魁け討論 春夏秋冬



八月十五日の思い

1999年08月15日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
 清国が阿片戦争で英国侵入軍を蹴散らしてくれていたら、 東アジアの近現代史はすっかり違ったものになっただろう とは,私のよく想うことである。

 それと同じように、第二次世界大戦の収拾に当たって、英 国首相のチャーチルにもう少し発言権があったら、1945 年以降の半世紀は、今の我々には想像もつかないような展開 を遂げていたかもしれないのである。

 そんな思いで今朝、古い新聞の切り抜きをめくっていると 日本についてはこんな下りが目にとまったので、拾い読みを して見よう。

 そのころ太平洋戦線では日本軍は制海,制空権を失い、 ほぼ壊滅……

 日本をよく知る元駐日大使のグルー国務長官代行は、 降伏後の天皇制存続を保障することによって降伏を促 進できると進言。日本上陸作戦を決めた六月十八日、 続く十九日のホワイトハウス会議で多数がこれを支持。 野党共和党首脳部や有力新聞にも同様の動きが出ていた。

 トルーマンは関心を示し、グルーに陸・海両省代表が 加わった三人委員会で検討するよう指示。数回開かれた 委員会は天皇制存続保障をポツダム宣言草案に盛り込む。

 ところが、七月三日国務長官に就任したバーンズは、 巡洋艦オーガスタでトルーマンとともにポツダムに向かう 途中の大西洋上で、このポツダム宣言草案から天皇制存続 保障の文言を削除していたのである。

 米英軍事代表団の合同会議も、天皇制存続保障が降伏を 促進し,日本軍の秩序ある降伏にも必要としてトルーマンに そう進言するようチャーチルに要請。チャーチルは昼食の席 で話を切り出すが、トルーマンは激しく反発する。

 トルーマンとバーンズは「多数派」の懸命の進言をなぜ切 りすてたのだろうか。

 以上は大阪國際大学金子教授の寄稿となっているが、史実がこれに 相違なかったとすれば、紙一重のところでボツダム宣言の受諾は十日 やそこら早まっていたかも知れないのである。

 そうなっていれば原爆の悲劇はもとより、シベリア抑留、中国残留 孤児、などの人道問題もなくて済んだはずである。

 ソ連の参戦がないのに、北方領土がその支配を受けたり、朝鮮半島 が二つに分断されてソ連の占領地域に北朝鮮という国ができるような ことも先ずは考えられないことだ。


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