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 和服の力
2000年10月16日(土)    
 水色の空に秋桜(コスモス)が手弱女(たおやめ)のように揺れる、美しい日本の秋に舞い戻ってきた。今年3度目の一時帰国である。今回は父の病気見舞いと弟幸衛の1年祭(一周忌)出席が目的であった。

  東京の病院を一時退院した父と、その父に一か月半付き添った母に、東京で合流し、親子三人で高知に帰ってきた。

  東京を発つ朝、マンションの前で、病み上がりの父を母娘で支えるようにしてタクシーを待っていると、法政大学の方向に向かう中年の白人男性が「凛々しいですね!」と日本語で声をかけて通り過ぎた。私たちは一瞬、何のことやら分からず、辺りをキョロキョロ見回したのだが、その人の後姿が遠ざかってから、漸くそれが父に語りかけた言葉だったと合点した。

  父は着物に袴をつけ、杖代わりに竹刀を持っていたのである。帰国した日、成田から病院に直行し、入浴を手伝った時は、すっかり細くなった父の肉体に、病気と闘っている父の現実を見る思いがしたが、和服で体をすっぽり覆った父はまるでその逆のイメージを人に与えていたのである。その時の父の顔には精神が放つ「気迫」があったのかもしれない。着物姿が父の精神を映しだし、逆に着物が父の心に働きかけていたと言ってもいいだろう。

  高知空港に降り立つと、青垣のように連なった山々に南国の太陽が燦燦と降り注いでいた。「やっぱり、故郷はいいわねぇ」と、この数か月心の重い日々を耐えてきた母は少しほっとした様子だった。

  久しぶりの両親との生活。短い間に少しでも力になりたいと、私は父の身の回りの手伝いの他、ハタキを使っての大掃除、雑巾がけ、布団干し、虫干しなどマレーシアでは体験することのない日本的な家事に勤しんだ。「労働」は、常夏の国での車生活で、すっかり鈍った肉体には快感だった。手足を動かすことの爽快感があった。日本の生活は体を動かし、勤勉でなければならないように出来ているのだなぁ、としみじみ思った。

  合間をぬって母と日曜市や木曜市をぶらついたり、高知城の麓にある高知文学館で毎月行われている浜田清次先生の『古事記』の講義にも出かけたりした。秋の光に包まれた、母とのつかぬ間の穏やかなひとときだった。そんな時、母はいつも着物姿だった。着物が、打ち続く試練の前に時には崩れそうな母の心身をしっかりと外側から支えているように思えた。

  着物はファッションや美などというものを超越して、かくも大きく精神に作用を及ぼすものなのだろうか。私は今回両親の着物姿をまじまじと眺めながら、着物が持つ不思議な魔力(パワー)に圧倒されるのだった。

  こんな大袈裟なことを考えるようになったのも、私が民族の装いを大切にする文化の中で暮らしているからかもしれない。マレー人の女性は、バジュ・クロンやバジュ・クバヤなどを日常的に着ているし、男性はバジュ・マラユを正装としてしばしば着用する。中国系はあまり民族衣装を着ないが、インド人女性はサリーやパンジャビ・ドレスを愛用している。

  彼らを見ていると、マレー人だからマレーの服を着、インド人だからインドの服を着ているというよりも、民族の服を日常的に着ることによって,その民族になっているという気さえするのである。

  私はこの6、7年、マレーシアにあっても日本にあってもマレーの服、バジュ・クロンで通している。マレーシア人にも日本人にも喜ばれるが、私自身も東洋の装いをすることによって、東洋のやさしい心を培っているような気がして心地よいのである。いつか私を魅了したバジュ・クロンの話もお届けしたいと思っている。

  「衣」が持つ不思議な力。その「精神文化」に及ぼす影響について考え続けて見たいと思う。 


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