|
|
協力隊の原点--「ボランティア・スピリット」(1)1999年06月18日元中国公使 伴 正一 | |
| ご意見 | 青年海外協力隊の機関誌である「クロスロード」に筆者の20年以上も前に書いた著作が紹介されている。5年間、協力隊の事務局長=隊長として燃え尽きた時代があった。将来の日本を担う若者の在るべき姿を協力隊に映し、いま読み直しても今日的意義はあまり薄れていないと思い、編集部の好意でここに転載する。 青年海外協力隊にとって「協力隊3部作」という名著がかつて存在した。 まずは20年以上も前、つまり第2代目の青年協力隊事務局長だった伴正一氏が書いた『ボランティア・スピリット』。2冊目は「協力隊を育てる会」の前の会長だった中根千枝さんの『日本人の可能性と限界』。それに前新潟経営大学学長・鳥羽欽一郎著『発展途上国と日本人』の3冊である。また前回紹介した現「協力隊を育てる会」会長・三浦朱門著の小説『雑草の花』を加えると4部作になる。 『雑草の花』は読売新聞社より新刊として蘇ったが、他は絶版となってしまっている。 この中にあって、「協力隊活動はいかにあるべきか」を問う、多くの関係者が再読してやまないのが『ボランティア・スピリット』である。そこで、著者の話も交え、本書をなるべく忠実に再現しながら紹介していきたい。 卓越した先見性に驚く『ボランティア・スピリット』は昭和53年3月、講談社から出版された。その2年前から1年前にかけて、伴元事務局長が協力隊退任を前に心血を注いで書かれたもので、まさに協力隊員たちへの置きみやげであった。一部再録のお願いに伺ったところ、著者は 「この本の材料は全部隊員の体験、私の考えや解釈は1割入れてるぐらい」 だからということで、快諾いただいた。 まず「はじめに」を読むだけで、その先見性に驚かされる。何しろ書かれたのは今をさかのぼること20年前なのだ。 31年前、われわれは国をあげての戦いに敗れた。余燼くすぶる焦土に立って31年後の現在を想像することのできた人がいるであろうか。われわれは当時の想像をはるかに絶する発展をとげた。同じ序論の中で著者は「青年海外協力隊のいのちは実践にある」と喝破し、「異民族社会のなかに、多くの場合ただ一人で飛び込むという実践活動は、たしかに若者をたくましうする」としているが、そこまではもう既に協力隊では常識化しており驚くほどのことはない。 いま、読み直してもドキッとするのは「しかしそれだけにとどまらない」として綴られている次の文章である。 大多数が、まだ本人自身意識していないであろうが、文明を原点から考える心の素地が、実は2年の実践の中でできあがっているのであり、青年海外協力隊が日本の進路の上で持つ最奥最深の意義は、まさにここにあると信ずるのである。この本から20年、経済は乱気流の中にあり、かつてよりさらに豊かになりながらも、今や得体のしれない不安の中にいる。協力隊を取りまく状況もかなり変わった。 著者は「この本を踏み台にして、隊員の体験に基づいた協力隊実践哲学の肉づけが、これからもされていくといいがなあ」と言われている。 だが、この本は、20年前のものだからこそ、軸がぶれずに直截であり、今ある協力隊を検証する切り口があちこちにちりばめられている。この名著の今日的意義は失われていないのである。 隊員が働いているのは、外国といっても概してふつうの日本人が行かないところである。そういう土地でポツンと一人でいる隊員に出会うと、たいていの日本人はいぶかしげな顔をする。これが第1章「隊員」と題された冒頭にある文章である。昨今でもこうした話がざらで、20年前もこうだったというのは、日本人とはまことに変化を嫌う民族だということなのだろうか。さて続いて協力隊が隊員のモットーとしている点に話が及ぶ。
生活を民衆とともに、隊員は質素な生活をしている。商社や進出企業でアジアやアフリカに勤務している同年輩の日本人が、現地の一般生活とはかけ離れて豪華な生活をしているのと対照的である。「民衆と生活をともにする」という協力隊のモットーは、かなりよく浸透していて、いまの日本人が持っている海外生活の通念からすると、隊員は「よくもまあ」と感心されるくらい現地式の生活になりきっている。この基本は今も健在だと胸を張っていいたいところだが、むずかしいところを気の持ちようでしのいでいくという点では、残念ながら20年前の隊員よりやや劣るのではないだろうか。それだけにこの一文に身の引き締まるような気持ちになる隊員も多いはずである。 とはいえ、現在でもほとんどの帰国隊員は、「日本に帰って来て、物の豊富なのを見ていると、なにか恐しくなります」と口々にいうことは変わらない。 隊員たちの活動は、本当に仕事になっているのか。続いての小見出しは「若者の遊びという人もいるが」だ。 隊員は若い。ときたま40に近い人もいるが、原則として35歳まで(現在39歳)。平均年齢でいえば、日本出発の時点で25、6(現在男女とも27・2歳)、帰国時で27、8歳である。なぜか年より若く見られがちで、協力隊は"はたち"そこそこと思いこんでいる人も少なくはない。そんな思い違いも手伝ってというわけである。たしかに、そういうことになりかねない。げんに協力隊自身が「うっかりしていると、たいせつな2年が"青春の優雅な休暇"に終わってしまうぞ」という戒めの言葉を繰り返している。職種のちがい、任地のちがいなどが重なって、隊員の職場環境は文字通り千差万別である。そのなかには、西洋人が統治していたころの厳しさが根づいていて、日本にいるときよりも厳格な職場規律が生きている場合もあるにはあるが、概して、日本での職場よりはノンビリしている。 そのうえにお客様扱いされる面もある。 職場環境がこういう具合で、自分の技術がまだしっかりしていないとなると、はじめはなんとかしなくてはと自分を励ましていても、そのうちに息切れがし、ノンビリ・ムードに感染しやすい。その日暮らしの日々を送るようになり、つい、投げ気味のまま無為に2年を過ごしてしまうことになりかねないのである。 「お客様扱い」については隊員自身が見抜けていれば問題はないが、気付かない場合が実際は多いようだ。 隊員よりも隊員を受け入れるほうが協力隊をよく知っていることがあり「この人はあまりわれわれのためにはなってくれないが、次にはいい隊員がきてくれるかもしれない。あるいはこの人にいてもらえばひょっとして機材の導入くらいはやってくれるのではなかろうか。まあ、そっとして機嫌良くしててもらおうじゃないか」と、腫れ物にでもさわるような扱いをすることもある。 そうでなくても「まあ、いろいろやってみてください」と自主性を尊重しているようだが、実は遊ばせておくしかないと冷めた目の配属先もあるのである。こうしたことを協力隊用語では「お客様扱い」というのである。 「技術移転」という考え方について、続いての小見出しは「覚めた目で見つめる」である。前章では「のんびりムードに感染するな」とあったが、ここでは「協力隊では、一方でそのことを戒めながら、むしろそれとは逆のことを強調している」で始まる。つまり
「現地のペースをたいせつにしろ」 としてそれを協力活動の要諦の一つだと言いきっている。 なぜか。この点は、協力隊を理解するうえでのたいせつなポイントなので、すこし立ち入って説明をしておく必要があろう。言葉の遊戯のようだが、”技術の移転”という概念で 協力活動をとらえていると、やることがどうもおかしくなる。どんな具合におかしくなるかというと、隊員の持ち合わせている技術が中心(座標軸)となり、あたかも中世の天動説がそうであったように、自分中心の考えが展開していくのである。次号も「隊員」についてをお送りする。急いで続きを読みたい方もあろうが、この部分を読んでいただいておわかりのように、実に奥が深い内容なので、できれば仲間とディスカッションしながら、自分なりに内容を咀嚼、胸に叩き込んでほしい。 技術移転か否か、どうも二者択一に論じがちであるが、ここに書かれているように、どちらかというものではなく、技術移転を思考するとどうしても自分中心になる、そこが問題だという指摘は、正鵠を得ているのではないだろうか。 月刊「クロスロード」連載「伴 正一著『ボランティア・スピリット』を著者と共に読み解く」(本誌・斎藤儀子)から転載 1999年12月11日 (7)−「自分がこの国の為政者だったら」という視点 |
|
© 1999 I House. All rights reserved. |