伴正一勉強会記録 1988
 

モラルのタテ系に「日本人のプライド」を


 第十一回この度の勉強会記録は内容を編集替えし、新しいモラルの提唱そのものの部を「その一」にまとめ、その他の部分を脱線個所も含めて「その二」に致しました。

 「その二はいったんは切り捨てようとした部分ですが、戦後における思想の空白を埋めようとする意欲的な個所もありましたので、補充し加筆して世に間うことにしました。

 若い方には理解しにくいと思いますが、本当は若い方々にこそ読んで頂きたいところです。

建国記念日に商工会館へ行ってみましたら、西内雅さんの講演があっておりました。途中まで中々頷かせるところもあったけれども、終わりの方になって大東亜戦争で日本にはどこにも悪いところはない、侵略なんか日本はやっとらんとか、段々言われることが勇ましくなる。そこまで言いきられると、私などついて行けない。そういう調子で建国記念日を強調されると、左翼の人々の側に絶好の攻撃目標を与えるんですわ。

 皆さんの中には兵隊にいかれた方がおありだと思うんですけど、敵の飛行機が来たとき、うっかり撃ってはいけないんです。撃ったらここに砲台があるぞ、ということを知らせることになる。撃ったら気が休まる、怖さが滅るもんでつい撃ちたくなるんですがね。けれども気休めなどに撃ったらいけません。敵機に攻撃目標を示すだけのことになるんですから。

 今の右の方、いわゆる右翼じゃありませんよ、ゴロッキみたいな右翼と違って、平泉澄先生のお弟子のような、文部省でいえば教科書検定の村尾次郎さんのような方、そういうレベルの右の学者が昨日のような講演をなさるようでは、日本の思想の分裂は治らんというような気がしてなりません。

 いま道徳教育、道徳教育という声がかなりあります。それは総じていいことだと思いますが、それが今みたいな勇ましい戦争肯定論と合流すると、保守反動という感じになってしまうんで、左翼学者につけ込む隙を与え、穏健な道徳教育の主張までが、十把一からげで保守反動ときめつけられるようになるんですわ。バカバカしい、いまいましいと言ったらありゃしません。
 そのことでやや脱線気味になりますが、こんなことは言えませんか。

 戦後四十年もとっくに過ぎたのに学者とマスコミの頭は終戦直後から基本的には殆んど変わってない。確かに、一億玉砕まで行きかけたその反動だから、左に一杯振子が振れたのは無理もないし、左一杯に上がりっぱなしで、なかなか右に反転しないのもよく分かります。

 しかしもうそれから四十年ですよ。普通なら、右に反転してまた左にふれ、二回くらい右、左に振動して揺れの幅が小さくなっていていい頃じゃありませんか。

 それが左一杯に上がったまま動かない!これは異常だ。こんな具合だと今度右に揺れるときのことが思いやられる。どこまで右へ行ってしまうか……末恐しい話じゃございませんか。現に持ちこたえられないかのように左一杯からパラパラと一部が脱落して極右ヘ振れていっておる。靖国神社へ行ってご覧なさいませ。英霊にこたえる会というグルーブがマイクで何を叫んでいるか。

 イスラエルでは若い女性までが国のために銃をとっています云々ですわ。

 西内雅さんの話も気になります。

 私は教科書問題で中国が抗議を続けていた真最中、東京の中国大使館の館員たちにもモロにぶっつかって行ってこの振子の話をした。右の方の極端な議論というのは脱落して右ヘ振れた人々の意見であって、そもそもこんな現象が起るのは、言論界が中庸を得ないで左に吊り上がったままでいるからだ。そんな状況でのほんの一部の右振れ現象を、あたかも日本全体が右旋回しているかのように思ったら大間違いですよ。日本の左の人は故意にそういう誇張した言い方をするけれども……。

 こういう具合に説明しながら、中国がここでよく考えないと、日本言論界の偏向ぶりに合流した形になって、良識派や民衆の厚い層の反発を買いますよ、ということを暗に知らせようとした訳です。

 話がそれていましたが、道徳教育で戦前に最も強調されたのは忠義です。忠というのは天皇個人に奉仕するというようなものではないんで、子供を育てる、隣人を愛する、困った人を助ける……という調子のもの、平たく言えば善いことを全部カバーし、その根源になる要(かなめ)のようなものだったということができる。そういうことを天皇様はお喜びになる。そうすることが天皇様に忠を尽すゆえんなんだ、という構造のものだったんですね。そんなに悪くはありませんよ。

 国民のことを蒼人草とも言いました。天皇はこよなく蒼人草を愛しておられる、という大前提がありますので、君のためというのと国民のためというのは同義語といってよかったんです。中国での天子に対する考え方とはちょっと違う。向こうのは易世革命思想といって「我を擁すれば、即ち后(きみ)」そうでなかったら「放伐」していいんだけれども、日本では「そんなことはあり得ない、天皇様は神のような心をお持ちなんだ」と勝手に決めてかかっている。神にされ仏にされているんですわ。それに立脚して神の心に添い奉れ、仏のみ心に従え、というようなもんなんですわ。

 〃元年組〃といって明治元年ハワイに出稼ぎに行った人々がハワイでひどい目に遣う。それを、後にオーストリア公使になる上野景範という武士が大、小をたばさみ羽織、袴のいでたちで救出に赴くんですが、そのときの発想が、「陛下の赤子を波涛万里の異郷に泣かしめては陛下に申訳ない」というトーンのものでして、その折衝ぶりがまたすばらしい。毅然たること見事というほかはない。昭和の官吏にこの心意気ありや、と見較べて暗たんたる思いに駆られた思い出が私にあります。私が南米などへの移住業務を担当していた、そう今から三十何年前のことです。

 こんな責任感があったら福祉行政の中身はヒューマニズム薫るものになるでしょうね。学校教育なんかどんなに素晴らしくなることでしょう。忠の次に重んぜられたのが孝行でして、行政がとても福祉などに手が廻らない頃、若い人にはきつかったろうけれどもお年寄りはこの孝という徳目でどれだけ救われたことでしょうか。

 こんな式の説明、ご理解頂けますかな。忠や孝を基軸とした道徳の体系がこの説明で蘇えるものなら、それはそれで結構なことだと私は思います。しかし、どう考えてみてもこんな説明で、戦後派が圧倒的多数となった今の日本で国民が納得するとは思えない。

 全く別の論理に立脚しながら、大多数の国民がそうか、なるほど、と理解していけるような体系が組めないものか。それができるんでしたら、忠孝思想へのノスタルジアが私などにはありまして、うしろ髪を引かれる思いを禁じ得ないのでありますが、ここは思い切らなくてはならんと、こう痛感するのでありまして、今日お話申し上げることはこの新しい道徳観についての試論なのであります。
(中略「その一」に掲載)

 以上のような道徳観に基づいて道徳体系の大変革が進行する場合、そのプロセスの中で昔からの忠というのをどうさばきますかねえ。戦後四十年捨てて顧みなかったんですが……。

 ここでちょっと注釈を加えておきますが、儒教の中で忠というのは戦前に日本人がモラルの基軸とした忠とは随分違った意味に用いている場合があるんですね。確か論語の中に出てくる言葉なんですが「仁の道は忠恕のみ」というのがある。ここのところを東京文理大の工藤教授は

 忠とは己の生命に忠実であること
 恕とは他の生命に思いやりのあること

と解説しておられましたが、講義を聴いたのが海軍経理学校の漢文の時間で、日本流の忠しか知らなかった十八才の頃の私には、とても新鮮な感じがしたものです。

 そこで話を日本の「忠」のこれからの処遇のことに戻しますが、戦後も、弱ってはいながら命脈を保って来た徳目に愛国心というのがありますね。国に対する忠誠心です。これが一番、忠に近いんじゃありますまいか。これなら民主主義とも矛盾しない。大いなるものへの献身ということでロマンの香りも私なんかにはする。愛される国の象徴という形で天皇様の坐られるところもある,……。

 理屈の上ではそんなことになる筈なんで、いいじゃないかと思えるんですが、実際はそんなにはどうもなっておらん。なにか〃右〃の感じが私自身にだってするんですな。これはどうしたことなんでしょう。

 どうもよくは分からんのですがこの言葉は明治以降に作られたものじゃありませんかねえ。忠という言棄ほどには熟し切らないままで昭和二十年を迎えたのと違いますか。

 そう言えば愛国とか愛国心という言葉というのは戦争だとか国家危急のときにピタリの言葉で、はやるのもそういう時期です。〃国を守る気概〃などと同系列の言葉で、どうやら四海波静かなときの言葉じゃなさそうです。

 さあ、そうなると愛国心という言葉には〃忠〃にとって代るだけの貫禄というか重さが怪しくなって参ります。要するに狭いんですよ。四海波静かなときにもごく自然に出て来る言葉であって、国家危急の場合にも使って違和感のない……。そんな言葉なり表現はないかなぁ、と考えあぐんでいたのですが、偶然と言いますか今日の昼前に、ここにいる江口君と話をしておって「日本人のプライド」という言葉が口を突いて出たんです。そしてその途端に、これならいけるという感じが体中からこみ上げて来た。

 どうでしょうかねえ、皆さん。片仮名のプライドは大和言葉の「誇り」と置き替えていいし、「矜持」と漢語調に表現することもできる。国がピンチに陥ったときの総決起用語としてもおかしくないし、順風満帆のときも自らを戒める言葉として、われわれの美意識に合致した使い方ができそうに思うんですが……。

 普遍性を持ち、どの国にでも妥当する、昔の表現でいう〃中外に施して恃らぬ〃(教育勅語)ものとして横糸に「責任感」を配し、国の精神風土に根ざしたものを総括して「日本人のプライド」を縦糸に立てる。こんな考え方もできるんじやありますまいか。

 以上で今日の私の話を終りますが、これから後、海外雄飛のことについて長崎さんと江口君が論戦を交わしてくれますのでこれからの分についてちょっと序曲みたいなことを言わせてもらいます。

 実は私も外務省で若い頃、移住局というところにおりまして、カリフォルニアへ日本の青年を短期ですけれども農業労働者で送る、一人百万円稼いで帰ってくるというような仕事をやったことがあるんです。

 日本人の海外雄飛という問題については、若き日にいろいろ考えたんですが、戦前の移民というものは食いつぶして行くという、非常に暗いイメージがあったのと同時に、お前らは天皇陛下の赤子だぞ、どこへ行ってもそれを忘れるなという皇国史観で貫かれていたところもあったから、行った人たちはやっばり愛国的だったんですね。

 ブラジルなんかでは戦争が終った直後、勝ち組負け組というのがあって、日本が負けたということを受け入れる組と、そんな筈はない、日本は勝ったんだと言い張る組があって、一時日系人同志で血を流さんばかりの対立抗争に発展しましたが、在伯日本人にはそれくらい愛国的要素が強かった訳です。アメリカでの日本人排斥遅動では「アメリカに同化しない」という点をしきりに言っていましたね。

 尤も日本移民排斥の元になったもっと大きい原因というのは働き過ぎだからで、ペルーあたりじゃ日本の洗濯屋が一軒できると現地の人の店が三軒つぶれるということが言われた。それぐらいによく働いたんですよ。日本人が有能だったからなんです。この問題はこれからも起こります。ますます起こるかもしれない。
戦後の海外移住について国がどういう方針をとったがというと、もう戦前のことに懲り懲りになって、〃同化〃〃同化〃ということばかり言っていた。向うの国に同化しろ。早く向うの国籍をとって向うの国の人になれと……。

 ところが私がカナダの移民受入れの可能性を打診するためにワンマン調査団で行ったときのことなんですが、カナダ中をぐるぐる回って大変驚いた。カナダは同化してくれと言わないんです。カナダへ来た日本人が日本のアイデンティティ、日本人の特性を失わんようにして貰いたい。日本式のお祭りも結構だ。日本の文化を持ってきてほしいというんです。こりやもうえらいことだと思いましたね。びっくり仰天ですわ。それでいろいろ聞いてみると、こういうことなんです。力ナダはアメリカヘの対抗意識もあって、これからの国、未来の国カナダというのはアメリカと一味違った世界文化の咲き誇る国にしたい。アングロ・サクソン文化と体系づけられるような気宇の小さいものであってはならない。いろんな、世界中の文化が寄り合った、世界文化の性質をもった文化を未来のカナダ文化として打ち立てたいとこういう訳ですな。

 そう言われてよく考えてみたんですが移住したからと言って、日本人の血が全部入れ替ることなんてあり得ない。郷に入っては郷に従う一点張りで努力してみてもです。また、永住であろうが短期であろうが、所詮その国の少数者(マイノリティー)であることも宿命的なことです。そうでなかったら大ごとだ。日本人の人口がそこの半分以上になるなんてことになったら、日本が取ったみたいになるんで、そんなことになったら相手国にとって危険信号どころのことじゃなくなります。そう考えて参りますと、日本人がどんなに海外へ発展しても、永住であろうが、国籍をアメリカにしようがそこに住む日本人は、その国での少数民族として存在することを大前提にしなくてはならん訳です。

 そこで少数民族としてのあり方というのが問われる訳ですが、アメリカ人の場合に「アイ・アム・アン・アイリッシュ」即ち、アイルランド人の血を承けているというのは自慢なんですね。人間が立派な時、さすがはアイリッシュだという。やっぱりアイリッシュというのと逆で一目置く訳です。その典型がジョン・ケネディ。ケネディ大統領はアイリッシュですね。お父さんがアイルランドから移民してきた。その子ですから……。

 だから「アイ・アム・ア・ジャバニーズ」「私は〃日本人〃だ」と胸を張っていえる状況、日系人が日本人の血を承けていることにプライドを持ち続け得るなら、これは素晴らしいことじゃありませんか。

 そういう少数民族であることを目指すべきだ。カナダへ行ってもアルゼンチンヘ行っても誇り高き少数民族たれというようなことを言ったものです。愛国心という言葉は出す余地もないし、正直なところ心にも浮かんで来なかったですね。

 プライドもいきすぎると、「うちは御馬廻りじゃった」とか「家老じゃった」とか鼻にかけて言いたがるようになる。先祖や親戚の自慢をするプライドじゃなくて、自らを戒め、子や孫を励ますのに、自分の家に対するプライドということが言える家系だと幸せですよね。

 こういう形のものの延長線上に、郷土に対する誇り、国に対する誇りを考えていいんじゃありませんか。そうすると日本という国は幸せな部類に入る。そりや二千何百年の歴史の中でいろんなこと、悪いこともありますわな。しかしこれから日本が世界に貢献しようという大事な時期に歴史の汚点ばかりを大写しにするのはどうみても愚かだと思う。今の左翼偏向学者だとか新聞のように、日本の悪口ばかり言うて、インテリ面(づら)をしているようなのが困る。子供の教育などには日本のことをやや褒め気味に言うのが、プライドを持たせる上で丁度いいのではありますまいか。

 ところで私が移住局時代から協力隊時代、移住者や協力隊の隊員たちに講話みたいなのをする時にこんなことを言った覚えがありますので最後につけ加えさせて頂きます。伊達政宗や武田信玄を思い浮べて聞いて下さい。

 戦国時代の大名の娘は嫁ぎ先に殉じた。実家と嫁ぎ先が戦争するなどということはしょっちゅうだったがそういう中での武家の娘の気持ちの整理というのが今でも非常に参考になるんじゃないか。織田の娘でありながら婚家とともに織田に抗して、それがさすがは織田家の娘と言われる。この形で織田家のプライドが全うされるんですね。本人にとってみれば苦悩に満ちたものではありましょうけれども……。

 協力隊の場合も二年、派遣された国に行っておる間、日本を忘れろと行ってきたものです。行った先の国の利益を先ず考える。同じ農業機械を入れるのに、無理に日本の機械を推薦する必要はない。アメリカ製がその土地に向いておればアメリカ製を勧めなさい。日本に対する忠誠心は二年間お預けにして、ケニヤならケニヤのために一所懸命になる。その姿をみて、さすが日本人といって貰えりゃそれでいいんだ、というようなことを言ったもんです。

 では、長崎さん、江口さんどうぞ。


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