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マレーシアを愛しつづける女性たち
2001年04月23日(月)
 時々ふと、これまでマレーシアにやってきた日本人たちのことを「想う」ことがある。戦前の物語には「哀愁」や「悲哀」が漂うが、戦後の物語は総じて「明るい」。

 戦後、特に80年代、90年代にマレーシアの地を踏み、この南国の空気を吸った何十万人という日本人たち。大使館員、JICA専門家、青年海外協力隊員、商社、銀行、メーカーなどの駐在員、大学・研究機関の関係者、そしてその家族、留学生などなど・・・。

 住んだところも、置かれた条件や環境も違うし、経験の受け止め方や感じ方も人によって異なるので、みんながみんなという訳ではないが、多くの日本人がマレーシアに対して、好意的なイメージを抱いて帰国しているようである。日本の津々浦々に戻ったこれらの人々によって、これまでタイやインドネシアに比べ、あまり知られなかったマレーシアという国のイメージが少しずつ浸透しつつあることを想像するのはこころ楽しいことだ。

 驚くのは、帰国後10年、15年経ってもなお、マレーシアを愛しつづけ、その思いを行動に表わしている方々がいるということである。Mikiko Talks on Malaysiaはネット上でそんな方々との輪をゆっくりと広げている。

 3月のある日、日本語教師で大学院生でもある吉田曜子さんにクアラルンプールで初めてお目にかかった。十数年前に青年海外協力隊員として地方都市のレジデンシャル・スクール(国立全寮制中高等学校)で日本語を教えた経験を持つ吉田さんは、その後、結婚、ネパールや南米滞在を経て、去年になって「もう一度マレーシアを1(いち)から知りたくて」、日本の大学院に入ったという。今回はお嬢さんを連れての調査の旅だった。

 協力隊時代にクアラルンプールに「上京」した折に来るのが楽しみだったというミンコート・ホテルの「鴨川」の個室で、おいしい日本料理をご馳走になった。初対面とは思えぬほど話が弾み、80年代後半「当時」のお話もたくさん聞かせてもらった。別れ際には、「伴さんに読ませたい」と言って、ショッピング・バッグ一杯の日本の本をプレゼントして下さった。

 ご馳走になったり、お土産をいただいたりと恐縮する私に「Mikiko Talks on Malaysia の購読料ですよ。それに、私もこれまでマレーシアで多くの方々にお世話になっていますから・・・」と、大らかな返事が返ってきた。マレーシアの水を飲んだ人は、マレーシアの人たちのように「あったかく」なるのだろうか。「人の情け」をしみじみと感じた夜だった。

 同じく元青年海外協力隊員、元国際交流基金日本語専門家の立堀尚子さんともネット上で再会した。立堀さんのマレーシアとの関わりは長い。マレーシアのレジデンシャル・スクールやマラヤ大学日本留学予備教育課程で日本語を教えた後、日本の大学院でマレーシア研究を続けている。修士論文は『マレーシア東方政策による日本留学の意味』。現在は博士論文の執筆の傍ら、関西地区で「マンディ」とよばれるマレーシアン・ファンの同好会のお世話をされている。

 「マンディ」の正式名称は「Malaysia and I」、略して「Mandi」、すなわち「水浴」という洒落た名前である。会員数は約50名で、毎月講師を招いてマレーシアに関する講演会を開いているそうだ。先日講師の件で相談を受けた時、この会の存在を知った。因みに7月の例会ではマレーシアのワヤン・クリットについて話が聞けるそうだ。

 ご主人の仕事でマレーシアに5年間滞在したMikiさんは帰国後15年経って、『チェリタ・ラギ』(お話、もっと)というマレーシアの民話のホームページを立ち上げた。帰国後もマレー語を忘れないために友人のAyaさんと翻訳を続けていたという。有名な『バワン・プティ バワン・メラ』の話に添えられた「あとがき」を引用し、読者の皆さんをこの愛らしいホームページへとお誘いしたい。



 バワンメラとバワンプテはマレーシアだけでなくインドネシアなどにもある有名なお話です。マレーシアやインドネシアがまだ一つの国として形を持たない時期から語り伝えられてきたお話でしょう。たくさんのバリエーションがあるそうです。

 インドネシアには、バワンメラが川に洗濯に行くとおじいさんがいて親切にしてあげるとかぼちゃをくれた。そのかぼちゃの中には宝物が入っていて、それを妬んだバワンプテが川に洗濯に行ってバワンメラのまねをして、やさしく勤勉なふりをしておじいさんからかぼちゃをもらうが、かぼちゃの中はがらくたばかりだった。というお話があるそうです。

 バワンメラのお話を集めてみるのも面白いかもしれません。共通しているのは名前がみな、バワンプテ(にんにく)とバワンメラ(たまねぎ)という名前ということです。二人の娘がいて一人は心やさしく、一人は意地悪だったり怠け者だったりします。マレーシアのお話に出てくる名前は具体的な何かをさすことも多く、それがまたその人の性格や人物をあらわしていることが多いのですが、このお話のにんにくと玉ねぎに関しては、なぜそんな名前なのか分かりません。

 お母さんがどんどん生まれ変わっていく所は、輪廻転生のようなお話しで面白いと思いました。

 このお話は二人の妻が出てきますが、ご存知のとおりイスラム教では4人の妻を持つことが許されています。完全に平等に扱うようにと決められているとはいえ、女性の立場からすると心穏やかなものではなかったことが想像されます。この点バワンプテの母親のことも一概に責められないなあ・・という気がするのです。バワンメラはそういう事も理解してたのでしょうか。最後には二人を許してあげるように王子にお願いしています。Miki(http://www.joy.hi-ho.ne.jp/cerita/



 元青年海外協力隊員で『ジュンパ・ラギ』(また、会いましょう)、『サマサマ』(「いっしょに」、または「どういたしまして」という意味)の著者でもある高澤栄子さんも帰国後10年以上も経って、昨年末『アンギン』(風)というホームページを立ち上げた。先日リンクのお誘いを受けてそのことを知った。こちらもどうぞお訪ねください。(http://www.page.sannet.ne.jp/t-eiko/) 

 「Jauh di mata, dekat di hati」 − 「遠く離れていても、いつも心の中」、とでも訳そうか。今日はマレーシアの地を踏んだ女性たちのマレーシアに対する息の長い「情熱」についてお届けしました。

筆者へのメールは bmikiko@tm.net.my


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