇らんという理屈はない。

 こう思ったんでありますけれど、それが一○○年、二○○年どころか四○年で今日の状態になったわけです。だから土佐人の心のどこかに蘇生力の源になるプライド、誇り、そういうものがまだ残っているのではないか。火は絶えてないんじやないかと思うのです。そういう根っ子の力が興って大いなるもの、正しい理想を求めていってご覧なさいませ。必ずやなすところあらんと、こう信じて疑わないのであります。

 あと皆さんからご質間をいただいてお答えしようと思います。どうもありがとうございました。
 

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