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世界の難題にメスを1999年8月26日元中国公使 伴 正一 | |
| ご意見 | 「平和が本来自然の姿、平和でないのは異常」という前提で多くの思想や運動が展開されている。 だが、この人間世界で、それほど平和は至極当然のものだろうか。 生きとし生けるもの、大自然の法則は適者生存ではないか。露骨に言えば弱肉強食である。いくら神が特別に作り給うたにしても、この法則から人間さまだけが除外されていると考えるのは、思い上がりというものだろう。 平和とは、人間が神から頂いて当然に享受しているものではなく、人間がその時々、自分自身の努力によって現実のものにしてきた、苦心の芸術作品ではないのか。しかもそれが、かなり広汎に根付いたのは、国という強権装置がよく利いた結果である。だが、そういう仕掛けがうまく仕上がってない「国を超えての平和」は、次の世紀も、世界共同体にとって、一番頭の痛い問題であり続けるに違いない。 どこかで「気狂い」が「刃物」をもっている限り、平和は、心だけでは達せられないし、持ちこたえられもしない。平和の観点から、国が領域内で果たしている役割を分り易く説明すると、住民間の紛争を裁(さば)き、盗賊行為や社会秩序撹乱行動に対して強権を発動する力の装置だと要約することができる。 その直接担当は、警察、法廷などの文治機構(civil government)だが、かかる文治体制を可能にし、その実効性を保障しているのが、軍、即ち、統合された軍事力なのである。 この仕組みは,日本のように国内平和が長続きしていると見落され易いが、国家機能がどれほど肥大化しても国の基本構造であることに変わりはない。 そして国のなかに仕掛けたこういう平和のメカニズムは、世界新秩序における平和システムを真に実用に耐えるものに設計しようとするとき、優れて貴重な参考モデルになる。そこで思案のしどころなのが、世界連邦論者のように、モデルを連邦型の近代国家にするかどうかである。 詳しい理由説明は省略するが、たとえ連邦にするにしても、一足飛びに全世界を国家にまとめ上げることには無理がある。 となると,現存の国々がそれほど全面的に主権を放棄しないで済む方式のものは考えられないか、というところに問題がしぼられてくる。 そしてそんなモデルを史上に求めて中世に遡っていくと、ヨーロッパや日本の封建体制の中に,思いがけないヒントが蔵されているのに気づくのである。 中でも誂(あつら)え向きの参考例として、ここで紹介したいと思うのが、王朝衰退、源平争乱のあとを承けて登場した初期武家政治の体制である。既に兵馬の権は武門に移り、武家棟梁の実権は、超大国然たる北条氏の手に帰していた。 しかし統治の仕組みは,律令制から足を洗った、全く日本独自の封建体制で、いわゆる「所領」は、軍務提供義務と引き換えに鎌倉政権によって安堵(安全保障)される関係にあったものの、領主たちの領内人民に対する地位は一国の君主を想わせるものがあった。 軍事的にもその家の子、郎党からなる兵力は自前のもので、馳せ参じて「鎌倉勢」に加わるのは有事の際に限られていた。 鎌倉時代の日本列島は、統治能力に見合った規模に国を細分して半独立国群とし、軍事力で卓越した「執権」北条氏を中核に、実効性に富んだ「集団安全保障体制」を形成していたのである。 |
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