日マ関係を回顧する(3)−マラッカで見つけた「日本占領」に関する資料
2001年08月09日(木)
  「教科書問題」や「靖国神社問題」が近隣諸国との関係を微妙なものにしている昨今、日本人は祖父が生きた時代の「歴史」をどう捉えるかを改めて問われている。「大東亜戦争」という巨像のような大きな歴史的事柄をどう考えたらいいのか、シリーズ「日マ関係を回顧する」はそんな私の問題意識をめぐる思索メモでもある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 クアラルンプールから車で約二時間で行ける、歴史の町マラッカは何度か訪れた。15世紀に栄えたマラッカ王国の面影を残すこの町の一角には、その後のポルトガルやオランダ占領時代の史跡が集まる歴史散歩道があり、「暑さ」さえなければ、そぞろ歩きは のどかで楽しい。

 マラッカ海峡が一望できるセント・ポールの丘には1521年にポルトガル人によって建てられた教会が廃虚となって残っているが、その前には日本にも布教にきたフランシスコ・ザビエルの像が立っている。澄み切った青空と灼熱の太陽の中で、その地に佇むと、この五百年の世界史の栄枯盛衰が忍ばれる。サンチャゴの砦をくぐって丘を降りると、緑の広場が広がり、その前に「独立宣言記念館」がある。

 この「独立宣言記念館」は国立公文書館が管轄しており、マレーシアの独立に関する歴史的な資料や写真を集めて展示してある。

 そこで、「発見」した、日本占領に関する説明文の原文と筆者による仮訳をご紹介したい。                  (1999年8月4日)

 Japanese Occupation in Malaya 1941-1945

Malaya was also affected by the Second World War when on 8 Dec. 1941, the Japanese army launched massive attacks through Kota Bharu, Kelantan, thus destroying every vestige of the British defence forces stationed there.

The spirit and strength of the British army was severely affected by the sinking of the British naval ships, Prince of Wales and the Repulse.

On 15 Feb. 1942, the British, led by General Percival, officially surrendered to the Japanese. Thus begun a new colonialisation of Malaya by an Asian Power.

Although Malaya experienced destruction economically and socially during the Japanese Occupation, politically it was a reawakening for the population of Malaya.

The Malayas began to be conscious of the fact that Britain was not an invincible power.

In other words, Japanese success rekindled the spirit of independence from western power, for the Malays.

(略)

Although Japanese Occupattion brought economic and social difficulties to a large number of the population, their arrival and success in putting down the Western Forces roused the spirit of the Asian society.

Asians thus became more confident in themselves and less idolizing towards the Westerners.

The rise of Japanese power and influence also hastend the process of the struggle towards independence for Malaya.

 Surrendering of the Japanese Sword Ceremony

General Itagaki is seen handing over his sward to Lieutenant General Messervy, the Commanding Officer of Malaya, followed by other military officers at the Surrendering of Japanese Sword Ceremony in Victoria Institution in Kuala Lumpur on 22 Feb. 1946.

Though the Japanese Military Administration had caused economic and social difficulties, it had to some extent brought about a radical political change in Malaya.

The Japanese victory over the British in such a short period(70days) had instilled awarness among the Malay nationalists that the British colonialist were not as invincible as they were thought to be.

Altought the Japanese had surrendered, their occupation had left a mark inspiring the Malayas to continue their struggle for the independence of Malaya.


 マラヤにおける日本占領 1941-1945

 1941年12月8日に日本軍がクランタン州、コタバルに上陸作戦を開始し、駐留していたイギリス軍を跡形もなく駆逐した時から、マラヤもまた第二次世界大戦の渦中に巻き込まれることになりました。

 軍紀と強さを誇ったイギリス軍は、戦艦プリンス・オブ・ウェールズとリパルスが撃沈されたことで大きな痛手を受けました

 1942年2月15日、パーシバル将軍に率いられたイギリス軍は正式に日本軍に降伏し、ここにアジアの国によるマラヤの新たな植民地化が始まりました。

 日本の占領によってマラヤは経済的、社会的な大打撃を受けましたが、政治的にはマラヤの人々にとって「覚醒」ともいえるものでした。

 マラヤの人々はイギリスが「無敵」ではないことに気づき始めたのです。言い換えれば、日本の成功が西洋列強からの独立の精神を再び燃え上がらせたということです。

(略)

 日本の占領は多くの人々に経済的、社会的困難をもたらしましたが、彼らの登場と西洋列強を打ち負かした成功はアジア精神なるものを喚起させました。  アジア人たちは自らに対する自信を取り戻し、西洋人に対する崇拝の念を失っていったのです。

 日本の力が増し、日本の影響力が強まることで、マラヤ人の独立に向けた闘争が加速されていきました。

日本刀引渡しの儀式

 1946年2月22日、クアラルンプールのビクトリア協会での降伏の儀式で、板垣将軍はマラヤの司令官マサヴィー中将に刀を引渡し、ほかの幹部たちもこれに続きました。

 日本の軍政が経済的、社会的な困難をもたらしたことは確かですが、ある意味ではマラヤに劇的な政治変化をもたらしました。

 日本がわずか70日という短い期間にイギリスを打ち負かしたことはマラヤの民族主義者たちにイギリス植民地主義者は思ったほど「無敵」ではないという意識を植え付けました。

 日本は降伏しましたが、日本の占領はマラヤの人々が独立に向けて闘争を続ける火種を残したのです。
   


 リンク:
八月十五日に思う」(魁討論・春夏秋冬)
マレーシアが提起する新たな大戦史観」(萬晩報)

トップページへ     筆者へのメールは bmikiko@tm.net.my


@MIkiko Ban. All rights reserved.