海亀の涙
2002年03月17日(日)
 マレーシア半島部東海岸のトレンガヌ州は大海亀で有名だ。毎年産卵の季節になると、観光客がこの地に集まってくる。海亀は子を産む時に大粒の涙を流すと言う。私もその話を聞いて、その感動的なシーンを一目見たい思い、北部のクランタン州を訪れた帰りにランタウ・アバンという漁村に泊まったことがある。

「プニュ(海亀)が陸に上がって来たら起こして上げますから、まぁ、ゆっくり旅の疲れを癒してください」とバンガローの主人に言われて、仮眠のつもりでベッドに横になったが、そのまま起こされることはなかった。最近は余程ラッキーでないと海亀のドラマを見ることはできないようだ。

 1994年6月クアラルンプールで「Malam Ini Penyu Menangis」(今宵、海亀涙す)という芝居を見る機会があった。新しくできた「実験劇場」という約400人収容のミニ・シアターのオープニングに招待されたのだ。

 脚本と監督は国民栄誉文学賞作家のノルディン・ハッサン氏。東海岸の漁村に住むJ. M. Aziz という実在のハンセン病詩人の愛と苦悩の物語だった。タイトルも同氏の詩からとっている。舞台は三方の客席から見下ろす形になっていて、カラフルな衣装を纏った役者たちが四方から自在に出入りする。歌あり、踊りあり、スクリーンの映像ありと、老若男女問わず家族で楽しめる「マレー・ミュージカル」のような芝居だった。

 上演終了後、主賓のマハティール首相、サバルディンチック文化芸術観光相、出演者、そしてノルディン氏とモデルになったアジズ氏が舞台に立った。盲目で体の不自由なアジズ氏を前面に押し出し、自分は控えめにしておられたノルディン氏の姿に心を打たれた。

 ノルディン氏はマレーシアのマレー演劇を代表する劇作家である。英国で演劇等を学んだ後、30年間教師を務め、1980年代半ばからフルタイムでテレビや舞台の脚本を書くようになった。代表作に『Bukan Lalang Ditiup Angin』(ラランがなびくのは風のせいではない)『Tiang Seri Tegak Berlima』(五つの柱)、『Jangan Bunuh Rama-rama』(蝶々を殺さないで)、『Anak Tanjung』(岬の子)、『Cindai』(チンダイ)などがある。

 同氏の作品は宗教やモラルをテーマにしたものが多く、演劇は国民形成と国家の発展に貢献しなければならないという立場を取っている。

 個人的にも親しくさせていただいているが、いつも中国系の若く美しい夫人を伴って行動されるノルディン氏は、質素で飾り気のない方である。敬虔なムスリムだが、女性である私とも握手をして下さり、西欧のマナーも身につけられたフェミニストだ。

 同氏の芝居にはその後も何度か招待を受けたが、残念ながら私のマレー語能力はそれらを十分に理解するレベルに達していない。

 ノルディン氏の作品をはじめとするマレー人の「Jiwa」(こころ、魂)を描いたマレー演劇や文学を理解できるような日が果たしてくるだろうか―ノルディン氏の涙を含んだような澄んだ目で見つめられる度に、私は遠い道のりの向こうに虹を思い浮かべるのだった。

   以下に国民栄誉文学賞受賞者のリストを紹介する。

Keris Mas (1981年) 邦訳に『クアラルンプールからきた大商人』がある
Shahnon Ahmad Zain (1982年) 邦訳に『いばらの道』がある
Usman Awang (1983年)
Abdul Samad Said(1986年) 邦訳に『娼婦サリナがある』がある
Arena Wati (1988年)
Muhammad Hj. Salleh(1991年)
Noordin Hassan (1993年)
Abdullah Hussain(1996年)
                                   2002年2月11日、記

* 2002年3月16日付マレー語紙は一面トップで、J.M.アジズ氏が15日、68歳で亡くなったことを報じた。 合掌


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