| チャンドラ・ポース氏とインド国民軍 |
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元陸軍大尉・光機開員 遠藤
庄作
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| チャンドラ・ボース氏(以下「ネタージ」と敬称で呼ぶ)はシンガポールに到着早々、まずインド国民草戦闘力の増強に乗り出した。
まずガンジー運隊(キアニー中佐)をタイ緬国境のジットラに進駐させ、戦闘訓繰に適進させることになった。私は、光機関員として部下数名と共に同行して、同連隊と起居を共にすることになった。 ネタージが最高指揮官になってからの国民軍将兵の士気は見違えるほど一変した。兵一人一人の目の色が生き生きとしてきたことがはっきり分かった。私は同連隊の将校とはほとんど顔見知りであり、兵はこちらの顔は大体知っているようであった。朝、インド国民軍の軍服を着た私が兵舎の近くを散歩すると「ジャイ・ヒンド」と、遠くから挨拶をしてくれる(今まではあまりないことであった)。こちらも何か挨拶すると、親しげに話をして、「チャターを食べていけ」と言う。そして各人の顔がいかにもうれしそうに見えた。}人の指導者が一人一人の兵の心にこれほどまでに影響力があることに対し驚き入った。 ジットラ進駐後四力月して、ネタージが連隊の巡視に見えた。私もお共することが出来た。ちょうど午前中に、途中の首府アロルスター市の広場で一般インド民衆を集めて、インド独立に対する演説を行った。
演説が終ったとき、独立資金の募集が始まった。私は今でも忘れることの出来ないのは、献金が本当に自然に、しかも僅かで恥ずかしそうに、しかも進んで拠出されているのを見たことである。その時、痩せたはだしの老婦人は、神のお守りでもあろうか、頸の飾りを出してネタージに手渡した。ネタージはその老婦人の手を取って何か話したようだった。きっと心に期するものが湧き上がって来たのであろう。 午後兵舎に見え、ただちに巡視が始まった。兵にしてみれば、我らが指導者を初めて●唄尺の間に接するのである。ネタージは連隊長の説明を聴きながら、まったく一人一人の兵の目を見て廻った。兵舎から帰るときは、全将兵が「ポース・ジャイ」「チヤロ・デリー」を叫んで見送った。ネタージは車の中で瞑目してうなづいていた。 その日、ネタージはペナン島に行き、私にも同行を求められた。自分の部下がお世話になっているのでお礼のためという心積もりであったろうと思われる。 夜、ネタージの許をお訪ねすると、ネタージはご自分で煙草を取り出して進め、自分でライターを点けてくれた。一国の首席が一中尉にサービスをされるのである。この人は真に偉い人だと思った。色々と世話になっていることを述べられた後で、たまたま「連絡将校として、あなたの見た兵力はどうですか」と間かれた。私は「今日、あなたの見られた兵たちの目の輝きで、私の少ない小さな戦闘経験であるが、支邦正規軍に勝り、シンガポールで戦った英印軍よりはるかに上である」旨を答えた。ネタージは「ありがとう。私も今日は兵舎を訪れてそう信じていた」と言われた。まったく部下将兵を信じ切っていることがはっきり伺うことが出来た。 ネタージは、民衆に対する情熱と責任を心の奥深く蔵して、現実の現象をしっかり見つめて進んだ人だと思う。 |
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| 次へ 第3章 スバス・チャンドラ・ボース氏への追憶
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