華人の世界(4)―続Pak Ling (リンおじさん)の涙 
2002年02月18日(月)
 「華人の世界(4)」は 2000年2月13日のコラム「Pak Ling (リンおじさん)の涙 (2)」を再掲する。今年のMCAのオープンハウスはマハティール首相が休暇中で不在のため、アブドゥラ副首相夫妻が主賓だった。また、16日にはイポーで文化芸術観光省と州政府の共催による中国正月オープンハウスが開催された。これは昨年12月のハリラヤ・オープンハウス(ジョホール・バル)、クリスマス・オープンハウス(KL)に続くものである。野党DAPも21日夜、PJ の本部でオープンハウスを予定している。

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 昨年(1999年)の中国正月、初めてマレーシア華人協会(MCA)のオープンハウスに行った。ホストは1986年より会長を務めるリン運輸相である。 クアラルンプールの中心部にある同協会の本部の前には、「為国為民、不屈不撓、Untuk Negara Untuk Rakyat」と2つの言語で書かれた旗がいくつも立てられ、誇らしげに音をたてて風に吹かれていた。

 「国家のため、国民のため、くじけず頑張ろう」という意味のその標語は、20年以上前に北京の街でよく見かけた「為人民服務」という文字の筆致によく似ていた。

 1999年はMCAが結成50周年を祝った年でもあった。経済危機の最中にあって、改めて中国系国民の士気を鼓舞する必要があったのだろう。

 私は、マレーシア華人の愛国心ということについて考え続けていた。  1998年から99年にかけては、「Love Malaysia, Buy Malaysian」というキャンペーンが注目を浴びた。国を愛し、国産品を買おうという運動である。イニシアチブをとったのはMCA青年部である。華人企業家がもっとも経済危機の影響を受けたからだ、と皮肉な見方をする人もあるかもしれない。

 この運動が実際にどれほどの成果を上げたかは知らないが、三色の可愛いロゴも考案され、当時よくこの言葉を目にしたり、耳にしたりした。車の中で何気なく聞いたラジオのタミール語入門講座で、視聴者が電話でこのスローガンをタミール語で繰り返し練習していたのには驚いた。なるほど、キャンペーンとはこのように浸透していくものなのかと思った。もちろん、聞いた人がどれほど行動を起こすかは別問題だが。

 1999年2月にはMCA結成50周年記念祝賀大会が開かれた。何と1万3千人が一堂に会して夕食を共にしたのである!これは世界記録だそうである。会場には「Malaysia Boleh!(Malaysia can!)」「Mahathir Boleh!」という垂れ幕がかかっていた。与党連合の一員として、はっきりと首相をサポートすることを意思表示したものだった。その場にいたわけではないが、新聞で写真を見るだけでも、そのパワーに圧倒された。

 現在、MCAからは4人の大臣、6人の副大臣が出ている。華人では他にGerakan党首のリム・ケンヤッ大臣らがいる。

 マレーシアでは中国系が政治家になるのは言語の面からだけでも、なかなか大変なことである。まず、公文書や会議は国語であるからマレー語が出来なければならない。加えて中国系コミュニティーを代表する以上、「ルーツ」、「アイデンティティー」としての中国語も必要だ。英語ができることは、この多民族国家では当たり前のこと・・・。即ち三つの言語でスピーチが出来なければ、政治家にはなれないというわけだ。

 リン大臣はMCAメンバーとしては珍しく中国語が出来なかったそうである。政治の世界に入ってから勉強したと言う。今では、スピーチも出来るようになったが、自宅に来る中国語の手紙や文書は夫人が読んで内容を伝えていると、どこかのインタビュー記事にあった。

 他方44歳のチャン・コンチョイ(陳広才)副蔵相の書斎などは『紅楼夢』をはじめとする中国古典で埋まっている。「私の書斎」という新聞の特集で写真を見て驚いた。マレーシア華人の「Wisdom」は中国大文明をバックにしているのかと感心したものだ。

 さて、今年もMCAの中国正月オープンハウスに出かけた。10時過ぎに会場に着くと、ビルの前に人垣ができ、赤い提灯の下で、大きな獅子が二頭、太鼓やシンバルに合せてダイナミックに踊っていた。入り口の階段あたりにはリン大臣はじめ、中国系の大臣たちが勢揃いしていた。みな赤やブルー、大柄の模様入りなどのカラフルなシルクのバティックを着ていた。

 長身でスタイルのよいリン大臣夫人は、桃色の地に白いバラの花をあしらった裾の長いチョンサム(中国服)を、背筋をピンと張って美しく着こなしていた。昨年のブルーグレーの地に白い梅の花をあしらったチョンサム同様、春を呼ぶ繊細なセンスの装いである。

 リン夫妻はとてもリラックスして、車で乗りつけるVIPを中に招き入れたり、握手を求める一般市民の相手をしたりしていた。中には握手をした後も、夫妻を慕ってなかなかその場を離れない身障者の人もいたりしたが、誰が咎めるわけでもなく、やっと10分以上たって、整備係りがその場を離れるようにと優しく促していた。

 南国の元日はのんびり、そして時はゆっくり流れていた。舞っている獅子たちもだんだんくたびれてきて、少しおとなしくなってしまった。

 3、40分経った時だっただろうか。急に空気が動き出した。そして、周りの様子が見る見るうちに熱気を帯びてきた。マハティール首相夫妻が孫娘の手を引いて車から降りてきたのである。揃って赤の装いである。

 それからというものは、もう押し合いへし合いで大変だった。野次馬だったはずの私がなぜか混乱に紛れて赤絨毯の上を歩いており、気がつくとVIPよろしく、リン大臣のすぐ後ろを歩いていた。数歩前の首相は握手を求める一人一人の市民に丁寧に応じながら、大ホールへとゆっくり前へ進んで行った。

 中国正月ではあったが、どうやらその日の主役はやはりマハティール首相だったようだ。そして、その後ろでリン大臣がにこにこして付き添っていた。

  大ホールでソファに深々と座り、新春のアトラクションを楽しむ二人のなごやかな姿は見るものに安心感を与えた。インド系のサミー・ベル大臣や夫人たちも同席して歓談していた。

 いつだったか、リン大臣がインタビューである問題に答えて、こう語っていたことがある。「マイノリティーというものは、マイノリティーらしく振る舞うべきなのです」

 そんな言葉やら、いつかチラッとテレビの画面に映ったPak Lingの涙が、ふと思い出された今年の私の中国正月である。

        


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