イスラームスケッチ(5) 一生一度のメッカ巡礼 
2001年12月07日(金)
 昨日古い日記帳をめくっていたら、コーランの一節を書き留めたメモが出てきた。 安部治夫『聖クルアーン』(谷沢書房)より、とある。この部分も昨日紹介した第6章に出てくる一節であるが、また違った言い回し・訳を味わっていただきたい。

  見えざる秘界の宝鍵は
  神のおん手にあるなれば
  人知るすべもなかりけり
  陸と海とにあるものは
  神みなこれを知りたまう
  神知りたまうことなくて
  一葉(ひとは)も落つるためしなし
  暗き地中の種ひとつ
  湿り乾きのちがいさえ
  天の神書(みふみ)にあきらかに
  記(しる)されざるはなかりけり
      (クルアーン、第6章59節)

   さて、イスラームスケッチ第5話は、メッカ巡礼に関するコラムを再掲する。12月16日予定の断食明け大祭の次は、巡礼祭。来年は2002年2月23日にあたる。

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 今ごろ、ベイ先生はメッカだろうか。あの誰もが白い服装の、気の遠くなるような大勢の巡礼参加者のなかにベイ先生も混じっておられるのだろうか。ハリラヤ・ハジ(巡礼大祭)の今日、メッカからの中継を見ながら、そんなことを考えながら過ごした。

 アリフィン・ベイ氏はインドネシアの著名な知日家。戦争中、南方特別留学生として来日したのが日本との関わりの始まりで、その後、外交官、ジャーナリスト、筑波大学及び神田外語大学教授として通算30年近く日本に滞在された。日本で出版された著作に『インドネシアのこころ』『近代化とイスラーム』『魂を失ったニッポン』などがある。

 マレーシアのルックイースト政策に興味を持たれた先生は1994年に研究のために来マされたのだが、1995年からは開設して間もないマラヤ大学文学部の日本研究プログラムで日本思想史などを教えられ、日本研究振興に尽力された。日本研究者の少ないマレーシアでは貴重な存在だった。

 しかし、最後は日本でも、マレーシアでもなく、祖国を安住の地として選ばれ、1998年暮れ、73歳で混迷するインドネシアへと帰って行かれた。クアラルンプール国際空港で先生とお嬢さんのムルヤティさんを見送った時の私の心境は複雑だった。

 お世話になりながら、最近はすっかり御無沙汰しているだが、今年初め、風の便りに先生がメッカ巡礼を計画しておられることを知った。地球上のどこにいても、ムスレムとして凛として生きてこられた先生にはこの表現は不適切かもしれないが、私はそのことを聞いた時、やはりベイ先生は最終的にはアッラーのもとへ帰って行かれたのだという深い感慨に包まれた。

   さて、今日はハリラヤ・ハジ(巡礼大祭)である。ハリラヤ・アイディル・アドハーとも言う。ハリラヤ・プアサ(断食明け大祭、ハリラヤ・アイディル・フィトゥリとも言う)と並んでイスラームの2大祭りのひとつで、聖地メッカを巡礼している人々を祝福する日である。毎年メッカに世界中から約200万人のイスラーム教徒が集まり(その四分の三は外国人)、約1週間にわたる巡礼の行を行なう。サウジアラビア政府が国によって人数制限(割り当て)をしており、人に聞いた話ではマレーシアの割り当ては2万5千人だそうだ。  マレーシアでは断食明け大祭の方がはるかに盛大だが、国によってはこの巡礼大祭の方を重視にしているところもあるようだ。

 メッカ巡礼はイスラーム教の5行(信仰告白、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼)の一つで、経済的、健康上の条件が許せば、一生に一度は果たさなければならない「義務」である。別の言い方をすれば、それはムスレムにとっての「願い」であり、また貧しい人々にとっては「夢」でもある。更には晩年を迎えた人にとっては「人生の仕上げ」といった意味合いが強いようだ。

 その心境は「四国八十八ヵ所巡り」や昔の「お伊勢参り」と似ているかもしれないが、のどかな四国路をゆく「お遍路さん」とは違って、酷暑のメッカ巡礼は肉体的にもかなり厳しいものようだ。高齢者が多いせいか、死者や病人も出るそうである。

 昨年(1999年)は経済・政治危機の中にあって、マハティール首相もメッカ巡礼を行ったが、帰国後体調を崩し、十日ほど入院。いろいろな憶測を呼ぶという事件もあった。

 このイスラーム暦12月に行われる大巡礼はハジと呼ばれるが、その他、ウムラと言って随時に行う小巡礼もある。以前にウムラに行った知人から棗椰子の実とザムザムというメッカの水をお土産にもらったことがある。水は不思議な味がした。

 人生の節目、節目で、何度もメッカへ行く人もいるし、最近では経済的に豊かになった若者の間でも「メッカへ行きたい!」と希望する者が増えているそうだ。

 日本で国際空港と言えば、ブリーフケースを持ったスマートなビジネスマンやラフな格好をした観光客を思い浮かべるが、マレーシアの空港では、白装束の巡礼者の姿も珍しくない。

 いかにも東南アジアらしい熱気に包まれていたスバン旧国際空港が巡礼者を見送ったり、迎えたりする人々で身動きできないほど、ごった返していた光景も懐かしいし、モダンなスパン新国際空港ではジッダ行きの搭乗口の前で、新聞紙を敷いて座り込み、飲み食いをしている乗り継ぎの巡礼者一行を見かけ、「アンバランスだなぁ」と苦笑したこともあった。1998年に開港した新国際空港に試運転で最初に乗り入れたのは巡礼者を載せたジッダからの便だったことも、いかにもイスラーム国家らしくて印象に残っている。

 来週あたり、スパン国際空港は、メッカ帰りのハジ(大巡礼を終えた男性の敬称)やハジャ(女性)で賑わうことだろう。そして、そのほとんどが出迎えの家族に「辛かったけど、素晴らしかった。是非また行きたい」と興奮気味に語るに違いない。              2000年3月16日

 


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