魁け討論 春夏秋冬



 協力隊の原点--「ボランティア・スピリット」(2)
    現地の人々が隊員の活躍ぶりをせせら笑うとき

1999年06月30日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
 前回は、「技術移転」という概念で協力活動を捉えると、どうもやることがおかしくなるというところまで紹介しましたが、今回はその続きである、「民衆の声」(10ページ)のところから始めることにしましょう。この節の冒頭は、
 隊員に民衆の「せせら笑い」が聞こえるゆとりがあるといいと思う
と刺激的です。
 「せせら笑いとは、あざけったり、さげすむ笑いのこと。協力に出かけて、あざけり笑われたりするのでは、たまったものではありませんが、笑われていることに気付くような隊員なら、初めから笑われもしないのでしょう」
 ここで伴氏が問題視するのは、先進国の奢りが透けて見えるような隊員側の一人合点で、現在でも「成果を出さねば」と一人相撲に陥る隊員は後を絶ちません。原典での説明ではまずは意識のことが述べられています。
 卒先垂範して反当たり収量をあげてみても民衆の反応は、「あんなに働けば、だれだってそれくらい作れるさ」ということかもしれない。労働意欲の問題、もっとつきつめると生活意識の問題、価値観の問題である。

 次は資力。
「あれほど金をかけ、肥料を入れれば、それくらいにはなるだろうよ。しかし、三年前のような洪水でもあったら、肥料代は丸損ではない か」そんなに金のかかる改善は、資力の乏しいこの村には合わないことだ、と民衆が喝破してるのである。

 三番目が技術の点です。
 「あんな混み入った機械は、あの日本人がいる間、その関係で部品も入ってくる間だけのものさ。おれたちだけになったら、直りっこないだろうな」。

 技術水準のことをチャンと見ている点でも、民衆の目の高さには侮りがたいものがある。意識と、資力と、技術と、この三つの面での現状をとらえ、その変わり具合と伸び具合をみながら、現地に根づくものを求め続けていけば、一度は笑われることがあっても、やがて立ち直れる。

 ここに登場してくるエピソードは、そもそもは肥料を入れてくれ、あるいは機械を入れてでも収穫をあげてほしいという現場の長などの要望があってやったことかもしれません。だから伴氏はあえて「民衆」とされたのでしょう。トップが保身や点数かせぎに隊員を利用しようとすることはままあることです。

 現地に溶け込むということは、現地の人々が言葉にして言う前に、その目つきや態度でその反応をキャッチできるようになること、あるいはさきほどのような言葉を、自分が現地の人になったつもりで自分にブチつけてみれるくらいになることだと言うことができる。  結びの言葉、よく読むと味の出てきそうな一句です。

 先日帰国した隊員が、「現地の人の目が恐かった」とある出来事を話してくれました。ところはアフリカ、植林に従事する隊員でした。彼によれば今年は例年にない干ばつで、住民の多くが頼りにしていた地下水も涸れて、生活水は週に1度ほど回ってくる給水車でしのいでいたそうです。ところが隊員たちが関わっている苗畑には、これを枯らさないために日に一度は給水車が来て水やりをする。

 もちろんこれをやらなければ、苗は枯れます。しかし、遠巻きながらこの光景を住民が見ています。人の生活より苗なのか、住民がどう思っているだろうか、この隊員は胸がふさがる思いだったといいます。

 じゃ、こうしたらと、簡単に答えの出ないのが現場。しかし、この問いかけに見られる踏み込んだ姿勢は自然や社会への感受性からきているのではないでしょうか。伴氏が、期待しているのは、この洞察力豊かな感受性なのです。

 さて、しかし、これをどうやって身につけるのか。

 取材中の質問に答えて伴氏はこんなことを言っています。

「司馬遼太郎さんが、何かで『豊かになると人間は泣かなくなる』というようなことを書かれてましたが、『貧困こそ偉大なる教師』なんです」

「戦争で物がなくなり、同期生の訃報を聞かない日とてないのが私たちの青春でしたが、そんな時代にはそんな時代なりの幸福(感)が不思議なことにありました」

「海軍では純白米のメシを銀メシといって、滅多に口にできないご馳走の一つになっていましたが、出撃前の食膳に銀メシのおにぎりでも出ようものなら随喜の涙、『ああ、これでもう思い残すことはねえや』と愛機に駆け上がるほどの喜びようでした」

「物の有り難さだけでなく、人の情にも激しく感動したものでした。至福を実感するということだってそのころにはよくあったように思いますよ」

「今の日本社会の青春と比べてみて、ひょっとしたら、あの頃の私たちの青春のほうが、少なくとも主観的には幸せだったのかもしれないと思うことがあります」

「考えれば考えるほど、幸せは、自分を取り巻く状況の見立て方、あるいは気の持ち方次第で現れたり消えたりするものではないですかね」

「そこで、協力隊ですが、隊員の前には日本社会の青春とくっきり違った世界が展開しています。社会全体に物が乏しく、たとえ戦乱に巻き込まれなくても、総じて人間の運命ははかない。そんな状況下で、われわれ日本人には考えられないほどの幸福感を味わうことのできる心を住民の多数が持っています」
「心を研ぎ澄ませてそこらあたりを見つめてほしい」

「こうして隊員が体得した感覚は、これからの人生観の方向づけのカギにきっとなりますよ。現地へ行ったら、今まで豊かな社会の中で発育不良になっていたかも知れない感受性を喚び起こし、ややもすれば無感動に流れがちだった習性を破って心の弾みを起動させて欲しいですね。心の躍動ですわ」

 躍動する心、何となくわかるのですが、どういうことか、さらに伺いました。
「ちょっと趣向を変えてみましょうか。『祇園精舎の鐘の声』で始まる平家物語、『落花の雪に踏み迷う』、その他の名文をちりばめた太平記は、江戸時代、『平家琵琶』や『太平記読み』の形で庶民に親しまれ、その涙をさそった江戸庶民文化の泣き笑いの世界に息づいていたわけです」

「私の好きな言葉に『歴史を学ぶことは悲しみである』というのがありますが、哀歓を伴わないような歴史ものがどうして人の心を揺さぶることができるでしょう。生がない無機物ではないですか」。


 月刊「クロスロード」連載「伴 正一著『ボランティア・スピリット』を著者と共に読み解く」(本誌・斎藤儀子)から転載
1999年12月11日 (7)−「自分がこの国の為政者だったら」という視点
1999年11月06日 (6)−旗印の「民衆指向」が意味するところ
1999年09月03日 (5)−10年後に本当に分かる隊員だったことの意味
1999年08月13日 (4)−人のために役立ちたい
1999年07月26日 (3)−隊員は一匹狼であるべきか否か
1999年06月30日 (2)−現地の人々が隊員の活躍ぶりをせせら笑うとき
1999年06月18日 (1)−協力隊の原点--「ボランティア・スピリット」


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