日マ関係を回顧する(6)ーハムダン元ペナン州元首
2001年08月15日(水)
 今日の終戦記念日は、マレーシアからもうひとつの戦争の話をお届けしたい。今年4月まで、12年間ペナン州元首(6代目)を務められたハムダン氏についてである。1970年代に、マハティール首相とハムダン氏は、それぞれ教育大臣、教育事務次官というポストで共に仕事をしているが、1981年にマハティール氏が首相就任と同時に打ち上げた「ルック・イースト政策」の原案はその時に育まれたのではないかと思う。

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 7月9日、ペナン州元首ハムダン氏(Yang di-Pertua Negeri Tun Dr Haji Hamdan Sheikh  Tahir)の79歳の誕生日を祝う式典の模様が写真入りで新聞に紹介された。記事はハムダン氏の スピーチの内容を伝えるとともに、その日169人に対し「Datuk Seri」や「Datuk」などの称号を伴う 勲章の授与があったと伝え、その名簿を載せていた。受勲者の中にはマハティール首相の元日本 語教師 Datuk Syed Abbas Alhabshee氏やペナンを拠点に東南アジア地域の実業界で活躍するTexchem社長 の小西史彦氏の名もあり、目を引いた。

 マレーシアは13州のうち9州にサルタンの州元首がいるが、サルタンのいないペナン、マラッカ、 サバ、サラワクの4州では非王族が州元首に任命されている。ペナン州では1989年よりハムダン 氏がその職にある。

 ハムダン氏は1921年ペナン州生まれ。イスラーム学者の家庭で厳しく育てられ、1942年に昭 南興亜訓練所修了。戦後ロンドン大学やマラヤ大学で学び、長年教育省に勤務。教育事務次官、 マレーシア科学大学副学長(マレーシアでは副学長が実質上の学長)等を歴任し、独立後のマレ ーシア教育の礎を築いた功労者として、ペナン州民や国民に広く敬愛されている。

 私が初めてハムダン州元首にお目にかかったのは1991年11月のことである。国際交流基金の 駐在員として、クアラルンプールに赴任した翌日のことであった。日本文化センターの開設を喜んで 下さったハムダン氏が、まだ開所式も済ませていない、真新しい施設に気軽に立ち寄って下さった のである。といっても、受け入れる側は「気軽に」というわけにはいかず、ビルのマネジメント・オフィ スは「光栄なこと」として、大騒ぎをしていた。

 当日、ハムダン夫妻は白バイのサイレンに誘導されて到着された。玄関口で同氏とは既に面識 のあった安藤所長が私を「こちらが、副所長の伴です」と紹介してくれたのだが、まだ右も左も分か らぬ私はただドギマギするばかりであった。恐る恐る手を差し出した私にハムダン氏は親しみを込 めて握手をして下さった。奢らず、それでいて威厳のある方だとそのやさしい微笑みに接して思っ た。

 後になって、91年10月27日付けでハムダン氏が自筆で安藤所長宛てに日本文化センター完成 の祝いの手紙を下さっていたことを知った。マレー語で書かれたその手紙は「ごくろうさまでした」と 日本語で締めくくられていた。

 その後、私は何度か遠くでお姿をお見受けしたり、新聞等のインタビュー記事で同氏の経歴や人 柄を詳しく知ることになった。戦争中の日本人との出会いに触れた記事も何度か目にしたが、氏は いつも日本との出会いをポジティブに、好意的に語っておられた。

 そのひとつ、日本マレイシア協会発行の「月刊マレイシア」1995年4月号に載ったインタビュー記 事から一部を引用したい。

  「マレイシアが日本の占領下となった昭和17年(1942年)半ば、私は当時イポーにあった教員 養成学校で助手として働いていました。そこで私は、生涯の友となる多くの日本人教師と出会いま した。彼らの大半は民間人で、大変な教養人でした。

 当時、私は21歳と若く、彼らの教育に対する姿勢や、日本の文化などについて、多くのことを吸 収することが出来ました。

 その後、私は青年訓練所、上級師範学校とで彼らの助手として働きながら、同僚であり友人でも あった彼らとの交流の中で、教育について実に多くのことを学びました。

 また、彼らは教育を通じて、私達マレイシア人に、農場や工場での仕事が机上の仕事以上に大 切なものであることを気付かせてくれました。

 彼らは、格好の良い仕事のみを求め、農作業などのきつい仕事を蔑視し、ただ現実離れした日常 の享楽のみを追求していた、私達の勤労意識に変化をもたらしたのです。

 私達は、身分や職業が何であれ、努力を怠らず、一生懸命働けば、国の発展に貢献できるという ことを学んだのです。

 この時期の経験は私の教育理念や人生観に最も強い影響を与えました」

 1994年に出版された同氏の写真集は、最初の方の数ページが昭南興亜訓練所や馬来上級師 範学校が発行した日本語の修了証書等の写真と解説で占められている。同氏が、長い人生の中 で当時の経験を如何に大切に考えておられるかが窺われ、胸が熱くなってくる。

 ハムダン氏には日本でお会いしたこともある。1996年の晩秋、東京近郊でペナン・フェアが開催 された時のことだった。ショッピング・モールの屋外で行われた催しであったが、南国帰りの者には 冷たい風が身に染み、長時間吹きさらしのところに座っておられた同氏がお気の毒でならなかっ た。一市民として参加した私はその企画の経緯など全く知らなかったので、南国との文化交流を行 なうのに、どうしてこの季節に屋外を会場に選んだのだろうと、主催者の配慮のなさを嘆いたりし た。そして、決して多いとはいえない観客を後方から眺めながら、「この日本の大都会の空の下で、 一体何人がハムダン氏と日本の関わりを知っているのだろうか」と考え込んだりもした。

 ハムダン氏は日マ交流への貢献により、1993年日本政府より勲一等旭日大綬章を受賞されて いる。忘れてはならないマレーシアの大切な親日家のお一人である。マレーシア国民とともに同氏 の79歳のお誕生日を心からお祝い申し上げたい。   (2000.7.24)

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