魁け討論 春夏秋冬


ミュンヘン会議の轍を踏むな

1999年05月01日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
 チトー大統領治下のユーゴスラビアで、コソボ地域は共和国並みの自治権を保有する州だった。

 州内の人口比からみて、9割のアルバニア系が1割のセルビア系より優位の地位を占めるのは、
ある程度は自然の成り行きで仕方のないことだったと言える。

 そんな中でセルビア系の不満を取り上げ、州の自治権そのものを奪う挙に出たのが、そもそもコソボ紛争の始まり、ミロセヴィッチ流とも言える大セルビア主義運動展開の第一歩だった。

 我々日本人には中々実感が湧いてこないのだが、ヨーロッパでの少数民族問題は、戦争誘発の大きい火だね(種)だった。

 第1次大戦勃発の引きがねになったのは、セルビア人によるサラエボでのオーストリア皇太子狙撃事件である。

 第2次大戦を決定的にしたことで有名なミュンヘン会議の課題は、チェッコ・スロヴァキアのドイツ人地域(ズデーテン地方)のドイツ割譲問題だった ヒットラーの強硬な割譲要求に対し、英、仏がなまじ宥和策に出たことが、却ってヒットラーを飽くなき野望に駆りたてる結果になった。

 今は時勢が変わって、ヨーロッパ先進国が民族問題で戦争に突入という事態は起こり得なくなっている。

 だが、中近東を見、アフリカを見たら、宗教が絡むことのあるなしにかかわらず、少数民族問題が火を噴きそうな個所は随所にあって、その危険性は、バルカン以上かも知れない。

 センチメンタルな平和への祈り声に押されてコソボの戦火の収め方を誤ってはならない。

 ミロセヴィッチ流の冒険主義がパターン化でもしたら中近東、アフリカはどうなるのか。

 どんな形であっても、ここで、ミロセヴィッチの勝ちと見られる収め方をしたら、ミュンヘン会議そっくりの結果、前車の轍を踏むことになろう。そういう空恐ろしいことは、こんどこそ絶対にないようにしなくてはならないのであって、それは我々日本国民への戒めでもある。



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