魁け討論 春夏秋冬



平和の仕事(3)

 3月20日、高知市内のラ・ヴィータで開いた「平和の仕事」と題した「ふるさと講演会」のまとめです。

1999年08月04日
 元中国公使 伴 正一


ご意見
 恥の文化とさえ言われた武士道精神を台無しにしたのが、アメリカ占領政策による日本の精神的武装解除だったことは争えないところで、そのアメリカが後になって「安保タダ乗り」などと日本を恥知らずのように言う資格はありません。

 しかし、だからと言って「こんな日本に誰がした」など、身を持ちくずした女の言うようなセリフは、日本男児、口が裂けても口にするわけにはまいりません。

 アメリカを語るとき心しなくてはならないのは、そんな未練がましい話はもうしないことだと思います。

 史実解明は結構、ひたむきに取り組む人も増え、徐々に進展が期待できそうです。だからこそそうした史実の扱い方には民族的なプライドが反映しなくてはなりません。それを糧に、大東亜戦争の勝者であった"昨日の敵"に恨みつらみをぶっつける仕草は、まさに劣等感のムキ出し、二十一世紀の日本ナシヨナリズムがそんなものに支えられていてどうなりますか。

 ところでそのアメリカですが、今あの国はグローバルな立場で、平和の仕事に精出していると思いますよ。

 「平和の仕事」というのは私の造語でありまして、こんな耳慣れない言葉、大抵の方は、いろんな団体主催のイベント型平和集会のことかな、くらいにしか考えて下さらないでしょうが、実はさにあらずなんです。

 私がことさら「平和の仕事」という言葉を使って取り上げたいと思っているのは、いま引き合いに出したイベント型のものとは似ても似つかぬ、この世の荒仕事でして、日本人が久しく見落してきたもの、即ち、平和への望みの糸がもうこれで切れるのかという瀬戸際に求められ、巨大な瞬間エネルギーを要するような壮絶な力仕事であります。

 それがどんなものか分りやすく説明するのには丁度いい時です。まだ記憶に生々しいだけでなく今に尾を引いている湾岸戦争、それから、文字通り命をかけての民族抗争が続いてきたバルカン、という現在進行形と言える戦火の実情を教材と見立ててお話をすることにいましょう。

 こんな局面に今まで日本はどうして来たかと言いますと、政府もマスコミも決まり文句で「あくまで話し合い解決を」と訴え、戦闘が勃発すると政府は多少のニューアンスを持たせながらアメリカのサイドを支持、少なくとも理解を示し、マスコミは「フセインもよくないが」くらいのことは前置きにしながら概してアメリカを悪者にし立ててきました。

 私に言わせれば、太平の眠り覚めやらぬ極楽トンボ、関係国で神経を擦り減らして来た人々の苦衷などどこ吹く風ではありませんか。こんなにも実際には世界の平和に無関心でいて、よくも「平和憲法の理想」だヘチマだ言えもんだと思いますよ。

 あっという間に攻め取ったクエートを頑として手放そうとしないフセインを攻め得に終わらせる重大懸念、この世の地獄絵巻とも言える先般ボスニアの燃え広がる戦火、ミロシェヴィッチ(ユーゴ大統領)の胸三寸で交渉決裂、NATOとの戦さが始まりそうになってきた今のコソボ。

そんな緊迫した局面で、周辺国に送った数十万の米軍部隊で不退転の決意を示しつつフセインの翻意を促したり、収まりかけては再燃する戦闘行為をやっとの思いで収束させたり、世界が息をつめてツメの作業を見守っている中で、ギリギリの合意点を模索して行く。

 こういうのが「平和の仕事」の実務部分でありまして、国際世論も無論大切な要素に違いありませんが、早い話「止め男」役に腕っ節の強い国がいないことには話が進まないという現実も厳然としてあるのです。こんなことは世界の常識だのに、そこをよく踏まえてないから、日本の議論は「神学」論争で終わってしまうわけでして、平和ボケ症状のなかでも一番の悪性の疾患部分は正にここだと言っていいのではないでしょうか。

 以上のことを踏まえ、先ず中東のイラク問題を例に取って、平和の仕事の実際に触れ、その中でのアメリカの存在意義を考えてみましょう。

この前、国連の査察妨害を理由にアメリカがイラクを空爆しましたね。それを日本のマスコミはアメリカの暴挙だと非難しました。

 主権国家に対し、国連の決議もなしに、ということで暴挙と決めつけたわけです。

しかしねえ、イラクという国は ほんの少し前の平成二年、突如クエートを攻め取ってイラクの一州だと宣言した国ですよ。

 その前にどんな事情があるにしろ武力で、国連の加盟国にまでなっている国を攻め取ってしまう。そして、国連が何と言おうと、色々の国がどう動こうと頑として撤兵に応じない。多国籍軍の実力でやっと屈服した国なんですよ。

 その後もイラクが化学兵器とか、核とか、大量破壊兵器を開発する心配があるので査察制度を課されているのですが、イラクは査察の妨害を繰り返しています。

国連は湾岸戦争当時、実効性のある「平和の仕事」が出来そうになるのですが、今では常任理事国であるロシアと中国の協調が期待薄になり、国連は正直なところ休眠状態に逆戻りしかけています。

   イラクはそういう国連の足元を見透かして、何度決議を出されても馬耳東風、何だかんだ言いがかりをつけては国連査察を妨害したり拒否したりし続けているのです。

 こうなると今では、イラクが恐しいのはアメリカだけになるんですね。アメリカは本当に軍事行動に出てきますからね。

 アメリカのその怖さがなかったらイラクは怖いもの知らず、何を仕出かすか分ったもんじゃありませんよ。アメリカがひょっとして怒ったら酷い目に遭うと内心思っているからこそ、口では偉そうに言っていてもイラクは、そうひどい暴発はしないで、国連を適当にあしらうぐらいのところで止っているのではないでしょうか。

こういう国は、日本人の口癖になっている「話せば分る」ような段階ではない。何か決定打を打ち出して決着に持ち込むことのできる「止め男」役は、腕っ節の強いアメリカを措いてないというのが、好むと好まざるに係わらず世界の実情なんです。

 今の日本人には分りにくいでしょうが、実はこのポイントこそが,実務的に考えていく限り、平和論議の本体部分にならなければウソだと思うのであります。

 世間でも、怖いものがあるから乱暴者も手控えをするということがありますね。昔だったら親父というのは怖い存在で、地震、雷、火事、親父と言ったものです。それくらい親父が怖かったから子供は悪いことをようせんかった。それが親父が優しくなってしまったんで、子供は勝手気まま,手がつけれなくなっているのではありませんか。

 「怖い存在」とよく似た役割を演ずるのが「悪者役」です。

 悪者役になることをそれほど意に介しない、あるいは敢えて悪者役に回ることを辞さない人間がいないと、利口者ばかりでは事が収まらないということが世間でありますね。理屈ではない。人の世の性(さが)みたいなものでしょう。

その感じでいくとアメリカは、怖い存在であるだけでなく、悪者役にされていることをそれほど気にしないで悪者役の機能も果たしているように思えてならないのです。これは今の世界での貴重な希少価値と言わなくてはなりません。

 アメリカだって自分の国の国益を度外視して行動しているわけでは勿論ない。しかし世界の何処でなにが起こっても、自分の守備範囲ででもあるかのような感覚で捉える。冷戦期を通じて出来上がったと見られる、世界に対するこのような責任感覚は、世界各国の中でもアメリカがズバ抜けていると思います。

 きれいごとばかり言っておられない。国連が機能しないからといって、「仕方がない」では放っておけない。いつもそうとは限りませんが、アメリカには概してそういう気概がある。

 こうして、国連が機能さえしておれば国連軍の仕事になるはずの作戦行動を、アメリカは自らの主導でやってのけるわけであります。

 その一例が多国籍軍なるものでして、国連(安保理)のお墨付がうまく得られないような場合は、その軍事行動(武力行使)に対して世界から非難の声が上がるのが普通であります。

 しかしアメリカを非難するのなら、「軍事行動を起こさなくても,こういう方法がある」と、実効性ある代案を提示してこそ、非難そのものにも重みが伴うのでありまして、かなり札付きになっているイラクのような国を、「いやしくも主権国家にたいして」という論理で普通の国並みに扱ったり、国連が機能麻痺の状態にあるのに「国連の決議も得ないで」という論難を平然と行うようでは、「もっと話合いを」と言うのと同じ"お決まり文句"に過ぎません。いい子になっているだけです。それに付き合うことを適宜やりながらではありますが、大筋ではアメリカが悪者役を引き受けている。壮観じゃありませんかなあ。

悪者役ということで序に申し上げますと、アメリカは、民族運動であろうと宗教運動であろうと、時には国である場合でさえ、テロを容赦しません。だから世界中のテロ組織から目の仇にされ、時には国際世論からも非難される。

 その反対に、官、民を挙げて「いい子」になろうとしたがるのが、戦後日本でありまして、福田内閣がテロに屈した時の超法規的措置など、今もってその適否が、政府によっても、世論でも、総括されておりません。

 ペルーでの日本大使館人質事件の際も、日本側は何ひとつ具体案も示唆せず、フジモリ大統領に平和的解決の要請を繰り返すだけでした。

 国際的なテロのことでは、アメリカを悪者に仕立てて自分たちが「いい子に」なろうとしている手合いが,国でも個人でも多すぎるのではありませんか。

 ここで今お話したようなアメリカの怖さの続きとして北朝鮮にもう一度立ち帰りましょう。

 イラクに対してひどく強腰に出ているアメリカを横目で見ながら、北鮮も内心では、「俺らもあんまりアメリカを怒らしたらイラクみたいな目に合うかも知れんぞと」ぐらいのことは考えているのかもしれませんね。

 ここまではよかろうとか、これ以上出ると危ないとか、北鮮なりに安全度を計りながら強くでたり歩み寄ったりしているんだと思いますよ。一昨日妥結した米中合意も、あのしたたかな北鮮がアメリカには一目おきながら、またアメリカもイラクに対する場合に較べると均衡を失するくらい控え目に出て、やっとこさ仕上がったのではないでしょうか。

 だからアメリカの国内でも共和党から甘過ぎるという批判が出るわけです。核を開発しながら食糧援助を引き出しとる。まるで核開発が食糧援助を手に入れる手段みたいじゃないかと。 そりゃあそんな格好になっていますよ。 核で脅かして今度は六十万トン。前より十万トン上げてもらっていますものね。

 でも、そういう中で、したたかな北鮮相手にアメリカは、すれすれのところで丁々発止よくやっていると思いますよ。口先だけの平和主義で通して来た、苦労の足りない日本とはとても較べものになりません。

 そもそも和戦の岐路に際しては、普通なら双方秘術を尽くし、端倪すべからざる駆け引きが展開するわけでありまして、戦争と腹を決めている時の方が却って最初は下手に出るという戦術もあり得る。それによって国際世論を有利にし、国内的にも、尽くせるだけのことは尽くしたという実績を積んで先々反戦気運なんかが出ないようにする、という政治的配慮も考えられるからであります。

 相手を叩くつもりがないときはむしろ逆に強く出てた方が賢明の策かも知れませんね。強引な相手ほど、優しい言葉では相手を思い上がらせ、かえって平和的解決の潮時を逃がしてしまう危険があります。

日本みたいに、何をされても言われても、過剰反応になることの心配ばかりして平和づらで通していたら、攻めてもリスクは知れたものと、却って相手の出来心を誘発するかもわかりません。強い態度や不気味な沈黙が抑止力になることは珍しいことではありません。

 もう日本も、話せは分るの一点張りで何でも片付くというような幻想からは足を洗わんといけませんね。

 イラクと北鮮ということでもう少し考えてみましょう。

恐らくアメリカは、イラクで強い姿勢に出ていることを北鮮に見せつけながら、北鮮と交渉してるんじゃないでしょうかね。イラクに優しくしていたら、北鮮も、アメリカは以前ほど怖くなくなったと思い込んで、言うことを聴かなくなる心配がある。世界全体を相互に関連づけながら見るクセのついているアメリカなら、それくらいの頭は回らなければおかしいですよ。

そんなアメリカと、さっき言ったような音痴気味の日本。それが経済的には世界で一位と二位だからチグハグなんですよねえ。ホットラインはあっても、事、平和の仕事になったら、秘中の秘どころか極く簡単な会話でも、内容らしい内容の個所ではスレ違ってしまうんじゃないでしょうか。

 和戦ぎりぎりのところで決断内容やタイミングについて知恵を絞り合う日は何時になったらやって来るのでしょうか。日本の総理とアメリカの大統領が、ホットラインでそんな相談をするようになった時、日本はほんとにナンバー・ツーの国になるわけでしょうが………。

今だと日本の総理に言ったって、何とか平和的に片付けて欲しいと言われるに決まってますから、ホットラインで話す実質的な意味はない。でもイギリスにはかなり突っ込んだ相談をしているんでしょうね。「どうだ、ちょっと早すぎるか。」とか、「今飴がいいのか鞭がいいのか。」とか。

平和の仕事とその中でのアメリカの役割をお話した締めくくりとして、湾岸戦争以来の世界平和の問題で幾つかのポイントを挙げてみたいと思います。(続く)



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