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 民族それぞれの「節目」(2)クリスチャン
2001年01月28日(日)  
 12月(昨年のことです)に入ると、町にはクリスマスの飾りが目立ち始め、クリスマス・カードがぼつぼつ届き始める。

 中国系のアリソンさんから、クリスマス・カードをもらった。

「あなたの家族はクリスチャンなの?」
「いいえ、仏教徒です。クリスチャンは私だけです」
「じゃ、キリスト教はあなた自身の選択だったんですね」

「いいえ、私の選択じゃなくて、神様の選択です。神様が私を選んでくださったのです。・・・大学に入った頃、クアンタンから出てきた私は環境の変化に戸惑い、精神的危機に直面していました。そんな時、ふとキリスト教についての記事を目にしたのです・・・」

 彼女は心を開いて、更に打ち明けたい様子だった。しかし、私は授業が控えていたので、「またいつか、ゆっくり聞かせてくださいね」とカードを封筒の中に仕舞った。それは、日本人から送られて来るどのクリスマス・カードよりも重いもののように感じられた。クラスでも、とてもまじめでナイーブなアリソンさんだが、12月25日は今の彼女にとって、もしかしたら中国正月よりも大切な日なのかもしれない。

 日本語副専攻のファウジアさんはサバ州出身のマレー系。日本の宗教をテーマに卒業レポートを書いており、週1回指導している。モスレムの目からは日本の宗教に対する考え方・態度がとても不思議に思えるようだ。話していて私も勉強になる。

「人間は弱いものです」
「現在の幸せをいつまで享受できるとは限らない。食べ物がないこともあるかもしれない。『断食』はそんなことも教えています」

 出身地のラナウは人口の約半分がキリスト教徒で教会も目立つという。彼女が血を引いているカダザン族はクリスチャンが多い。フィリピンの影響か、英語も西マレーシアとは異なり、アメリカン・イングリッシュの方が普及しているそうだ。話を聞いて、マレーシアの多様性が地理的な広がりとして実感できた。

 12月半ば、あるプロジェクトのお手伝いをした関係で親しくなった大学内のIKMAS(マレイシア問題・国際問題研究所)の友人を訪ねた。

 50代後半のドロシーさんのルーツはインド西南端のケーララ州。敬虔なカトリック教徒。1人息子の嫁には同じ出身地のお嬢さんを望むが、同郷か、宗教かと問われれば、断然「カトリック」を取るという。信仰が同じであれば中国系でもよいそうだ。「クリスマスには息子がロンドンから帰ってくるの!」といつものキャリア・ウーマンが母心を覗かせていた。

 30代で中国系のアウヨンさんに一年で一番大切な日を聞いてみた。「クリスマス」との答え。

「クリスチャンではないけど、この時期にオーストラリアや香港に住んでいる兄弟家族が里帰りして来て、年に1回の楽しい家族の『REUNION』の日だから」

 世界民族である中国人やインド人にとって、世界の暦となったグレゴリオ暦の12月25日は一番集まりやすい日なのだろう。ドロシーやアウヨンのような例は私の周りでも数えきれない。

 私と同世代のダイアナ・ウオン助教授もクリスマスが「最も大切な日」だという。彼女は中国系マレーシアンだが、シンガポールとマレーシアが一つの国だった頃、シンガポールに移り、そこで育った。大学時代にドイツに留学し、そのまま留まることになる。90年代になって、シンガポールを経て、マレーシアに戻ってきた。ご主人はドイツ人。彼女からはオーソドックスなドイツのクリスマスについて心がときめくような話を聞いた。

 マレーシアのクリスチャン人口は8%とされている。特にサバ、サラワク州の少数民族にキリスト教徒が多く、両州ではクリスマスに加え、グッド・フライデーも祝日となっている。西マレーシアのクリスチャンは両州出身者、インド系、中国系などである。原則的にはマレー人のクリスチャンは存在しない。憲法でマレー人とは「日常的にマレー語を話し、イスラームを信仰し、マレーの習慣に従う者である」と定義されているのである。

 1月に入って、マレーシアのキリスト教について研究されているTさんより以下のような長いメールをいただいた。彼女にはこれからもいろいろなことを教えてただきたいと思っている。

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 12月中旬より、我が家でも週1回の断食をしています。私たちの場合、宗教的な目的ではなく、体質改善目的で医師の指導下にしているものなのですが、暮らしそのものに対する考え方感じ方がすっかり変わってきました。少食にすると、気持ちが落ち着き、晴朗になるような気がします。また、いかに多くの人々によって支えられて生かされているかが、頭の中だけでなく、実感として味わえるようになってきました。

 経験してみて初めて、ムスリムの人々の年一回の断食の意義も納得できるようになりました。とはいえ、断食そのものは、キリスト教にも仏教にもヒンドゥ教にもユダヤ教にもあるのですが。

 私が特に、マレーシアのクリスチャンの方達に頭が上がらないと思うのは、独立記念日の前に、12時間の断食祈祷をしているということです。また、ISAなどで国内に緊張が走った時にも、断食祈祷をしているようです。一体、私は自分の国日本のために、記念日に断食祈祷をしたことがあっただろうかと思うと、本当に恥ずかしい思いがします。

 AAJの卒業生に会った時、「日本での方が、プアサがとても楽だ。」と言っていましたが、確かに、暑い国での断食には、一層の深い意義がこめられているだろうと思います。

 心情としての理解だけでは不十分で、実際にやってみて初めてわかるということも多いのだということは、この断食にも言えると思いました。各宗教の根本的アイデンティティそのものは、時代や社会情勢によっても決して譲ることができないものですが、そのめざすところは、何か究極の合一に向かっているような気がしてなりません。私の置かれている立場は、その点気楽なのですから、伝統的で真正な、どの宗教からも、よきものは学び、取り入れていきたいと思います。

 もう一つうれしいニュースがあります。去年のクリスマスは、「大聖年」ということで、特にカトリックの方では大切な行事でしたが、送られてきたマレーシア教会ニュースレターには、クリスマスの催しに、マハティール首相ご夫妻がお祝いに来てくださったという「喜ばしき音信」が書かれていました。もちろん、マレーシアの教会指導者の方達は、驚きつつも、心から感動したそうです。私も読みながら、言葉にならないようなジーンとした思いで満たされました。

 しっかりした信仰があればこそ、異なる信仰体系の人々にも敬意と尊重の念が抱けるのだと思います。私はこれを、単なる政治的パフォーマンスと受け止めたくはありません。ますます、‘LOOK EAST’どころじゃない、もっともっとマレーシアの人々から学ばなければ、と痛感します。(つづく)


 参考:
 1999年12月22日(水) 戦時下のクリスマス・ケーキ
 1999年12月24日(金) テー・シューピンが教える愛


筆者へのメールは bmikiko@tm.net.my


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