Sakigake Touron
Shoichi Ban   
 

魁け討論春夏秋冬

ご意見


 

「魁」7号 さきがけ運動に立ちあがろう(1)
1985年09月24日 


 意識革命なら教育から、という意見がひいきの方々の中に多い。

 確かに、大人のため――ということは有権者のため――のものである成人教育での、その中身が文化、教養から時事開設に止まっていて、民主主義という立派な制度の下で、何故、若者が政治離れ現象を起こすのか、など、現実の政治課題にガップリ取り組んでいく式の有権者講座に欠けている。教育が先だ、というのもうなずける。

 しかし、そんな講座が教育の分野でまともに設けられるようになるには、前提として、政治領域の中で素材がかなり出揃わねばならね。政治の現実にぶつかって行く実践活動が、もっと数多く、もっと多彩に繰り広げられていなければならぬ。われわれの運動は、正にそういう実践に、天下にさきがけて、乗り出そうとしているのである。これから先「さきがけ運動」と呼ぶことにするわれわれの運動が、目の前にある実践課題を避けて、問題を教育にすり替えるという手はあるまい。

 舞う札束、滔々たる汚染の進行、その真只中でカネへの依存度を下げる。工夫に工夫を重ねながら土佐の、そして日本の政治的現実に一つ一つぶつかって行くのが、さきがけ運動だ。一見、無謀に近くても実践例は確実に殖え、先方として確立するものも出て来るに違いない。

 全県有権者の5分の1に近い人数を動かす力をさきがけ運動が備えるまでには、事によると苦節十年の辛酸をなめなくてはならないかもしれない。しかし、遂にその日が到来したときの意義はどうだろう。

 一つの選挙区での、これだけの意識革命の全身が世を驚かせ、人々を勇気づけない筈はない。ましてや一挙に群を抜いて最高得票でも取ろうものなら、その影響力は、拡がりと深さにおいて、実に想像を絶するものがある。

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