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 恐怖のあとのレインボー(2)
2001年01月25日(木)  
 翌朝目が覚めると、我が家に十数時間前までは「他人」だった日本のお嬢さんが寝ていた。名前はめぐみさん。中央大学総合政策学部の3年生で、5月からマレーシア国民大学に留学を希望している女性だ。今回はその手続きのために短期滞在していた。私たちはつい最近、インターネット上で知り合ったばかりだった。

 月曜日を待ってやるべきことがはっきりすると、私たちはすっかり気が楽になって、楽しい休日を過ごした。まるでマレーシアに住む叔母と日本から遊びに来ている姪という感じだった。年は親子ほど違っていても、おしゃべりは尽きなかった。彼女は小さい時にアメリカに住んだことがあり、大学でマレー語を学び、マレーシアのカンポンでホームスティをしたこともあって、同じ年齢の日本の若者より「世界」を知っているように思えた。

 夕方元同僚で、親友のエドワードさんが訪ねてきた。相談事と新年の挨拶を兼ねてということだった。話が終わると、三人でどこかで夕食を食べようということになった。私は近所の店をいくつか推薦したのだが、エドワードは暫く考えてから、「イーサンはどうだろう」と言った。

 イーサンとはマレーシア名物の中国正月の食べ物で、刺し身、野菜の千切り、揚げ玉のようなものを大皿に盛り、密のソースをかけて、みなで一斉に箸で掻き混ぜて食べる、縁起のものである。「それはとてもいい考えね。季節に一度は食べたいし、めぐみさんも初めてでしょ?」 私はすぐ乗った。

 私たちはエドワードさんの車で、師走の町に繰り出した。中国レストランの中は赤一色に染まっていた。子連れで新年の会食を楽しんでいる大家族が多かった。

 今度はめぐみさんも交えておしゃべりを楽しんだ。前日の「怖い話」の一部始終を話すと、エドワードが「そのバイクの奴はマレー人じゃないと思うよ。それはマレーの文化じゃないもん」とコメントした。中国系の彼からそんな言葉を聞いて、私は体内を熱いものが走るのを感じた。

「それにしても、日本人女性はほとんど1回はやられるようだね。ここは日本とは違うんだ、ということをしっかり認識しおいてもらわないと困るね。ところによっては、貧乏人が金持ちからお金や物を奪うことを何とも思っていない文化もあるんだからね」

 犯罪の問題を「文化の違い」として語ったエドワードの発言にはハッとさせられた。

 イーサンが運ばれてきた。「実はね、僕、昨日もこれ食べたんだけど、今日の方がおいしいね」 「なあんだ、それならそうと言ってくれればいいのに」と思いつつも日本からのお客をもてなそうとする、彼の昔と変わらぬ優しさが嬉しかった。

 話は四方山話に留まらなかった。めぐみさんを少し意識して、私はエドワードに向かって改まって質問を投げかけた。

「あなたはマレーシアのどんなところを誇りに思いますか」
「そうだね、第一に多民族国家で、仲良くやっているということ。第二にいろいろな言葉が話せて、相手によって切り替えができること。第三にバラエティーに富んだ食べ物。しかも安くてね。生活が楽ってことかな。」 答えはすぐ返ってきた。「あっ、そうそう、一番大切なことを忘れていた。Vision があるということ!!」
「Vision 2020?」と口を挟むと「2020年 だけじゃないよ。みんながそれぞれにVisionを持っている。これが一番誇れることだ」

 マイッタ、と思った私はめぐみさんに質問を振った。

「じゃ、今度はめぐみさん。あなたは日本人として、どんなことを誇りに思いますか」
「うーん、日本食もおいしいですよね。それから、日本の伝統文化・・・。いやだあ、伴さんも一緒に考えて下さいよ」
「古い歴史。マレーシアは新しいけど、日本は長い歴史があります」と私。
「でも、マレーシアという国は新しくても、そこに住む人々は古い文化を持って集まって来ている・・・」とまたまたエドワード。
「僕はね、日本人の素晴らしさは集中力だと思う。視野は狭いけど、ひとつのことに集中して、いつも、よりよいものを創り出そうとしている」
「治安の良さ、衛生・・・」

 私たちの答えはエドワードほど、明解ではなかった。

 エドワードとのおしゃべりはいつも爽快だ。昔と変わらない。彼と一緒に日本語センター立ち上げの仕事をした1年半は、私の国際交流基金勤務20年の中でも最も楽しく充実した時期だった。私たちは、よく時間を忘れてVisionや理想について語り合った。「あなたのような若者がいる限り、私はマレーシアに希望を持ち、愛しつづけるわ」 帰りの車の中で、いとおしい思い出に浸りながら私は心の中でつぶやいた。

 翌朝、めぐみさんは「お世話になりました」と言って、私の家を去って行った。

「帰るまでいて下さってもいいのよ」という言葉に甘えることなく。お金も借りてくれなかった。
「大使館で貸しくれるはずですから、大丈夫です」と。
「じゃ、困ったらいつでも戻っていらっしゃいね」

 彼女の独立心、勇気を損ねてはいけないと思い、私は彼女を解き放つことにした。21歳のめぐみさんは、宿代の返納金、70リンギット(2000円)だけを持って、ラッシュ・アワーが始まる前のクアラルンプールの町に消えて行った。

「5月から予定通り留学します!」と言い残して。

 タクシー・スタンドまで見送った私の脳裏を別れの朝の一こまがフラッシュ・バックした。

「日本はこれからどうなるのでしょうね」
「それは、めぐみさん、あなたのような若いひとたちにかかっているわ」
「いいえ、わたしたちだけじゃありません。伴さんも、みんなです!」


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